エピローグ1 悲劇の終わりのその先に
手桶から掬った柄杓いっぱいの水を、目の前の墓石にかける。水鉢を水で満たし、花立に白、黄、紫の菊の花を添えて、オレンジジュースとビールの瓶を供える。
線香をあげて、目をつぶって静かに合掌する。
雪花が亡くなってもう三年が経った。
同じく亡くなったお父さんの遺産をめぐった親戚同士のゴタゴタをどうにかやり過ごし、しばらくして一人暮らしを始めた。バイトと学業とその他諸々の両立は大変だったけれど、どうにか甲さんと同じ大学に受かることができた。
甲さんは特に大学でやりたいことはなかったらしく、私も同じくそれを見いだせずにいる。ただ、いまは漠然と、かつての
合掌を終えて、今度は甲さんと桑名さんのお墓にも行こうと荷物をまとめて立ちあがる。ふと、こちらに向けて歩いてくる誰かに気がついた。
首あたりまでにまっすぐ流した白髪まじりの髪に、少し皺のある顔立ち。気の強そうな鋭い目つきに、少し高そうな服を着ている。
お父さんと雪花の葬式の時にも見たけど、一度も話しかけることもなく、話しかけられることもなく終わった人。
「お母さん……」
お母さんは気まずそうな顔をしながら、私の隣に立つ。お母さんも同じように線香を上げてお参りしていく。
「再婚相手は見つかった?」
「仏さんの前で言うようなことじゃないでしょ」
「三年経ってもお父さんのお墓参りに来るとは思ってなかった。てっきりもう、別の金持った男の家に転がり込んで、すっかり忘れちゃったのかと思ってた」
「あのクズのことなんかどうでもいいのよ。だけど、雪花は私の大事な娘だったから」
墓石を一瞥して、お母さんに視線を戻す。
「それ、仏さんの前で言っていいの?」
「雪花には本望でしょ。あの子、昔からお父さんのこと大っ嫌いだし」
「まあ……」
苦くも同意するところで、どうにも反応しづらかった。
すべてお前のせいだ。お前が雪花を追い詰めなければ、あんなことにはならなかったのに。そう言えたら良かったけど、同時に罪悪感が押し寄せてそれを咎める。
私だって同じように追い詰めた。むしろ私が、雪花にあんなことをさせた一番の原因だったのかもしれない。
踵を返して、お母さんを置いて歩いていく。これ以上話すこともないし、ここにいたってどうしようもない。
「待って」
お母さんの声が聞こえて、つい振り返ってしまう。
「ねえ、一緒に暮らさない?」
「……なんで?」
「やっぱり、家族は一緒にいたほうがいいんじゃないかって思うから。また新しく再婚した人は悪い人じゃないし、雪花はもういないけど
すがるような上目遣いで見つめられ、一瞬だけためらう。
仮にも十年以上はともに暮らした肉親だし、かつての私ならこれを拒む理由がなかったと思う。だけど、私はもう、この人が帰ってくることになんの意味を見いだせない。
大事な雪花もいないいま、曲がりなりにも家族を捨てたお母さんのところにいてもしょうがない。
いまのわたしにとって、この人は家族でもなんでもなくないから。
「別にいいよ」
「いい、って……桜花、バイトしながら大学通ってるんでしょ? そういうのって大変だろうし、あの人に頼み込んで学費を捻出しても……」
「娘のことを捨てて、雪花がいままで遭わされてた仕打ちも知らず、のこのこお墓にやってきて、そのくせいまさら母親面をする。そんな無責任な人にすがるものなんてないよ」
「桜花……」
「雪花、お父さんにずっと犯されてたんだよ。私も一回だけ犯されそうになった。せめて、お母さんが私たちを置いて行かなかったら……」
言いかけて、その先を押しとどめる。
そんなたらればには、もう意味はない。それに、仮にそうなってたとして、幸せになれた保証もない。
手桶と瓶ビールを置いて、吐き捨てるように訊く。
「
「まだだけど……」
「じゃあ、そっちはよろしく」
お母さんのことを構わず、早足で墓地を抜ける。
ここにいたくなかった。いられる気分じゃなかった。お母さんのことを言及するたびに私のやった行いが脳裏にまたたいてしまって、私はつい逃げ出してしまった。
お母さんのかつての再婚相手だった金城
甲さんのことを思うときでさえつらいのに、その男が一緒に墓に入ってるのを考えたらさらにやりきれない。今の気分ではなにかやらかしかねない気がして、甲さんの墓を通り過ぎて、ただ家に向かって走りだした。
息を切らして、自宅のアパートに着く。自分の部屋の前に、宅配のお兄さんが立っていた。
「甘宮桜花さん、でよろしいでしょうか」
「はい、そうですが……」
「あっ、よかった。お届け物です」
鞄から出したボールペンでさらさらとサインして、抱えるほどにそこそこ大きいダンボールの荷物を受け取る。荷物はそれなりの重さがあった。
「どうも」
お兄さんがアパートの階段を下りていく。
宛先には「金城剣一」と書かれていた。しかし、宛先の住所は県外で、どこか嫌な予感を覚える。
部屋に入って、中身を開ける。厳重なエアークッションの梱包材に包まれて、見覚えのある銀色のトランクケースがあった。
こんなものが、どうしてよりによって私のところに。
取り出したトランクケースの留め金を外して開く。中には金色のバングルと正四角形の小型デバイスがひとつずつ、それに加えていくつかの資料が同封していた。
「おめでとう。君は毒配人の後継者に選ばれた」
突然の声にすぐさま振り返る。すぐそばに、長い触覚のようなものを立てた全身緑色の鎧が立っていた。
バングルを持った精装者を探して、その回収や
デバイスを指で触れて、レディバグの盾とホーネットの短剣を形成する。ホーネットの加速で一気に攻めてデバイスを探すが、それらしきものが見つからない。
加速が解けて、目の前のそいつが私のデバイスに触れる。デバイスが解除されて、途端に短剣と盾が一瞬で消滅した。
殺されると覚悟したが、その小手に包まれた指はすぐに離れた。
「活気がよくてなによりだよ。やはり、僕の目に狂いはなかった」
「なんなの、あんた……」
「別に怯えなくていい。僕は君に目的を与えにきた」
いまが逃げるチャンスなのに、足は笑うだけで言うことを聞いてくれない。こいつからは、なぜだかどこに逃げても無駄だと悟らせる力を感じる。
「あと一年も経たず、こことは別の世界から帝国の軍勢が押し寄せてくる。それまでに、君は戦士を揃えてほしい」
毒配人の後継者、そして戦士を揃えるという目的……。
いまさら、目的なんて関係ない。毒配人がどんな気持ちでなにをやってたかを知ったとして、私たちにとってあれはただの悲劇でしかなかった。
思い出されるあの苦い日々を振り払おうとするように、首を横に振る。
「……嫌です。もうあんなことはやりたくない」
「まあ、だろうね」
「え……」
「むしろ、それでいい。毒配人のやり方は僕もどうかと思っていてね。今回、僕が君にやってほしいことは、デバイス内の妖精を蘇生させる
妖精の蘇生。桑名さんや甲さんが臨界機能を使ってやったこと。
「バングルタイプのデバイスによる臨界機能は、デバイスの持ち主を妖精に変化させ、
「待ってください。毒配人は、人間に戻れてたんですか? じゃあ、なんで私たちは……」
「あれは試作品だった。できる改変には限界があったし、量産できる段階でもなかった。それに、そんな能力をむやみに街にはびこらせるわけにもいかないだろうしね」
「じゃあ、なんで私に……」
「君は人を救いたいんだろう?」
すべて見透かされていた。
どうしようもなく立ち尽くすなか、そいつはトランクケースから金色のバングルとデバイスを手に取って手渡した。
「こいつは毒配人のデバイスからかなり改善されている。君にはこれで、これから色んな人を救っていき、そして帝国軍からこの世界を防衛してほしい」
「私、大した人間じゃないですけど……」
「君は
押し付けられるままにそれを受け取る。
これが本当に言葉通りのものなのか、それともまた罠なのか。それを現時点で判断できそうにない。
だけど、もしこれで救えるものがあるとするならば、それにすがりたい。たとえ、命を賭してでも。
そう思いながら、金色の光沢をぼうっと見ていた。
「報酬も弾むから、だいぶ生活もマシになるかもね。じゃあ、僕はここで失礼するよ」
言い終えると同時に顔をあげると、その緑の鎧の姿はすでに消えていた。
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