邪推に仕組まれた毒は燃えて、悪巧みの的を射損じる。 3

不倫、非道、血なまぐさい所業の数々、それに引き続いて起った偶然の裁き、過ちの殺人、また、挑まれて余儀なくもくろんだ殺戮、すべては、的を射損じた悪だくみが、とどのつまり、それ、こうして張本人の頭上にふりかかってまいった始終の仔細。何もかも、ありのままにお伝えいたしましょう。

                     ――シェイクスピア『ハムレット』



 胸に大きく穴を空けた怪物の身体へとかがみ込む。少しだけためらいながら短剣で雪花ゆきかのデバイスを破壊して、私のデバイスをかざす。デフォルメされたサソリをかたどるアイコンが表示され、全てが終わったことを悟る。

 ホーネットはスズメバチで、あの短剣が針だとするならば、それと同じ性質を持っている可能性があった。

 だから、短剣の毒によるアナフィラキシーショックを期待して、実際その通りになった。これは雪花が一度短剣に傷つけられたことを知っていたからできたことだ。

 最初からこうして頭を巡らせられていれば、雪花を殺すこともなかったのかもしれない。そんな後悔しても、雪花は二度と戻らないけれど。

 再構築空間インナースペースが崩壊していく。

 溢れそうになるものをぐっと堪えた。あの子の好意を何度も裏切った私に、泣く資格なんてないから。

 だけど、華ちゃんや妖精を通して雪花が想っていたことを、私は忘れない。

 あの子が本当に私しかいないともう少し早く知っていたら。

 私はどうにかできて、あの子の運命も変わっていたのだろうか。いや、いまの私だからこそ気づけたんだ。だからもう、そんなことを考えるだけで無駄だった。

 もう雪花とはやり直せないけれど、もう少し世界をちゃんと捉えるようにして、いつか雪花と同じように心の奥で苦しむ誰かを救おう。それが、いままで殺してきた人たちへのせめてもの償いだと思うから。

 ふっと、意識が遠のいて、元の世界へと戻っていく。




 ビルの中、ただひとりでそこに立っていた。目の前には、胸を血で汚して倒れた雪花がいる。

 デバイスが解除され、乱した制服が元に戻っていた。外では大雨が振っていて、稲光が絶えず閃いている。

 再構築空間のなかでは、ほとんど時間が経過しないはずなのに。さっきまでこんなひどい天候だったはずがない。しかも、再構築空間から脱したはずなのに、甲さんの姿もない。

 見回して、仰向けで倒れていた華ちゃんを見つける。私はすぐに屈んで、その身を揺する。

「……起きてますよ。なんですか?」

 華ちゃんは怠そうに応える。

「ねえ、いまどういう状況?」

「知りませんよ。華にはもう、どうでもいいことです」

 なにかの糸が切れたように、脱力していた。

 それでもなお、わたしはまっすぐ見つめて訊く。

「甲さんはどこ?」

「だから、知らないですって。知ってたって、教えてやるつもりもないですけど」

 瞳はどこか生気を失ったようだった。

 当然だ。この子は雪花の親友で、雪花を私よりずっと強く愛していただろうから。

 諦めて、歩き出す。もしかしたら、もう帰ってたりするのかもしれない。一回、家に帰ってみることに決める。

 その前に一度、思い出して足を止める。

「私、毒配人ポイズンディーラーを殺すよ。たとえ華ちゃんがやらなくても、私は成し遂げてみせる。それが、雪花への償いのひとつになればって、思うから」

「……そうですか」

「雪花を好きでいてくれてありがと。きっと、あなたは私より、あの子のことをよく知ってるんじゃないかな。姉として感謝してるし、同時に情けないとも思ってる」

「……毒配人、階段を上っていったはずですよ。いま、妖精と戦ってるはずです」

 その言葉が気にかかって振り向いた。

 やはり、ここは元の世界ではない。誰かが妖精になって、その上に再構築空間を重ねたんだ。

「どうして、毒配人と妖精が?」

「なんででしょうね。華はあの金城甲って人に興味なかったんで、分からないです」

 甲さんが妖精に。外の稲光を見て、その意味にようやく気づく。

 それにしても……。

「どうして、急に言ってくれたの?」

「雪花への償い、ですかね……」

「じゃあ、一緒に行く? あなただって、毒配人を許せないはずでしょ?」

「それで華が蘇るわけでもないし、もうどうでもいーんですよ……ほら、さっさとどっか行ってください」

 しっしっと手で追い払われる。

 決して、強いるつもりはない。この子にはこの子なりの、気持ちの整理が必要だろうから。

 向き直って走り出し、廃ビルの階段を駆け上がる。すぐ上ではない。どんどん上っていって、屋上にたどり着く。

 雷雨の中、一本角の黒い装甲の怪物が見えた。瞳と身体の幾筋に黄金の光を放ち、漆黒のカラスの面の男と対峙している。雨に打たれるのもいとわず、お互いが剣を構えて切り結んでいる。

 雨の中、刃と刃が火花を散らし、怪物の大剣が絶えず青く放電していた。

「甲さん……?」

「雪花さん! ここは危ないから逃げて!」

 怪物が油断してこちらを見る。その隙を狙って、毒配人の黒いレイピアが怪物の身体を弾き飛ばす。

 雨で髪が貼りつくのも構わず、その姿を見る。

 カブトムシのような怪物になってもなお分かる。あれは紛れもなく妖精の意識ではなく、甲さんそのものだった。桑名くわなさんや雪花はまるで人格が豹変したようだったのに、あの怪物はなぜか中身が甲さんのままでいた。

 デバイスで円盾を形成して、ホーネットの遠隔機能を起動する。怪物にトドメを刺そうとする毒配人のレイピアを、加速して直前でかばうようにして弾き返す。

 ちらと怪物の黄金の瞳を一瞥する。確かに、その瞳は甲さんと重なった。

「甲さん……で、いいんだよね?」

「ああ、うん。このナリだけど、一応意識は乗っ取られていないつもりだよ」

「よかったです……ところで、甲さんはあいつをどうしたいんですか?」

「殺すつもりだよ。圭輔けいすけにも、頼まれちゃったから。それで、桜花さんは?」

「もちろん、私も同じ気持ちですよ。桑名さんと、雪花と、雪花を失った華ちゃんの仇を討ちます」

 毒配人がたたらを踏んで、デバイスに触れる。突如、視界から消える。

「いくら立ちはだかろうとも、あのお方の使いとして選ばれた俺の『改変』能力には絶対に勝てない!」

 私はこれを知っている。これはカメレオンの能力だ。

 すぐにデバイスに触れて、

「レディバグ! 遠隔機能リ・モード!」

 不可視の存在の中和する空気の波によって、その姿を現す。すぐそばまで来て、私の胸を刺し貫こうとしていた。

 怪物――甲さんであり、ヘラクレス妖精――がすぐにその姿を大剣でなぎ払う。それは稲妻の軌跡を描き、毒配人の外套を大きく切り裂いた。

 毒配人が退がり、破れた外套を煩わしげに脱ぐ。中からは黒ずんだ筋肉があらわになり、両腕の漆黒の翼が晒される。

「お前らは、本っ当に活きのいい育ちをしてくれた! 俺にさえ逆らわなければ、生存者サバイバーに相応しい被験者でいられたものを!」

 毒配人の周囲に閃くものを感じる。カクタスの針だ。すぐさまホーネットを遠隔機能する。

 カクタス発射前に加速して、さらにレディバグを遠隔機能。念動波で全ての針を叩き落とし、ホーネットの短剣を形成して毒配人の胸を刺す。

 加速が終わり、毒配人から引き下がる。もちろん、これで死ぬことはない。こいつも妖精のひとりならば、デバイスを破壊しなければ全てが終わらない。

 毒配人が胸に刺さった短剣を抜き捨てて『改変』する。翼から放たれる羽根が刺し傷をなかったことにする。

 その間隙に、ヘラクレス妖精が大剣を振り下ろした。同時に、私もデバイスを叩いて唱える。

「スタッグ、再構築!」

 盾に接続するように、レールガンが形成される。私と甲さんのことを後押ししてくれようとしてくれて、甲さんの親友だった桑名さん。

 みんなみんな、怪物に殺されるか怪物の姿になって、この男の実験体として殺されていく。こんな悲劇は、ここで終わらせなきゃ。

 世界は元から平穏ではないのかもしれない。このことがなくても、私は結局雪花にあったことを知ることもなく、どのみち少し違う悲惨な道を進んでいたのかもしれない。

 それでも、目の前で誰かが不幸になる強い要因があるのなら、私はそれをどうにかしたい。それが今回のことで得たことなのだとしたら。

 毒配人のデバイスを狙う。デバイスを押してから口元を隠しつつ小さく呟き、ホーネットで加速。

 この隙に撃つ。毒配人のバングルにレールガンの照準を合わせて、加速が終わるとともに針弾を発射する。

 しかし、毒配人の姿が途端に見えなくなる。気がつけば、私は薬液に満たされたガラスの筒に閉じ込められていた。

 肌がぬるりとする感触を覚える。制服や身体に、薬液やその気泡が貼りつく。私は慎重に判断してデバイスを手動で操作。

 カクタスの針を全方発射。囲んでいたガラスの筒が粉々に砕けて散って、薬液は全て地面に流れていく。

 溶けかけた制服を気にすることもなく、手に大鎌を形成。

 いまはもういない、雪花のスコーピオンの力。ここにはもう、魂なんて宿っていないかもしれない。だけど、それでもいままでずっと守ってくれた雪花が近くにいるような気がして、どこか心強かった。

 お姉ちゃん、雪花の仇を取るね。だから、見てて。

 くるりと回り、背後で短剣を振り下ろす毒配人の姿を認める。盾で切っ先を逸らし、カラスの仮面の顔に向けて大鎌を振るう。

 赤い閃光を散らして、首が飛んだ。それは屋上から落ちて、普通ならそれは勝ちを確信できるものだった。

 しかし、そいつは首無しのままデバイスに触れ、首が取れたことを「なかったこと」にした。

 毒配人を殺すには、デバイスを破壊しなければいけない。しかし、こいつを殺すには、それだけの隙が足りない。

 わたしは油断して、目の前に短剣が迫っていることに遅れて気づく。避けられないと思ったところで、ヘラクレス妖精が横合いに毒配人を斬りかかる。

「すみません!」

「いいから、早く倒そう! じゃないと――」

 毒配人のレイピアが黒い大剣に代わり、甲さんも不意打ちに油断して押しやられる。

 そんなことを言われても、手が浮かばない。なにか、なにか手は……。

 妖精と、改変能力。カメレオンは『不可視』、ホーネットは『加速』、スコーピオンは私を願ったことで私だけを『幽閉』した。スタッグは親友の『蘇生』を願ったけど、それは叶わな――。

『お前だって知ってるはずだよ。呼び出されたんだよ』

 あった。この手だ。

 私はいまだ押し負けつつあった妖精に向けて叫んだ。

「親友二人と雪花の『蘇生』を願ってください! 早く!」

「『蘇生』……なるほど、そういうこと!」

「させるか!」

 毒配人の大剣が押しきって、ヘラクレス妖精を地に叩きつける。

 妖精は明らかに挙動が鈍くなっている。

 甲さんが妖精になったまま、果てはどうなるかも分かってない。もしかしたら、また死ぬことになってしまうのかも。

 大剣を突き立てて立ち上がろうとするヘラクレス妖精に、毒配人が切っ先を向けるように構えて肉薄。それをレディバグで遠隔機能して、念動波で横合いに弾き飛ばす。

「今です!」

 戸惑いながら妖精が頷いて、瞳の光を一瞬だけ消す。間もなくして、赤い光の粒子が散乱し、タランチュラ妖精とスタッグ妖精とスコーピオン妖精が形成される。

 そしてそれは、毒配人を取り囲むようにそこに現れる。

「甲! また会ったな!」

「いままでなんの役にも立てなかったが、コイツだけは地獄に引きずり込んでやる!」

「わたしの感情につけ込んで、お姉ちゃんや華までも陥れようとしたお前を、絶対に許さない!」

 タランチュラ妖精がタックルして六本の腕で押し倒す。その上を、スタッグ妖精がレールガンのついた右腕で、タランチュラ妖精越しに何度も何度も顔を殴りつける。

「おい、鉄也! 僕ごとに殴ってんじゃねえよ!」

「うるせえ! オレらはもう死んでるんだ! 殴ったって死にゃしねえだろうが!」

「それもそうか……でも少しは配慮しろ!」

 小競り合いをする間にも、毒配人はまったく身体を動かせずにいる。やはり、前の時のように、亡霊に改変能力が効かない相手だからか。

 毒配人の面が粉々に砕け、中から太ましい顔が現れた。それでもなお殴り続けて、顔面が赤く腫れていく。

「お前らッ……! どうして、俺の、改変能力が、効かない?」

「そんなの簡単だ! 甲には人望があって、オッサンには人望がないからだ!」

「変な面つけて、人のこと中途半端に騙しやがって! 可能な限り殴ってやる!」

「クソが……離し、やが、れッ……」

 毒配人は亡霊になすすべを失くして、身動きできなくなっている。タランチュラ妖精が振り返り、

「今だ、甲! 殺れ!」

「……ああ!」

 ヘラクレス妖精が大剣を引きずりながら迫り、目の前で大きく振り上げる。亡霊二人の小さな悲鳴とともに大剣が毒配人の胸を深く貫き、刃に電流が走る。毒配人は電撃を喰らい続け、全身が揺れている。

「お姉ちゃん」

 スコーピオン妖精が私の横に並ぶ。

 たとえサソリの怪物の姿をしていても、手に持った黒い大鎌と紫の瞳が雪花の名残を残している。

 次はいつ会えるか分からない。もう会えないかもしれない。

 だから、先に言っておこう。

「雪花」

「なに?」

「雪花のこと、気づけなくてごめん。こんなお姉ちゃんで、本当にごめんね」

「……気にしないでよ。わたしだって、いまのお姉ちゃんを望んで選んだんだから」

 雨に濡れた目元を手で拭って、まっすぐ見つめて頷く。

「行こう!」

「うん!」

 同時に走って、それぞれに大鎌を振り上げる。毒配人のデバイスを狙って、大鎌の切っ先が左右両方から貫いていく。

 デバイスはたやすく砕けて、水飛沫と欠片を散らした。




 元の世界に戻ると、夕空が広がっていた。さっきまでの大雨の中の戦いが夢みたいだと思った。

 夢だと思いたかった。

 レールガンで胸を貫かれた雪花、大剣で胸を深く刺された毒配人の宿主。そして、目を見開いたまま動かなくなった甲さん。三人の遺体が、あたりに散らばっている。

 甲さんは意識を乗っ取られていたわけではなかったみたいだったけど、結局死んでしまった。外傷はないはずなのに、デバイスがどこか焦げくさい臭いを発している。

 華ちゃんの方を見る。いまだに、地面に寝そべっている。このまま放っておくわけにもいかず、歩いていって手を差し伸べる。

「服、汚れるよ」

「関係ないですよ。もう、どうだっていーんですから」

 心ここにあらず、といった様子。

 どういう顔をすればいいか分からなくて、それでもにこりと無理やり微笑んでみる。

「ここにいたって、どうしようもないよ。大事に巻き込まれないうちに帰ろう?」

「みんなって、あんたの男は――」

 食ってかかったように見つめて、「ごめん、なさい……」と察したように目が逸らされる。直後、華ちゃんの頬の上に滴がぽつりと落ちたのを見る。

 私はまた泣いていることに気づいた。笑顔も保ってられなくて、足も震えて立っていられなくなり、華ちゃんの身体にもたれかかるようにした。

「分かるよ……華ちゃんの気持ち、すごく分かったよ……」

「華より泣いてるじゃないですか」

「ごめん……本当は、こっちが年上として気を使わなきゃいけないのに……」

「……まあ、こっちは多少覚悟してましたけど、つらいものはつらいですよね」

 そのまま、背中を優しく抱かれる。

 日が暮れるのも構わず、しばらくの間そうしていた。

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