邪推に仕組まれた毒は燃えて、悪巧みの的を射損じる。 1

何かあるから嫉くのではない、嫉かずにいられないから嫉くだけのこと、嫉妬というものはみずから孕んで、みずから生れ落ちる化物なのでございますもの。

                     ――シェイクスピア『オセロー』



 すでに日も照った朝。

 冴えない頭で起き上がり、隣で寝息を立てるはなを見る。わたしも華も、裸のままで寝ることが多くなった。

 最初は嫌いだと思っていたけれど、彼女に向けられる好意がどこかわたしのそれと似ているようなある種の親近感があって、今では一緒に寝ることにもさほど抵抗を感じなくなっている。

 いわゆる、同情なのかもしれない。嫌いではなくなったけれど、今でもわたしが一番好きなのはお姉ちゃんだから。だから、申し訳ないけど、華の気持ちには応えられない。

 もし華がお姉ちゃんだったら、わたしの恋はもっと上手くいっていたのだろうか。そう考えて、すぐに否定する。

 お姉ちゃんがお姉ちゃんだったからこそ、わたしはお姉ちゃんを好きになれた。華が華だったからこそ、わたしは華に気を許せた。誰かが誰かの代わりにはなれるなんてことは、絶対にない。絶対にないと、そう信じたい。

 だからわたしは、決定する。わたしはお姉ちゃんを選ぶ。そして、お姉ちゃんがわたしを選ばないのならば、わたしはズルをしてでも願いを叶えようと思う。

 この恋が叶わなければ、きっと死んだも同然だから。だから、怪物になってでも願いを叶えたいと思うし、叶わなければ殺されてもいい。それがわたしの恋だから。

 華がゆっくりと目を覚ます。生肌の肩をシーツから晒して、胸元を隠したまま起き上がる。目をこすって、すごく眠そうだ。

「おはよー……雪花ゆきか

「おそよう、華」

「……雪花だって遅いくせに」

「もっと早く起きてたよ。ただちょっと、考え事してただけ」

 にこりと笑顔を浮かべる。

 最近、心の底から笑えるようになった。それはきっと、お姉ちゃん以外の、華と深く関わりを持ったからかもしれない。だから、華には感謝している。

 だけど、華はわたしと対照的に、曇るような表情を浮かべていた。

「……臨界機能エリクシードのこと?」

「うん。わたし、使おうかなって思ってて。もしかしたら、本当に願いが叶うかもしれないし」

「途中で殺されるかもしれなくても?」

「……うん。叶わなくなったら、きっと一生引きずると思うから。きっとわたしの中では、世界の終わりも同然になるかもだから」

 わたしの手の上に、華の手が重なる。離れないように、しっかりと握る。

 もしかしたら、わたしは残酷なことを強いているのかもしれない。好きにならないくせに一緒に寝て、その上で華の前からいなくなろうとしている。自分は簡単に願いが叶わないことを嘆いておいて、わたしは華にそれ以上に残酷なことをする。

 少し迷って、覚悟して口を開く。

「華も臨界機能使えば?」

「……え?」

「わたしも華も願いが叶うなら、それに越したことはないでしょ? わたしも華に幸せになって欲しいしさ」

「……そんなの、幸せじゃないよ」

 眉間に皺を寄せて、手を離す。ベッドから下りて、下着と寝間着を抱えて寝室を出る。

 あーあ、怒らせちゃった。

 膝を抱えて座り、大腿に顔をうずめる。おのずと苦笑が浮かんでくる。改めて考えると、さっきのは最低だったなと思った。

 わたしはわたしのエゴしか貫けない、最低なやつなんだと思った。




 廃ビルのなか、窓のない壁から風が吹き抜ける。

 雪花ちゃんに電話で、人気のない場所に呼び出された。絶対に他のやつには知られるなと言われたから、それに従ってひとりで来ていた。

 雪花ちゃんは青っぽいアイドル衣装のようなものを着て、足は服に合わせた青のヒールを履いている。髪には紫の髪留めがついていた。

「なんの用……なんて、言う必要もないか」

「お前さえ倒せば、わたしが怪物になる必要もないから。だからこれが、わたしの最後の抵抗」

「怪物になる必要……なんのことだ?」

「聞いてない? 臨界機能っていう、デバイスの機能を使って妖精になって、四十八時間逃げ切ると願いが叶うって」

「……そういうことか」

 デバイスに触れて、大剣を形成する。向こうも大鎌を形成して、身構える。

「たぶんそれ、騙されてるよ」

「根拠はあるの?」

「あいつはそういうやつなんだよ。現に、俺はあいつに二度も親友を殺された。その機能のせいでね」

「でもそれって、願いが叶えられなかった人たちだよね。もしかしたら、願いが叶うのは本当かもしれない」

「たとえ本当だとしても、君が妖精パーマーになって人に手をかけた時点で、俺は君を殺すつもりだよ」

「人に手をかけてでも願いを叶えたいから、わたしはこうしてお前の目の前にいるんだよ」

 大剣の先を振って挑発する。雪花ちゃんは大鎌を振り上げてこちらに迫る。

 俺のやることはひとつ。雪花ちゃんを無力化して、デバイスを破壊する。もう二度と、あいつによる犠牲者を出さないために。

 迫る間隙にデバイスに触れて、

「ホーク、遠隔機能リ・モード

 視覚が鋭利化する。向こうもデバイスでホーネットの遠隔機能を使用したが、もう遅い。

 目まぐるしい速度で背後へと回り込む一部始終が鮮明に見えた。視界にさえ捉えていれば、あとはそれ相応の動きで対応すればいい。背後に回るところで時計回りに大剣をぶん回し、まずはその胴を切り裂こうとした。

 しかし、すんでのところでそれはかわされる。切っ先がわずかにふわりと舞った衣装の端を裂いていくだけに終わる。

 ホーネットの加速とホークの視覚の鋭利化が同時に終わった。お互いに肉薄させた大鎌と大剣が、その間で刃を交える。

 純粋な力量差では明らかにこっちの方が上で、少し手を抜いて会話を試みる。

「いいのかい? こんな決闘に、大層そうな服なんか着てきちゃって?」

「決闘って、そういうものでしょ? むしろ、お前のその私服の方がマナーがなってないんじゃない?」

「おあいにくさま、親に恵まれなかったもんでね! だから、君が今のうちに降参してデバイスを捨ててくれたら、その服も無傷で済むんだけどね!」

「わたしの親だってロクデナシだったけど、他人の一張羅を破ろうとするやつはどうかと思うよ!」

 抜いていた力を一気に加えて、拮抗する体ごと突き飛ばすように勢いよく押した。

 雪花ちゃんはヒールの踵のバランスを崩して、その場に尻もちをつく。手から大鎌が弾き飛ばされて、遠くの壁まで投げ出される。

 大剣でデバイスのみを破壊することは難しい。桜花さんのためにも、雪花ちゃんはなるべく無傷で帰したい。

「タランチュラ、再構築リ・ストラクチャリング

 デバイスに指示を出すとともに、背中から太い金属の四本の義腕が出る。すぐに大剣を捨てて、デバイスに触れようとした彼女の両の肘関節を手で押さえて馬乗りの体勢で向き合う。

 雪花ちゃんは、ただ渋面を浮かべていた。

「この体勢、あいつに犯されてる時のことを思い出しそう」

「あいつ……?」

「聞いてない? お姉ちゃんがお父さんに犯されかけた時、お父さんを撃ったのはわたしだよ」

 口元を歪ませて、じとっと見据えられる。それは引きつったような、今にも壊れてしまいそうな悲痛の笑みだった。

 義腕を動かしてデバイスへ伸ばしたところで、なおも言葉を続ける。

「男って、みんなそうだよね! 自分勝手に、わたしからなにもかもを奪おうとする! わたしの初めても、お母さんも、お姉ちゃんも、わたしの欲しかった未来も!」

「……君は、もうお姉ちゃんに執着するのをやめたほうがいい。ただ傷つくだけだし、いずれ身を滅ぼす」

「なにそれ。まるで、わたしの恋が叶わないとでも言っているみたいに――」

「ごめん。君の願いを叶えるのには協力できない」

 目に映るのは、笑みが消えて怯えたような顔。

 あの時見た、桜花さんとのキス。あの時はそういう感情に理由をつけて目を逸らしていて、雪花ちゃんのそれを理解できなかった。だから、あんなものも些細なことのように思えていた。

 だけど、いまはもう、そうではなくなった。デバイスを破壊したって、彼女を救うことはできない。それをする勇気が、いまの俺にはない。

 俺にとっての桜花さんは、取り返しのつかないほど大きな存在になっていた。彼女がそうさせてしまったから。

「彼女から、キスされたんだ……桜花さんはまだ未成年だし、いまはまだこれだけだけど、どのみち俺はこれからの君を傷つけることになるかもしれない」

「そう、なんだ……」

「こっちも協力できることがあればするから! だから、桜花さんのことは諦めて、新しい人生を生きてほしい!」

「……そっか。そうなんだ」

 デコイ体の紫の瞳にきらりと光が反射する。同情の念を抱きながらも、これが雪花ちゃんの人生を救うことだと思い、義腕をデバイスに振り落とす。

 それと同時に、雪花ちゃんが叫んだ。

「華ァ!」

 直後、大きな鉄腕に脇腹を殴られる。

 身体は壁に叩きつけられ、デコイ体が脳震盪を起こす。柱の影から、ショベルアームを伸ばした一人の少女が現れる。確か、前に雪花ちゃんと一緒にいた子だ。

 雪花ちゃんが大鎌を拾って、こちらに迫る。俺は身体がふらついて、次の攻撃に対応できそうにない。

「……雪花の邪魔はさせない」

「こっちが呼んじゃいけないとは言ってなかったから」

「君は友達なんだろ? これでいいのか? このまま俺を殺したら、雪花ちゃんは絶対桜花さんに嫌われる。そしたら、どのみち雪花ちゃんは壊れるかもしれない!」

「命が惜しいか、お姉ちゃんのことが惜しいのか知らないけど。華を揺さぶっても無駄だよ。華はちゃんと、了承してくれたんだから」

 地面を蹴って走り出す。デバイスに触れて小さく呟くとともに、その身が加速して消える。その身が一瞬で肉薄して。

 俺の首が飛んだ。

 次に見えたのは、首の切断面から赤い閃光を迸らせ、首から下のいたるところを切り裂かれて閃光を散らす自分の身体だった。

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