止まらない奸計、壊れていく雪の花 2

 建物の屋上にて甘宮桜花あまみやゆきかの追跡中、突如ぱたりと音が消える。再構築空間インナースペースが展開された。

 オペラグラスで姉のことを追っていた雪花ゆきかが、オペラグラスを下ろしてはなを見る。

妖精パーマーが出た」

「うん。デバイスは解除しとく?」

「いざという時に動けないから、やめておこう。それより、お姉ちゃんは確実に妖精を追うから、そっちが心配だよ」

 雪花がオペラグラス越しに桜花を追う。華もデバイスで右腕のショベルアームを拡大させて身構える。

 ふと、背後に気配がして振り返る。カラスの面を着けた大男、毒配人ポイズンディーラーだ。

「妖精はいま、病院で暴れまわっているところだ」

 雪花に先んじてショベルアームをなぎ払う。しかし毒配人は黒い羽根を散らし、いつの間にか雪花のすぐそばへと移動していた。雪花の肩に腕を載せて、肩をすくめる。

「俺はただ、知らせに来ただけなんだがな。なんとも手厚い歓迎で涙が出る」

「それより、さっきのは本当?」

「信じるか信じないかは勝手だが、果たしてこれを聞いて悠長にしていられるかな?」毒配人が鼻で笑う。「今回の妖精のもとになっているのは、お前の父親だ」

 雪花は途端に目を丸くして、武器を構えて飛び出そうとする。

「行くよ! 華!」

「あ、うん! ……で? あんた、どういうつもり? あんたが人間を妖精にして回ってるの?」

「どうだか。しかし、俺はただ知っているとしか伝えるつもりはない」

「……そう。もし雪花に手を出したら、華は絶対許さないから」

 カラスの面の、深い暗闇のようなふたつのくぼみを睨みつけてから、雪花の後を追う。あいつはなにかを企んでいる。バカな華でも、そんなことがよく分かる。

 雪花に追いついて、そのまま病院までの距離を屋上づたいに跳んでいく。目的地が最初から分かっていたために、結構早く着いた。

 探知機の敵アイコンは、確かにここを表している。病院の近くの建物から、伸ばしたショベルアームで適当な窓を叩き割る。そこから、そのまま病院に蹴り込むように侵入する。

 入ってすぐに時が止まった病室を抜け、男の叫び声が聞こえた方向に二人で廊下を走っていく。

 階段を下りた先の踊り場に妖精はいた。放射状の細くて赤い花弁をつけた、ヒガンバナのような人型の怪物。再構築空間の影響を受けていない小学生くらいの女の子の細い首を、細い蔓のような手で絞めている。

 すぐに飛び出して、ショベルアームで後ろから花弁を殴りつける。怪物は女の子から蔓を離し、壁に弾き飛ばされる。

「なにやってんだ!」

 左手を腰に据えて、その怪物を睨みつける。本当にこいつが毒配人の言った通りなのだとしたら、華はこいつを許せない。だけど、きっと華よりも雪花のほうがずっと許せないはずだ。

 怪物は太ましく肥大化した茎から大きく単眼を見開き、華たちを見る。

「お前らガキはお呼びじゃねえんだよ! 早く甘宮桜花を出しやがれ!」

「……あんた、本当にあいつなの? 甘宮彼岸なの?」

「ああ、『俺』はそんな名前だったな。いまは妖精の身体として、俺が乗っ取ってやったがな」

「そっか。……なら、気兼ねなく。ホーネット、遠隔機能リ・モード!」

 雪花の身体が消えて、怪物の花弁が文字通り華々しく散る。全ての花弁がむしり取られ、腕のようになった蔓がちぎれ飛ぶ。次に雪花の背中が見えた頃には、四肢も花弁が辺りに散って、傷口から緑の閃光をあたりに散らした、太い茎だけの身体になっていた。

「あんたにお姉ちゃんは穢させない。あんたにお姉ちゃんを近づけさせない。あんたには二度と、お姉ちゃんを目に入れさせない……」

 雪花が鎌を捨てる。歩きながら「ホーネット、再構築リ・ストラクチャリング」と、短剣を形成して、屈み込んでそれを真っ先に怪物の単眼に突き刺した。

 デバイスのついた腕は少し遠くに飛んでいた。これを破壊して、妖精にデバイスをかざせばすぐに終わる。だけど、いまの雪花にとって、そんなことは関係ない。

 いまが、いままでの復讐を果たすためのチャンスなんだ。そうだと分かるから、華はそれを邪魔できない。

 女の子の方へ歩み寄って、その目を手で覆う。女の子が怯えた様子になっているのを見て、「だいじょーぶ……だいじょーぶだから……」とただそばで囁いた。

 怪物の単眼は完全に潰れて、雪花は短剣でやたらめったら茎を切り裂いている。繊維に沿ったり、あるいは繊維を断ち切ったりしながら、散り散りになっていくそれに向けて淡々と、聞き取れない声で呟いている。

 この光景から目を逸らしてはいけない。

 雪花の違う一面から目を離してはいけない。

 だってこれは、華も築き上げるのに加担してきた、雪花の昏い感情なのだから。

 ただ切り裂かれていく怪物の姿を見守っていたところで、逸るような足音が遠くから聞こえる。それはどんどん大きくなり、やがて華の視界の端に甘宮桜花が現れた。

「雪花!」

「……あっ、お姉ちゃん! わたしね、あいつをついに殺したんだよ」

「あんたまさか、お父さんだって分かってて殺したの?」

 いまだ茎を切り刻む雪花の右腕を掴んで止める。雪花は眉をひそめて手を振り払い、なおも作業を再開する。

「やめて、雪花……お父さん、もう死んだようなものでしょ……」

「だめだよ、こんなものじゃ。こいつの罪は、そんな簡単に贖えないよ」

「雪花……」

「邪魔しないであげてください。雪花は色んな人の手で、いっぱい傷つけられたんです……お願いだから、今だけは邪魔しないで、目をそらさないであげてください……」

 甘宮桜花がその場でぴたりと留まる。こいつなりに、罪の自覚はちゃんとあることにびっくりした。

 茎の繊維はどこまでも散って、もはや原型を留めなくなっている。雪花の気が済むまで、少なくとも華は待つつもりだ。

 そうしているうちに、ふっとすぐ背後に気配を感じる。

 この感覚は知っている。これは――。

「お熱いねえ。娘にここまで恨まれて、こいつはさぞ幸せものだろうなあ」

「毒配人!」

 女の子を庇ったまま、背後に退く。甘宮桜花が、デバイスを起動して盾を出す。

「どうだ? 妖精の元の姿が父親と知りながら、短剣で身体をみじん切りにしていく妹の姿は?」

「元はといえば、あんたが仕組んだことでしょ!」

「俺はデバイスのある機能を使えば、なんでも願いが叶うと教えただけだ。デバイスのなかのシークレット機能、臨界機能エリクシードをな」

 その言葉に、雪花が手を止めて振り返る。華も、大男を見上げる。

 それは本当だろうか。もし本当に願いが叶うなら。

「桑名さんは、なにを願ったの?」

「あいつは親友の蘇生を願ったのさ。そして、自らを妖精にする代わりに、親友を亡霊として蘇生させた。あいつはなかなかのバカだったよ」

「そんなの、元も子もないのにどうして……」

「ところが、だ。実は例外があってな。妖精になって四十八時間逃げ切れれば、デバイスに残った宿主の意識は妖精の身体を逆に食い破れるんだ。しかし、逆に精装者にデバイスを破壊され、妖精をデバイスに鹵獲されてしまえば、それですべて終わりだ」

「だけど、そんなこと一度も……」

「これを言ってしまえば、お前たちは特になにも考えず使ってしまうだろう。だから、きたるべき時が来るまで決して言わなかった。そしていま、そんな願いに心当たりのあるやつが、ここにいるんじゃないのか?」

 毒配人はぐるりと見回す。

 それは華か、雪花か、甘宮桜花か、あるいはこの中の全員か。

 きっと全員、叶えたいほどの強い願いがある。だけど、怪物になって、殺されるかもしれないという覚悟をしてまで願いを叶えようとする人間など、そういるはずもない。

 きっと、嘘だ。そう思わなければ、いまにも簡単に揺らいでしまいそうだった。

 雪花を見る。その目は毒配人をまっすぐ見つめている。

「さあ、わかったならさっさと閉幕にしてくれ。叶えたい願いがあるならば、こんな小さい輩で満足していないで――」

 毒配人のフードを赤いなにかがかすめて、床を穿つ。頭上を見ると、青年が赤い金属の翼で急降下してくる。確か、金城甲かねきこうとかいう、雪花の恋敵だったか。

 手に青い光を放つ大剣を携えて、毒配人に迫る。

「覚悟しろォ! 毒配人ポイズンディーラーァ!」

 毒配人はそれを避けようともしない。まっすぐ受け止めて、そしてまた黒い羽根を散らして消える。金城甲は空振って、勢いづいて踊り場の床に大剣を突き立てる。

 遅れて、赤い鷹を模したクロスボウがすぐそばを落ちて、カツンと音を響かせる。

「おい、やけに血気が良いじゃないか。二度も親友を殺したのはさすがにショックだったか?」

「お前がすべて仕組んだことだから……お前が死ななきゃ、これからも悲劇は終わらない……!」

「俺は人に希望を与えているだけで、どうするかは主にお前たちの勝手だよ」

 この状況をどうするかと見回すと、デバイスが破壊されていることに気がついた。先ほどのクロスボウの攻撃で当たったのだろう。雪花は急に萎れた茎を、ただ呆然と眺めている。

 もう、満足したのだろうか。どのみち、これ以上やることなどないはずだ。

「ごめん。後ろ向いててね。もうすぐ、元通りになるから」

 女の子を壁の方へ向かせて、萎れた茎の方へ歩み寄る。デバイスをかざすと、ヒガンバナのアイコンが画面に表示される。

 地面から大剣を抜いたところだった金城甲が叫ぶ。

「どうして……!」

「あんたらほど、華たちはヒマじゃないと思って。でしょ、雪花?」

 雪花はなおも夢心地に、明後日の方向を見つめていた。

 世界が崩壊する。天井が、階段が、床がバラバラに分解されていく。そうして、再構築空間はまたも閉じられる。

 なんでも願いを叶える臨界機能。きっと雪花は、お姉ちゃんのことを願うはず。

 だけど華には、夢はあるけど覚悟がない。怪物になって、人を殺して、逆に殺されるかもしれない覚悟。それを得るには、あまりにも全身に怯えが回っていた。




 翌日、雪花の父親だった甘宮彼岸が、病院のベッドの上で惨殺されていたとニュースで報じられた。

 雪花は昨日からぼーっとしている。もしかしたら、本当に臨界機能を使うのかもしれない。

 もし雪花が臨界機能を使って、他のやつらのように怪物になったら。華は戦えるだろうか。可能であれば、殺せるだろうか。

 きっと、戦えないし殺せない。殺す必要がない。たとえ自分の気持ちが報われなくても、雪花には生きていてほしいから。

 雪花が結果的に幸せになれるなら、それでいいと。

 そう、思うことにした。

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