その甘い毒は、うだるほどに熱く。 2

 夕方から始まった営みはあっという間に過ぎて、気づけばもう夜更けになっていた。

 コンビニで買い物を済ませて家路に向かう。雪花ゆきかはいつもより疲れたみたいで、はなの部屋で眠っている。華も疲れていないわけでもないけど、こうして外に出ていると火照った熱を冷ますのにちょうどよかった。

 朝昼用の二人分のご飯に、いつもは買わないプリンを二人分も買ってしまった。わがままを無理に通したことに対するお詫びと、これで気を引けたりしないかなという下心。少し前までちょっと気に食わなかったクラスメイトというだけだったのに、本当によく尽くしてしまっているなと自分でも困惑している。

 料理してみようかな、と少しだけ思っている。

 雪花は買ってくる弁当に対していつも「味が濃い」「くどい」「お腹がおかしくなりそう」と言う。甘宮桜花あまみやゆきかの作るご飯に慣れきっていて、コンビニでご飯を買うことはあまりなかったらしい。自分の家では考えられないことだった。

 今から一歩ずつ頑張っていけば、いつかこっちに振り向いてくれるかもしれない。そう思ったら俄然やる気が出てきた。

 勝手に笑みをこぼす口元を押さえて歩いていると、途中で足が止まる。

 まるで遠い彼方の記憶のように忘れていた、わたしの仲良しだったクラスメイトの子たち。見つめる先に制服姿の彼女らがいて、こちらを見つけてしまう。

「あれ、凜々原りりはらじゃん! 久しぶり!」

「今日は休みじゃなかった?」

「やめなよ。今日は、じゃなくて今日も、なんだから」

 重なる笑い声とともに近づいてくる。少し前まで仲良しだと思っていた彼女たちが、今では苦手になっていた。それは気まずさからか、雪花と一緒にいて戻れないところに来てしまったからか。

 とりあえず、作り笑いで対応する。

「えーと、あのねー……」

「それ私服? ダッサ……独特だね」

「ていうか、こんな時間にコンビニ弁当? 親は作ってくれないの?」

「凜々原んち、シングルマザーなんだよ。それにしたって、ひどい親だと思うけど」

「ていうか、それならこいつが自分で作れば良くない? まさか出来ないってこともないだろうしさ」

「メシマズとか?」

 言葉には悪意が感じられた。だけど、それに対して華はなにも言えなかった。

 取り繕って人と接するということが、いつの間にかわからなくなっていた。それだけ、雪花の前では気楽でいられたということなんだろう。人生で最も恥ずかしいところを見られたような相手だから、もう何をさらけ出しても問題ないような安心感というか。

 逃げだしたい。だけど、ここで逃げだしたら、今度は雪花に迷惑をかけるかもしれない。上手くやらなきゃいけないけど、言葉がまったく出てこない。

 雪花もこんな思いを抱えていたのかな。だったら、あんなことされても当然だったのかもしれない。だって、今にもすごく殴りたい気分だったから。

 コンビニ袋を持つ手がせわしく揺らぐ。考えたことにためらっていると、ミニスカートのポケットに入れたスマホが通知音を鳴らす。

 どうしようと思っていたところで、クラスメイトに取られてしまった。

 スマホの画面に、それぞれが興味津々に集まる。

「誰? お母さん?」

「……雪花?」

「えーと、『いま、どこ出かけてる?』……だって」

「雪花って、甘宮? あいついま、家出してんじゃないの?」

「そういえばこいつ、雪花が家出したあたりの日に学校行かなくなってたよね」

「匿ってるとか?」

「でも凜々原、甘宮のこと嫌いだったはずじゃ……」

「そもそも、こいつも学校休んで何やってるの?」

「家で毎日ヤッてんじゃない?」

「バカ、両方女だろ」

 顔の火照りに構うこともなく、スマホを強引に引ったくって取り返す。この空気があまりに耐えられなかった。

 その弾みでクラスメイトが尻もちをついて、他の面々が心配そうに集まる。突き飛ばされた子は面白そうな面持ちで立ち上がり、華の間近に寄る。

 すぐに手で顔を隠しても、逆効果にしかならなかった。

「……あれ? もしかしてマジ? あんた、散々イジメてた相手とヤッてたの?」

「てか、凜々原ってレズだったんだ。マジでそういうのいるんだ……」

「そういえば、前に甘宮のヘアピン取ってたりしてたよね。あれ、まさか使ったとか?」

「さ、さすがに使ってない……」

 思わず言い返してから気づいてしまう。これだと、先のことは認めたようなものじゃないかって。

 雪花にあんなことされるまで、華はそういうことはなにも知らなかったんだから。使うはずがないし、それに華は雪花が好きであって女の子が好きとかではない。アイドルは好きだけど、あれはただの憧れであって、別にそういう目で見てたわけじゃない。

 それに、目の前のこの子たちには、まったくその気になれないから。

「つまり、凜々原がアレなのは事実、ってこと?」

「マジか……下手したらあたしらも襲われてたってことじゃん」

「いくらこいつがレズでも、ところ構わず襲わんでしょ。まあなんにせよ、対象が甘宮で良かったけどね。だってわたしら、普通だし」

 我慢の限界だった。

 華だって雪花だって普通に人を愛してるつもりなのに、それを否定された気がした。華が初めて好きになった相手が普通でないと言われているようで、それが許せなかった。

 リーダーっぽい子の胸ぐらを掴んで、

「死ね!」

 さっきとは違う熱っぽい感情のままに、今度は明らかに悪意を持って突き飛ばす。もっと上手く言えただろうと後悔しながら、すかさずその間を縫って走り出した。

 もうなんでもよかった。今すぐ雪花のところへ行きたかった。雪花と一緒にいられれば、誰に見られなくてもいい。それが一生続くのなら、他の誰にも、ママにも愛されなくてもいいと思った。

 いま思えば、雪花は華の偶像アイドルだったんだ、と思った。元から華が抱いていたのは憧れで、今はその関係が変わっただけ。

 幼い頃、テレビのアイドルを見ていたように、いまの華は彼女に認められたくて、救われたかったのだ。

 そう気づいて、息を切らしてもなお走り出す。




 起きぬけの雪花の髪はボサボサで、その上に下着の上下だけ着けている状態だった。それがあんまりにだらしなくて、思わず笑ってしまった。

 髪を手ぐしで直そうと思ったけど、「先にご飯」と止められた。

 雪花がトマトソースパスタ、華がオムライスを選ぶ。それとともに、それぞれプリンを添えている。

 雪花がプラスチックのフォークを袋から取り出しながら、ぶつぶつ小言を言う。

「帰ってくるの遅いから、なにかあったのかって心配しちゃったじゃん」

「ごめん。ちょっと、クラスの子に会ってて……」

「えっ、それ大丈夫? 気まずくなかった?」

「まあ、ちょっとねー……」

 プラスチックのスプーンでオムライスを端から削って、口に入れる。空きっ腹ということもあって、いつもより美味しく感じる。

 その一方で、雪花はパスタをトマトソースに絡めて口に入れて「味が死んでる……」とつぶやいた。やっぱり、早く料理を覚えたい。

「なんか言われた?」

「……雪花が家にいるの、バレちゃった」

 雪花が怪訝な顔をする。

「それだけ?」

「それだけって! それはバレちゃまずいことでしょ……」

「別に学校のことなんかいいんだよ。そうじゃなくて、華がなんか言われたのかって」

「……家で毎日ヤッてるんじゃないかって。それで、華のことをレズだって」

「あは。まあ、ヤッてるのは事実だよね」

「そうだけど……別に、華は雪花が好きってだけだし……」

 そう言っていると、雪花はソースの混ざったパスタをぐるぐる巻き始める。戸惑いながらしばらく見ていると、突然それを口に押し込まれた。

 トマトソースの味か、雪花のフォークで食べさせられたからか。それは甘酸っぱい味がした。

「どうよ?」

「……っいきなりなに?」

「照れてる照れてる。あんた、どんだけわたしのことが好きなの」

「どれだけって……多分、アイドルと同じくらい……」

「つまり、わたしはアイドルだったのか。アイドルとエッチって、なんかイケナイ感がすごいよね」

「……アイドルをそんな目で見るの、サイテーだよ」

 いざ口にすると恥ずかしくなってきた。

 雪花が余計なことを言うせいで、アイドル衣装の雪花が頭に浮かぶ。ベッドで衣装を振り乱して、誘うように手を広げる雪花。確かにイケナイ感じがすごかった。

 雪花は華のその様子を面白がりながら、またパスタをぐるぐる巻きはじめる。

「まあ、なんだっていいじゃん? たとえレズだろうがなんだろうがなんだっていう話よ。わたしがそうだったからお姉ちゃんが一番魅力的だなと感じたのだとしたら、それはそれで結果オーライって思うし」

「そう、なのかな……」

「少なくともわたしの好きは、簡単に取って代えられるものじゃないから。実際、好きでもない加齢臭のする男に抱かれるのって最低だよ。たとえ金が積まれても、二度とやりたくない」

 オムライスもまだ進んでないのに、またも巻いたパスタを口に押し込まれる。

 いつものアレだと思って、口に入れて飲み込んでから怒る。

「あーもー! ちゃんと食べなよ!」

「華だって、前に欲しくもない唐揚げ渡してきたでしょ!」

「それは、ごめん……」

「まあ、それはともかく。ほら、華ちゃんの大好きな雪花ちゃんが食べさせてあげるから! 食って!」

「自分でそれ言うー……まあ、いいけどさ……」

 巻いたパスタを、またも押し込まれる。ティッシュで口を拭ってもらってから、「あとは自分で食って」と迫るパスタを押し返す。

 こっちのことは好きにならないくせに。そんなことを思いながらも、この時間を喜んで受け入れてしまう。

 この時間が永遠に続けばいい、と改めて思う。いつか、雪花の瞳の中心に捉えられる日が来るかもしれないから。




 昨日はプリンを食べながら音楽番組を見て、好きなアイドルにケチをつける雪花に精一杯の解説をして、ベッドでもう一回行為に及んでから眠りについた。

 今度は寝つけない華を小馬鹿にする雪花から誘われてしてしまったが、今思うとあれは気を遣われたのかなと思ってしまう。

 寝不足に痛む頭を起こすと、隣に雪花がいなかった。珍しいなと思って、下着と寝巻きを着込んで、鈍い腰を上げて洗面台へ行こうとする。途中、閉じた扉の先からシャワーの音がするのに気づく。

 扉の前で入るのをためらっていると、シャワーの音が止まり、少ししてから扉が開いた。

 湯気の立つ、血色のいい肌。濡れて輝きを放つ髪。タオル一枚で巻かれてるだけの細身の身体に、また身体の内側から悶々としたものが湧き上がってくる。

「おう、おはよう。シャワー借りてたよ」

「……下着くらい着けてよ」

「別に裸くらい見慣れてるでしょ……って、ああなるほど……」

 にやついた笑顔とともに、扉が閉じられる。衣擦れの音がまたそそらせてしまうため、途中から指で耳に栓をした。つくづく、自分の年頃の想像力を恨んでしまう。

 扉が空いて、雪花が出てくる。今度は下着をつけた上でバスタオルを肩から被せていた。指を戻して、なんでもないようにする。

「おまたせ……おっ、ついに音だけでも欲情するようになったか」

「いーからどいて。顔洗うんだから」

「ふーん……ああ、そうだ。華の部屋の棚に入ってる、あのフリッフリの衣装借りていい?」

「……なんでよ」

「大丈夫、安心して! 退屈はさせないから!」

「……汚さないでよ」

 すれ違うように脱衣所に入る。浴室から、雪花の使ったシャンプーとボディソープの混じり合ったフローラルな残り香が漂っている。リンスはめんどくさいからと、ほとんど使ったことがないと前に聞いた。

 洗面台で顔だけ洗って出ようとして、パンツの中が若干濡れていることに気づく。結局、シャワーも浴びることにした。

 下半身に当たるシャワーの刺激に誘惑されながらも、無心を努めて頭からつま先まで洗う。下着を替えて、着替えを忘れてたからまた寝間着を着た。

 自分の部屋に戻ると、雪花がフリルのたくさんついた青いアイドル衣装に身を包んでいた。背中からくるりと振り返り、百貨店の手のひらサイズの紙袋を振る。

 華が前に買って、渡しそびれたまま棚に閉まっていたものだった。

「面白いもの見つけたんだけど」

「……いーよ」

「えっ」

「それ、雪花にあげよーって思ってたやつだから」

「じゃあ、遠慮なく」

 テープを開いて、中からヘアピンを取り出す。紫の花の模様がついたヘアピンだった。

「紫?」

「雪花といえばそうかなって……」

「なにそれ。腹黒だって言いたいの?」

「それは事実だと思うけど。まあ、そうじゃなくて、雪花の鎌の色が紫だし……」

 初めて再構築空間インナースペースに入ったあの日。あの時の雪花は、かっこよくて綺麗だった。散々ひどいことをした華を守ってくれる紫の勇敢な瞳に、あの時強く目を惹いていた。

 ヘアピンを髪に着けて、くるりと回って「どうよ?」と聞いてくる。

 もちろん、答えは決まっている。

「似合ってるよ」

「そっかそっか。わたし、アイドルとか目指しちゃおうかな?」

「桜花さん以外の人にも愛想振りまけるの?」

「……それは無理かな」

 ぼすっと、ベッドの上に足を組んで座る。

「それにしても、なんでこんなもの持ってんの?」

「その……ちょっと、一時期の気の迷いというか……」

「へえ、いいじゃん。いいと思うよ。華がアイドルになったら、わたしも惚れるかも」

 ぐいと顔を迫って、顔が熱くなる。勢いづいて後ろに退きすぎて、後頭部を壁にぶつけてしまった。

 アイドル、か。

 いままでただ見てる側だったけど、雪花の目を惹けるなら目指してみるのもいいかもしれない。たとえそれが適当なお世辞でも、華はそれを本気にしてしまう。

 初めての肉体関係の相手で、こっちのことなんか全然好きになってくれない大好きな親友に言われて、本気でアイドルを目指そうと思った。

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