その甘い毒は、うだるほどに熱く。 1
家のチャイムが鳴って、リビングでびくりと身が跳ね上がる。
ママにしては早すぎだし、宅配便に覚えはないし、誰かを呼んだつもりもない。悪質セールスか不審者か、あるいは学校の誰かか。
おそるおそるドアスコープを覗いてみると、そこには見覚えのある顔があった。
高校の制服を着ていて、
即座にドアスコープを手で塞いで、扉越しに訊く。
「どちら様ですか?」
「
まさか、バレた? いつバレた?
先日の追跡で声を掛けられたタイミングからか、それとも初めて見たあの一件からか。
だとしても、どうしていま華の家に来たのか。
「この前、妹と一緒にいるのを見て、それで担任の先生に聞いたんだ。そしたらね、友達かは分からないけど、それは
「……雪花のことなんか知りませんよ。帰って下さい」
「まだ雪花とは言ってないはずなんだけど」
「…………」
「やっぱり。なにか隠してるんだ?」
柔らかな口調から一変して、雪花に似た鋭い声。
帰ってほしい。錠を下ろして扉を開けたら、雪花は連れ戻されてしまうような気がするから。たとえ雪花が本当は望んでいたとしても、華にとっては嫌だから。
たとえあっちが華ではなく甘宮桜花のことばかり見ていて、ただ華は利用されているだけだとしても、ずっとこのままでいてほしい。この家から雪花を出して、甘宮桜花のもとへと帰してしまったら、また他人同士の関係に戻ってしまうような気がするから。
「別に扉も開けなくてもいいし、なにも言わなくてもいいけど、担任の先生にはちゃんと報告するからね。もしかしたら、華ちゃんが雪花を匿ってるかもしれないって」
「知らないです! 甘宮といえば雪花だなーって思っただけで、だけど本当にそれだけで……」
どうしようと思っていると、雪花がリビングからドア枠越しに顔だけ見せる。
華を気遣わしげに見つめて、
「どうしたの、華? セールスなら下手に反応しないほうがいいと――」
「やっぱり、そこにいるの?」
切迫した声に、雪花までもが気づく。口元を人さし指で押さえて手で払うようにして、雪花を戻してから覚悟を決めて扉の方を向く。
「もう担任に言うなり、なんなりしたっていーですから。とにかく、帰ってください」
「帰らないよ。このまま逃げてたって、お互いにいいことなんてなにひとつないんだから。手遅れになる前にちゃんと話し合って、それでまた雪花と一緒の日々を過ごしたいと思うから。だからまずは、雪花と話し合いたい」
「いま、雪花の帰る場所はここですよ。そもそも、あんたが雪花を傷つけたから。だから、あんたのいる場所が帰る場所じゃなくなったんじゃないんですか?」
「うん、知ってる。そのことを含めて、私は雪花と真剣に向き合うつもりだから。だからもう、あなたが雪花のことを匿う必要なんて――」
「知りませんよ、そんなこと」
思った以上に、冷ややかな声が出た。
途端、いままで体内に渦巻いていたもやもやが一気に吐き出されるように、堰を切ったように溢れ出す。
「華は好きで雪花といるんですから。てゆーか、なにが分かってるんですか。いままで雪花が抱いた想いも、雪花がいままでなにをされていたかも知らなかったくせに。家族のくせに、自分が寝ている間になにが起きていたかにも気づかなかった間抜けのくせに。だから雪花のことも平気で傷つけられるんだ」
「そうだね。でも、だからこそ、逃げずに話し合いたいんだよ」
「そうやって、きっと帰ってもまた傷つけるんでしょうね。あんたはきっと、そーいう人間なんだ。なのに、華のほうがずーっと雪花のことを見てるのに、雪花はいまも華じゃなくてあんたのことばかり見てる。あんたはもう、充分恵まれているくせに……」
「……どういうこと――」
「ほら分かってない! そーいうところが雪花を傷つけるんだ。雪花は、あんたから一番に愛して欲しかったのに。それが華なら簡単に解決してたのに、よりによってあんただったから。あんたのせいで、雪花も華も不幸のままでしかいられない」
決して表に出さない、出せなかったものが吐き出されて、それとともにじわりと涙が溢れてくる。
初めはちょっと気になって、無視されてムカつくと思ってただけだったから、ここ最近の抱いていた想いの変化に少しだけ戸惑いがあった。だけどそれが雪花に影響されたものだとしたら、その変化も簡単に受け入れられる。
だから、その想いをこの身に定着させるように、いまここでしっかりと言葉にする。
「華は、雪花が好きなんです。幸せになりたいし、幸せにしてあげたいんです。だから、帰って下さい。二度と関わらないで下さい。雪花があなたのことを忘れられずにいる限り、華たちはずっと、ずーっと幸せになれないから」
言い終えて、途端に力が抜けるように扉からずり落ちる。ドアスコープから家が丸見えになってしまった。それでも、立ち上がる力もないまま、ただ跪いたままになる。
「……好き、か」
感慨深げなため息が、扉越しから聞こえる。
「好きときたか―……」
「悪いですか」
「……いや。色々驚いたけど、本気で想ってるのは分かった」
「じゃあ……」
「担任の先生には言わないでおいてあげる。いまはまだ、無理やり連れ戻すこともしない。その代わり、いつか雪花自身の考えた返事を、あなたから私に聞かせて。雪花の返事を聞いて、そこからどうするか考えたいから」
返事ができないまま、ただ扉越しの足音が遠くなっていくのを聞いていた。
そんな話、言い出せるわけがない。どうやっても華が望む答えなんて出ないから。
だけどそれを、結局言い出すことはできなかった。
リビングに戻ると、雪花が敷居のわきにもたれかかっていた。雪花の着ている外着用だった黄色のワンピを見て、笑みがこぼれそうになるのをいまは抑える。
華が目を伏せてそのそばを過ぎ去ろうとすると、後ろから手首を掴まれた。
「待って」
「……なに?」
「どうして、わたしにそこまでしてくれるの?」
「雪花がいまでもお姉ちゃんを守る理由と同じだよ。ただ、それだけ」
握られる手が強くなる。
彼女にしては珍しいな、とわたしは思わず振り返った。
「わたしのせいで華がいま苦しんでるなら、それはごめん」
「……ごめん、って」
その言葉が、ずきりと刺さるようだった。
それがきっと彼女の紛れもない善意なのだと分かってる。だけど、あまりにもそれは純粋な悪意を向けられるよりもずっと痛くて、いたたまれなくなる。
華を見つめててほしかった。決して振り向いてくれない人の後なんか追いかけないで、ただ華の方に振り向いてほしかった。
前と比べて、いまはだいぶ華を見てくれるようになった。だけど彼女の瞳の中心は、いまでも甘宮桜花を捉えている。
抵抗したかった。なにもできないまま、負けたくなかった。万が一にも、華のしたことが彼女を振り向かせて、華と雪花が幸せになれるかもしれないのなら。
「じゃあ、責任とってよ」
「え……」
ヘアピンを取られた時に見た、目を丸くしたような顔。その顔を見ると、なぜだかあの時みたいにぞくぞくしてくる。
「殴られたり、蹴られたり、犯されたりしてさ。その上に散々家に泊まって、ご飯三食用意して、ずっと学校を休んだりもしたのに。それで、挙げ句の果てにはごめんなさいだなんて……」
「は、反省してるし、感謝だってしてるよ! 泊まった分のお金はいつかちゃんと返すつもりだし、いまでは華も嫌いじゃなくなったし、なんならわたしにとって一番の親友だって――」
「それじゃ、ダメなんだよ」
掴まれた手を掴み返し、ぐいと引っ張る。純粋な力の差なら、彼女より華の方が上だった。
この子は、体育がとても苦手だから。
中学二年になってからずっと見ていた。こっちを見てほしくてずっと頑張った。その過程で何度も傷つけようとしちゃったのは、自分のプライドの高さを見直さなきゃだけど。
だから、雪花のことは華が一番見つめていたと思う。そしていまでは、一番雪花のことをよく知っている。
「どうしたの? ねえ!」
「うるさい! 実際はひどいシスコンでひ弱でスケベなことしか頭になくて好きでもないのにスナック感覚で人にセックスするくせに、常に人を見下したような顔して! そのくせ、いまさら『ごめん』だとか『どうしたの?』だなんて、あんたほんと大っ嫌い!」
「華……」
裏腹の言葉が、口をついて出る。その度に、心はどんどん真っ向逆の方に向かっていって、どこまでも張り裂けそうになる。
まだカーテンを閉め切っていた自分の部屋まで引っ張って、ベッドへと弾き飛ばす。一瞬、痛くなかったか心配になったけど、振り切ってその上に押し倒す。華の私服だったワンピを強引に脱がし、華のなけなしの小遣いをはたいて新しく買った薄いピンクの下着までも無理やり脱がせようとする。
だけど、途中でわたしの手の上に、雪花の手が重ねられる。
「まっ、待って!」
「同じこと、散々したよね? だったら華だって一回くらいこうしたっていいよね?」
「ちがっ、違くて! それ、華の買ってくれたやつだから……!」
拍子抜けして、脱がす手が緩む。
せっかく限界まで張り詰めていたはずの気が、簡単に和んでしまった。思わずその場で噴き出してしまう。
ああもう、上手く決まらない。
笑いがおさまったところで、一回ため息をつく。
「下着くらいいつでも買うのに」
「親友に初めてもらったものだから。大事にしたいんだよ」
「丁寧に脱がすなら、いい?」
「……うん。華のこと、いまはもう嫌じゃないから。好きだって気持ちは痛いほど分かるし、華になら好かれて悪い気はしないよ」
「ずるいなー……あんたのほうからは、絶対好きにならないくせに」
「ごめん。もっと早く今の華に出会えてたらよかったって、ちょっとだけ思ったりもしてる」
「それは……こっちも、ごめん」
わたしの家着用のTシャツが優しく脱がされる。しなやかな動きでミニスカートの留め金も外されて、下着も脱がされて、すべてベッドの外に放り出される瞬間も抵抗できない。甘い毒にかかったように、自分が下だった時よりも頭がぼんやりする。
「やらないの?」
「あっ、待って。やるよ、やりたい……」
遅れてブラのホックを外して、上下とも慎重に脱がしていく。少し気を遣って床に落として向き合うと、華奢で白い腕が首に回される。
最後につい、気がとがめて訊く。
「本当に、いい?」
「じゃあ、逆にやらなくていい?」
「そーいうの、意地悪い」
「嘘だよ。ごめんね」
雪花が待つように目をつぶる。
顔を近づけようとする前に、桃色の花のついたヘアピンに目がついた。華が壊してから、甘宮桜花に新しく着けてもらったものらしい。
そっとヘアピンを外して、サイドテーブルに置く。別にもやっとしたわけじゃない。ただ、行為中に邪魔だと思っただけ。決して、甘宮桜花にやきもちを焼いたわけじゃない。
雪花が目を瞑ったまま、鼻で笑う。
「華って、やっぱりヘタレなの?」
「ナメないで。いまからやるから、覚悟しててよ」
こちらも首に腕を回して、目を閉じてから顔と顔を近づける。唇に触れて、唾液を混じり合わせるように舌が絡み合うと、どんどん身体が熱くなっていく。
やっぱり、雪花は甘い毒の花だ。こんなものを貰って、いつか遠く離れる日が来るのかと思うと、絶対に耐えられないと確信できる。
この時間が永遠に続けばいいのに。そう思いながら、ふしだらで愛おしいひと時へと堕ちていく。
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