綻びの友情、泡沫の蜃気楼。 2

 桑名くわなさんがいきなり走り出したのを見て、散々迷って家に帰ることにした。この前、言うことを聞かなくて危ない目に遭ったから、下手なことをしてまたなにかあっても迷惑だろうと思ったから。

 今はお父さんが誰かに襲われた事件について捜査中で、その都合でこうさんたちの部屋に住ませてもらっている。寝床は客人用の布団があと一式あったため、ひとり増えても特に問題はなかった。

 正直、甲さんとひとつ屋根の下なのかと思うと、今でも落ち着かない。だけど、お父さんのことや雪花ゆきかのことがあって、それどころではないという理性が同時に気を鎮めていた。

 アパートの階段を上がって、鍵を開ける。誰もいない、しんとした部屋。

 結局、私の望んでいた平穏は完全に砕かれてしまった。新しく知り合った甲さんや桑名さんによってかろうじて保たれているけど、たとえ今は楽しくても、これからどうなっちゃうんだろうと怯えている自分もいたりする。

 クッションの上に無気力に腰掛ける。まるで、音というエネルギーを失って立つ力すら保てなくなった機械人形のようだと、自分のことながらに考えていた。

 なにも考えてない時が一番幸せだと、こんなときになって気づいてしまう。不安や恐怖から目をそむけている時が、一番幸せだと気づいてしまう。

 誰かが帰ってくるまでそうしていようと思ったところで、ポケットに入れたスマホが着信音を鳴らす。数秒してはっとして気がついて取り出すと、「甲さん」と表示されていた。

「は、はい!」

 電話に出る。

 なにか、嫌な予感がした。甲さんが自分から電話をかけてくるなんて、あまりに珍しいことだったから。

桜花おうかさん? いまどこ?』

「えと、家です」

『よかった。それで、鉄也てつやは?』

「桑名さんですか? 帰る途中、用事があるってどこかに行きましたけど……」

『いますぐデバイスの探知機を起動して! それで、緑のアイコンを見つけたら、家からどの方角にあるかを知らせて!』

「た、探知機? どうして――」

『いいから! 早く!』

 私はすぐにデバイスを起動して盾を形成し、探知機の投映窓エア・スクリーンを出す。緑のアイコンは……。

「十時方向、五〇〇メートルです」

『よし、分かった。今から向かうから――』

 いきなり電話が切れる。切断音はなにもなかった。

 まさかと思いながら探知機を見ると、先ほどまで緑だった五〇〇メートル先のアイコンが、赤く変化していた。まさか、もう妖精パーマーに襲われたのか。

 とにかく、再構築インナースペースだ。妖精がいるのなら、今すぐ向かわなきゃ。スマホを部屋に置いて部屋を飛び出した。




 鞭を手に持ったまま到着地点に近いところで留まり、盾の表面に触れる。

「カメレオン、遠隔機能リ・モード

 いつかのカメレオンの怪物のように、自分の身体を『不可視化』させる。

 実は一度も、この力を使ったことがなかった。私はいつも助けられてばかりで、自分からとっさに使う機会がほとんどなかったからだ。見たところ、主観ではうっすら輪郭が見えるけど、あの妖精の能力の通りなら客観的には見えなくなっているはず。

 カメレオンといえば、あの後に見た惨殺死体のことを思い出す。腕に破壊されたデバイスがあり、胸にはあまりに深い刺し傷がある。次に会った時に甲さんに聞いたら「妖精にデバイスを破壊された上で殺されたか、同士討ちで殺されたかした精装者パームドランナーかもしれない」だと言っていた。

 しかし、あの時の違和感がふとしてぶり返す。あの時の妖精はカメレオン妖精しかいないはずで、あいつの殺し方は鞭だった。そして、色々な武器の精装者がいても、あそこまで深く大きな刺し傷を与えられる精装者の武器は限られるんじゃないかって。

 それらすべては確証にはなりえないけど、ただどこか引っかかるものがまだある。

 あの死体にある種のデジャヴを感じていた。ただ、もしかしたらそれは気のせいでしかなくて、それで革新することなどできるはずもない。そんなこと、信じたくもない。

 とにかく、いまは目的の位置に向かう。どこかから遠く雄叫びのようなものがして見ると、精装者の緑が妖精の赤のアイコンに向かっていた。

 おそらくは甲さんか桑名さんだろう。桑名さんだとすると、どうしてさっき一瞬だけアイコンが消えていたのか疑問だけど。

 それとは別に、近くにふたつの緑のアイコンがある。見回すと、建物の屋上に雪花ゆきかと、いつか見た雪花の友達がいる。二人はこちらの視線に気づかず、なにか探すようにせわしなく首を動かしている。

「雪花!」

 自分が不可視化されてるのを忘れていた。思わず叫んでしまうと、二人はびくりとしてどこか別のビルへと飛び去った。

 追いかけようかと逡巡して、引き続き妖精のところへ向かう。いまは桑名さんのことが気がかりだ。

 入り組んだ道を進んで、目的の大通りに出る。目的の方角を見ると、自動車や歩行者の静止したなか、甲さんと二本角の藍色の怪物が戦闘していた。

 怪物は電気を帯びた太い腕のレールから針弾を発射した。甲さんはとっさにそれを避けて、怪物の方へ切り込もうと迫っている。

 直前、怪物が叫んだ。

「おいおい! 親友を斬り殺すつもりかよ!」

 剣先がぶれたようになり、横合いに腕で弾かれる。怪物は甲さんの腹部に蹴りを入れて、その身をアスファルトへ弾き飛ばした。

 甲さんは大剣を手放し、体内の空気を全て吐き出すようなかすれたような呻きを上げる。一方の怪物は、そんな甲さんの胸部に足を乗せて強く踏みにじる。

毒配人ポイズンディーラーから聞いたぜ? お前、前にも南雲圭輔なぐもけいすけって親友を殺してるんだってなぁ!」

 圭輔……? 殺した……?

 妖精のかつて知り合いだったような口ぶりと、さっきの「親友」という言葉。

 またなにかの違和感を覚えながらも、私は怪物の後ろに回りこんで鞭を打つ。鞭が自由意志を持ったように、その太い首を絡めて締め付けた。

 すぐさま踵を返して背中越しに引っ張り、そのまま甲さんの身体から引き剥がしていく。

「誰だ……! 誰か、そこに、いるの、か……?」

 怪物が苦悶の声を上げながら方々を振り払おうとするが、全て外していた。

 続けてデバイスに触れて、

「レディバグ、遠隔機能!」

 カメレオンの透明化が消える。盾から発せられる念動波が、首を絞めたままの怪物を地に叩きつける。

 私に決定打になる武器はないから、トドメは甲さんに頼るしかない。

「甲さん!」

 しかし、呼んだ先の甲さんは一向に動かない。なにかに怯えているように、剣の柄を握るか握らないかの逡巡を繰り返してる。

「甲さん……?」

 甲さんは、どこか悔しそうに、柄を握ることをためらっていた。私は痺れを切らして大剣を拾い、それを妖精の背に刺そうとして――。

「おい、いいのか? そいつ、お仲間だろ?」

 いつの間に、目の前に黒ずくめの外套。いつか見た、毒配人と名乗るカラスの面を被った大男の姿。

 私は手を止めて、その大男の顔を見上げる。

「どういう、こと……?」

「聞いてないのか? じゃあ、そこの金城かねき甲くんに説明してもらおうかな」

「……どういうことですか?」

「…………」

 見つめた先の甲さんは、どこか言いづらそうに目をそらす。

 毒配人はそれを見てマスクを手で覆い、腹がよじれるとでも言いたげに身をのけぞらせて大笑いする。

「まあ、そうだよな! こんなこと言ったら嫌われるもんな!」

「……なにがおかしいの?」

「俺が言っていいのか?」

 ぞくりと、背筋が冷えるような感覚。

 毒配人は屈んで私に顔を寄せ、マスクの嘴を鼻先の寸前まで近づける。マスクの中の目は、深い闇に覆われていてなにも見えない。

「そいつの右腕を見てみろ」

 私の足元を指さすのに従い、その場を離れる。

 怪物の右腕。そこにある、二本のレールの備わった細身の砲口。それがあらわすものに気づいてしまい、胸の内がざわざわとする。

「桑名、さん……」

 レールに接続されていたのは、デバイスの装着されたバングルだった。

 悪い夢だと思った。夢ならば早く覚めてほしいと、そう思っていた。

 貫こうとした剣先が、落ち着かずにがたがたと震え始める。

 刺すべきか、刺さないべきか。こんな選択はたった一瞬でしていいものじゃないのに、私はそれを迫られている。

「クロウ、遠隔機能」

 声とともに、地に伏した怪物が急に身を翻して大剣を弾く。大剣は遠くに飛んで、甲さんの手元の近くにまた帰っていく。

 桑名さんだった怪物から飛び出した左手が私の右足首を掴み、右手が私の頭に向けられた。

「さあ、どうする金城甲! いまからオレはこの女の頭を撃つ! しかし、すぐにオレの前で跪くつもりなら、この女だけは逃してやってもいい!」

 クワガタのような顔が、私をまっすぐ見つめる。私の頭を狙い撃つために。

 私のことなど構わず、この怪物を殺すべきだ。そう判断して、甲さんに視線を送る。しかし、甲さんはいまだに立ち上がらない。

 デバイスに左手を伸ばしながらも、自分の死を悟る。この世にまだ未練を残してはいるけど、同時に仕方ないと思った。

 遠隔機能もなしに弾丸が放たれる。これが、この銃口の閃きが、私の最期に見る景色。

 覚悟したところで、横薙ぎに光の粒子が擦過した。

 途端、毛深い影が視界を覆い、身を弾き飛ばす。地面に投げ出された瞬間に見えたのは、青い光の線に貫かれる毛深の蜘蛛の怪物。

 妖精が、もう一体……?

「お前は……」

「よお、甲。久しぶりだな」甲さんから怪物の方へ向く。「そしてこいつが、鉄也だったやつか……」

「なんだ、てめえ……!」

「なんだって、ひどいじゃないか。自分から呼び出してきたくせに」

 怪物が腕六本のうちの四本の手を爪に変えて、残りの二本ずつの腕と足で地面に押さえる。クワガタの怪物は懸命にはもがくが、びたりとも動けない。

 その拍子に足首を掴む手が離れ、地べたをもがくようにその場で身を引いた。

「クロウ、遠隔機能!」

 毒配人が焦ったように、すぐに唱える。

 しかし、なにも変化は起こらない。怪物は振り返って、鼻で笑う。

「僕はもうお前の役者じゃない。お前の都合で動く必要もないし、僕はお前の悪趣味なシナリオを潰しにきた」

「なんなんだ、お前! なんで蘇ったんだ!」

「お前だって知ってるはずだよ。呼び出されたんだよ」

 一本目の爪がクワガタの怪物の身体を貫く。傷口の隙間から、赤い閃光が漏れ始める。

 状況が掴めなくて、ただそれを呆然と見ることしかできない。

「クロウ、再構築リ・ストラクチャリング!」

 毒配人の手に刀身の真っ黒なレイピアが形成される。

「必死だねえ。そんなに運命を恐れているのか?」

 淡々と、二本目の爪を刺す。それぞれに拡げた傷口を繋ぎ、ぐちゃぐちゃとかき混ぜるようにする。ほとばしる血飛沫のように照らす閃光が、あたり一帯を照らしていく。

 三本目を刺そうとしたところで、レイピアの切っ先が蜘蛛の怪物に向かう。

 蜘蛛の怪物は一瞥して、

「かかったな?」

「死人が蘇るわけがない! オカルトが、俺のシナリオの邪魔をするな!」

「それがお前の見え透いた程度ってことだよ。つまり、死期が近いってことだ」

「クソ!」

 三本目が傷口を貫くと同時、レイピアが蜘蛛の腕を貫こうとした。しかし、それはすり抜けて、その先のクワガタの怪物の身体を貫いた。

 四本目が怪物のデバイスを破壊する。蜘蛛の怪物は甲さんに振り向いて、四本目の手を上げる。

「おい、甲! これで鉄也を殺したのはお前の親父だってことになるぞ!」

「お父、さん……?」

「僕を殺したことについてはあの世の分のツケにしといてやる! だから、思い切りやってやれ!」

 毒配人ポイズンディーラーが、甲さんのお父さん……?

 私がその事実を飲み込もうと努める一方、甲さんも目を丸くしていた。

「お前……圭輔、か……?」

「ああ」

「どうして……」

「お前の記憶と鉄也の願い、ってやつだ。さあ、さっさと妖精を鹵獲して、元の世界に帰るんだ」

 圭輔と呼ばれた怪物は立ち上がり、そのまま毒配人の腹に爪を貫く。大男は閃光をほとばしらせて、そのまま身動きできなくなる。

 甲さんは動かなかった。まるで、桑名さんの死を認めたくないかのように、目を伏せて。

「おい、どうした! お前、女を一ヶ月でクソミソに振るくらいには図太いはずだろ!」

「……図太くはないよ」

「なんだよ、らしくないな」

「……違う、こっちが俺なんだよ! お前らがいないのに、俺らしさもなにもあるわけない!」

 甲さんは下を向いて、吐露し続ける。それはいままでに見たことのなかった、感情をむき出したような様子だった。

 怪物はため息をついて、私の方へ向いた。

「……しょうがない。ねえ、そこの子。甲の代わりに、妖精を鹵獲してくれよ」

「鹵獲……?」

「デバイスをかざすってこと」

「……あ、はい」

 妖精の正体が精装者、毒配人の正体が甲さんのお父さん、親友を殺した過去。

 これが、甲さんのいま抱えているものの一部。

 甲さんのすべてを知ったわけじゃない。だけど、誰かを失った時の恐怖は誰よりも分かっている。いまだって、たまに怖くなる時がある。

 だからこそ、甲さんがなにかに怯えているなら、私はそれを支えてあげたい。そう思った。

 歩み寄って、仰向けでぴくりとも動かなくなったクワガタの怪物――桑名さんだったもの――にデバイスをかざす。

 二本角のクワガタのアイコンが画面に表示されるとともに、空や建物や地面が、世界が崩壊する。

 何度か経験して慣れた景色に、どこか寂寥感を覚えてしまう。知り合いが亡くなったという事実が、その光景にいつもと違うものを加味していた。

「お別れだな」

「……また、消えるのかよ」

「鉄也がいなくなったら、いまの僕は存在できないんだよ」

「…………」

「ごめん。お前には、僕たちしかなかったのに。お前だけが残ることになったな」

 甲さんはうつむいて震えていた。よほど大事な人たちだったんだと、それだけでなんとなく分かってしまった。

 それから、どこか呆れたように怪物の顔が私の方に向く。

「君はこいつの知り合いか?」

「はい」

「そうか……」寂しそうに、暖かな口調で言葉が続く。「じゃあ、甲のことは頼んだよ」

 世界が無に変わり、暗転する。




 しばらくして家に帰ってきた甲さんは、とても憔悴した面持ちだった。帰ってくるはずのもうひとりの親友が、二度と帰ってこない。そう分かっていたから。

 自分の心に決意を乗せて、そのふらふらと危なっかしく少し大きな身体を優しく抱く。甲さんは一瞬だけ戸惑ってから、壊れ物を扱うように慎重に抱きしめ返す。

 震えている。どこまでも優しくて、どこか掴めないところのあったはずの人が、いまは折れそうな心を支えながら私にすがっている。

「私が、ついてますから」

「でも、あいつのせいで、父さんのせいで君も――」

「死にませんよ、絶対に。私は幸せになるまで、幸せになってからでもずっと、意地でも死んでやりません。もしあの大男が邪魔するなら、逆に私が殺します」

「……君は、強いね」

「甲さんがいたから。甲さんがいままで私のことを守ってくれたから、そうなれたんですよ」

 今までよりも繋がりを求めようと、瞳が上に向かう。その先で、下を向いた甲さんの瞳と重なる。

 お互いの寂しさを埋めるかのように、自然と顔の距離が近くなる。部屋の壁に押しやって、肩にすがるようにして、身長差をたやすく埋めていく。

 首筋同士の熱が頭を沸騰させて、雰囲気はあっという間に出来上がってしまった。

「あの……」

「……なんですか」

「桜花さん、未成年だし、その……」

「満更でもないじゃないですか」

 ふっと微笑んで、ちょっとだけ背伸びをする。少し硬い唇の隙間から、コーヒーのほろ苦い味が流れてくる。

 いままで体験したことのなかった甲さんの味を知る。そこに愛おしさが生まれて、抱きしめる力がさらに強くなる。

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