綻びの友情、泡沫の蜃気楼。 1

 オレとこうのほかに、南雲圭輔なぐもけいすけというやつがいた。そいつはとんでもないお人好しで、甲と同じくオレの幼馴染だった。

 六年ほど前、甲が女子に手紙越しに告白された。甲は特に興味がなさそうで、その一方で圭輔は興味津々だった。オレは別に甲の好きな方で構わないと思いながらも、あの乾いたような雰囲気の甲が色事に揺らぐさまがちょっとだけ見たくもあった。

 昼休みに机に向き合って昼食をとっていた時、圭輔は子供みたいに低い背を懸命に伸ばすように机越しに迫った。

「いいじゃん! とりあえず付き合っちゃいなよ!」

「気軽に言わないでよ……そもそもあっちは知ってても、俺はあっちのことなんか全く知らないんだよ?」

「だから、付き合ってから考えるんだよ! そうしたら、案外上手くいくかもしれないし!」

「それで、お前はどうしたいんだよ?」

 圭輔を腕で席に押し戻して、コーヒー牛乳のストローから口を離して訊く。

 このまま付き合いたくもない相手と無理やり付き合わせても、俺たちが気まずくなるだけだ。甲が付き合いたいと思うなら後押しでもなんでもするつもりだし、断るつもりならそれに従う。とりあえず、それを知りたかった。

 甲は嬉しいような困ったような曖昧な笑顔を浮かべて、

「まったく知らないうちから断るのもって感じだし、またとない機会かもしれない。とりあえず試しに付き合ってみる……ってところかな」

「いいよなー、お前は! なんで甲にできて、幼馴染の僕たちにはできないんだっての! あーあー、おつまみ感覚で女選び放題の人生に生まれたかったよな。なっ、鉄也てつや!」

「さり気なくオレを巻き込むんじゃねえ……」

「はは……。じゃあ、とりあえずオーケーで返しとくよ。圭輔の言う通り、もしかしたら案外どうにかなるかもしれないし」

 アイツはあの時、なにを考えていたんだろう。

 もしかしたら、全力で止めたほうが良かったかもしれない。そうしたら、アイツの中の乾きが致命的になる前に、自然と出会ったなにかに潤されていったのかもしれない。アイツがどこか友情ばかりにすがるようなこともなかったかもしれない。

 相手にその気もないのに付き合うなんて、いいことなんかひとつもない。ただ、潤っていたものが乾いて、乾きかけたものが干からびるだけだ。

 だけどそれを知るには、オレたちはあまりに拙すぎた。




 それから、一ヶ月も経たない頃。

 登校して教室に入る時、甲の付き合っていた女子とその友達に突然話しかけられた。アイツが突然呼び出して、あらん限りの暴言を並べ立てて振ったとかなんとか、そういう話を泣いたり怒ったりしながら伝えられた。

 正直、その時は信じられなかった。アイツが人に暴言を振るうようなことなんて、ほとんど見たことなかったからだ。

 オレはすぐに甲の席に向かい、こそっと耳打ちした。

「おい、どういうことだよ?」

「ああ、もしかしてもう聞いちゃってる?」

「聞いちゃってる、じゃねえっつの。お前、なんでそんなことしたんだ」

「なんでって言われても……俺にはそれほど価値のあるものじゃなかったから、としか……」

 その時の目は、この教室じゃないどこか遠くを見るようだった。どうして平気でそんなことを言えるのか、その理由が分からなかった。

 オレはどうすればいいかと混乱するあまり、怒りのままに分かりきったことを聞いてしまった。

「じゃあ、なんで付き合ったんだよ!」

「だから、付き合ってみて分かったんだって。俺にとっては、鉄也や圭輔とバカやってるほうがずっと楽しいって思ったから。その時間を、他のことに割きたくなかったから」

「そう言えばいいだろうが!」

「……親友を、言い訳に使いたくないでしょ」

 だったらどうして、それをオレに言ってしまったのか。その時はめちゃくちゃに思えていたが、今ではなんとなく分かってしまう。

 アイツは声に出さず、オレたちに助けを求めていた。いつまでもずっと、変わらないでいてくれと。

 言いよどんでいると、廊下から大きな声がする。圭輔の声だった。

「えっ! 甲がこっぴどく振ったって?」

 教室でざわめきが広がる。

 いままでの甲は、それほど目立つようなやつではなかった。ただ、この一件と女子連中のあることないことの噂話によって、甲は学校で陰口を叩かれることになった。

 女子連中にはわざわざ呼び出されて、「あんなやつと仲良くしないほうがいいよ」と言われた。しかし、こっちは甲のことをよく知った上でなおも一緒にいるから、余計なお世話だと思って気にしないことにした。

 圭輔もさすがに自分の幼馴染が「最低」と言われてるのが許せなくて、色んなやつに突っかかった。オレは騒ぎを広げかねない圭輔を止めながらも、いつも通りに甲に絡んでいった。

 だけど、甲は苛立ちを覚えるほどになにも抵抗しなかった。

 ある日の帰り、オレは周囲に誰もいないのを確認して言った。

「ちゃんと言い返せよ! 別にお前がオレらを言い訳に利用するようでも、オレはちゃんと分かってるからさ!」

「それもあるけどね……」言いにくいと思いながら、続けていく。「一度でもあっちに揺らぎそうになった自分が悔しくて。俺、下手すればお前らを切り捨てる気すらしてたんだよ」

「オレらのせいだって、言いたいのか?」

「違うよ。こっちの問題なんだよ。お前ら失ったら、俺にはなにもかもなくなる気がしてたから……」

 オレたちの口論に、圭輔が肩に掛けた鞄を呑気に揺らして言う。

「別に、甲が離れようがなんだろうが、こっちからは離れるつもりはなかったけどね」

「……それでも、俺はお前らから離れてたと思う。それは変わらない」

「どのみち、お前が女子と関係が続くようなやつだなんて思ってなかったからさ。どうせすぐ振られて帰ってくるもんだと思ってた」おどけた調子で、笑顔を浮かべた。「甲は僕らくらいしか、ちゃんとした友人がいないからさ。でしょ?」

「……そうだね」

「まあ、まさか自分から振ってくるとは思わなかったけどね。そういうところも、甲らしいっていうのかな」

 甲が孤立するような騒ぎを起こした張本人にしては、意外にまともなことを言うと思った。確かにコイツは、甲への陰口に対して怒るようなことはしたが、振ったことに対してはなにか思うところがあるのかと思っていた。

 その帰りは圭輔の家でゲームをやって、オレが家に帰る頃には門限が過ぎて怒られた。だけど、とても楽しかった。

 圭輔も、甲も、最高の親友だ。そう思っていたし、それが何年も続いたし、それからもずっと続くと思っていた。

 だから、まさか圭輔があんなに早く死ぬなんて、夢にも思わなかった。




 病院の待合室で、スマホ画面に映るSNSの動かないアカウントを更新し続ける。球体にデフォルメされた蜘蛛のフィギュアのアイコンが、ただ意味もなく上下に揺れ動く。

 このアカウントは、もう半年前から動いていなかった。そしてその理由を、もちろん知っていた。

 そんなことをしているうちに、桜花ちゃんが帰ってきた。

「お待たせしました!」

「おお、結構遅かったな」

「なんか、ようやく意識が戻ったらしくて」

 椅子から立って、桜花ちゃんに連れだって外に出る。

 病院も出て、ようやく開放されたところで、伸びをしながら切り出した。

「よくもまあ、娘を襲うような父親の見舞いなんて行けるな」

「まあ確かに、あの人のやってたようなことは許せないですし、いまでも怖いですけど……なにかがあったのなら、せめてそれを聞きたいなと思って……」

「どうせろくな理由もないだろ。そこに下心があったからとか、それ以外に男が未成年に節操なく襲う理由がどこにあるんだ?」

「色欲があっても、桑名くわなさんみたいになにもしない人だっているじゃないですか」

 訝しげに横目に見られる。

 この前の騒ぎで、桜花ちゃんが裸で意識を失っているのを一瞬だけ見た。だけど、精装者パームドランナーの遺体もあってそれどころじゃなかったし、甲が上着を掛けてやるまでなるべく見ないようにしていた。

 しかし、一瞬で目に焼き付いたものを忘れられるはずもなく、いまでも思い出す度に色々と苦しくなる。

 自分の嗜好と若干違うとはいえ、やはり反応するものはする。大きかったものは大きかったし。

「また、変なこと考えてます?」

 やや下の方を見ながら訊かれてしまう。

 オレはさりげなく手で股のあたりを隠すと、さらに表情が険しくなる。しまった、自ら墓穴を掘ってしまった。

「言っておきますけど、私は桑名さんとそんなつもりないですからね。あの人と同じようなことしたら切りますよ」

「誰が出すか。未成年だぞ。それに、同じ床にいていいのは、あの去勢済みみたいな白馬の王子様だけだろうしな」

「……なーんで、桑名さんなんかに話しちゃったんだろ」

「バーカ。どのみち見てりゃ分かることだっての。アイツは気づいてねえみたいだけどな」

 けけけっ、と何事もないように笑う。

 その実、オレは数日前のあの日のことを思い出す。何故、あそこに精装者の遺体があったのか。桜花ちゃんに訊くと、「喫茶店に入ってから眠らされていたから、よく分からない」と言われた。どう考えたって、刺したような傷跡からあの場にいた妹が殺したものとしか思えない。

 結局、ほとんど分かることもないまま、警察が来る前に文字通り潰れた喫茶店をあとにした。しかし、桜花ちゃんがなにも知らないと言っていた時、甲の顔がわずかに安堵していたことは見逃さなかった。

 甲はなにかを隠している。あの時から、そう確信していた。

 親友にも話せないようなこととは、いったいなんだろう。そう考えていると、ふと一人の姿が思い浮かぶ。

 冴えない髪型に低い背に、人畜無害の雰囲気を醸したお人好し。この世にはもういない、オレと甲の大事な幼馴染の親友。

 死亡ニュースに映し出された、無垢な笑みを浮かべるアイツの顔。

 明らかに刺し傷が大きすぎるという不審死に、うやむやなまま迷宮入りされる事件。

 異様な刺し傷、精装者が精装者を殺す可能性、不審死……。

 まさか、とひとつの考えが浮かぶ。しかしそれは、あまりにも信じたくないものだった。

「桑名さん?」

「……ああ、いや。なんでもない。用事思い出したから、とりあえず先に家に戻っててくれ」

「あの、なにかあったんですか?」

「別に大したことじゃない。どうせここから近いし、ひとりで大丈夫だろ」

 家とは真っ向逆に走りだす。

 甲に聞き出さなきゃいけない。もしかしたら、あいつはまたオレに大事な隠し事をしているのかもしれない。

 路地裏に入って桜花ちゃんの姿が見えなくなったところで、オレはビルに背を預けてスマホを取り出し、甲の電話番号に掛ける。

 数コール経って、ようやく電話がつながる。

『なに、鉄也?』

「あのさあ、お前――」

「そいつから話を聞き出そうとしても無駄だぞ」

 横から急にスマホが引ったくられる。手の方を見ると、目の前にカラスの仮面をつけた大男がいる。

『……鉄也? おい、鉄――』

 大男の指が、通話を切る。

 初めて再構築空間インナースペースに迷い込んでデバイスを受け取った時、そして妖精を倒そうとした時に何度か見たことがある。再構築空間に迷い込んだ一般人にデバイスを配って回っている謎の男、毒配人ポイズンディーラーだ。

 その目的は分からない。ただ、甲がこいつに対してある種の怒りを見せていたのは何度も見たことがある。だからオレも、理由も聞かずそれを信じてきた。

「なんのつもりだ、てめえ……」

「お前はよほどあいつを信じているようだな」

 その言葉に引っかかり、デバイスに伸びた手が止まる。

「……なにが言いたい?」

「あいつは嘘をついている。確固たる友情を破綻させかねない、致命的な嘘を」

「あ、アイツがどんな嘘をついてるって――」

金城甲かねきこうは自らの親友を、大剣によって殺害した。再構築空間で、妖精パーマーを倒すどさくさに紛れて」

 信じられなかった。信じたくなかった。だけどそれを冷静に反証するには、あまりに思い当たる節があった。

 感情のままにデバイスを起動させて、右腕にレールガンを形成して突きつける。

「てめえが何者か知らねえが、適当言ってると殺すぞ!」

 銃口を突きつけられてもなお、毒配人はなおも悠々とした態度を取っている。

「熱くなるのはいいが、実はお前も疑ってたんじゃないのか?」

「黙れ! アイツが望んで圭輔を殺すわけないだろ!」

「……まあ、そんなクソみてえな友情ドラマはいいんだけどな。それよりも、だ」

 着信音を鳴らすスマホを、親指の圧でふたつにへし折る。スマホは折れた中心から亀裂を走らせ、音ひとつ鳴らさなくなる。そのまま、地面に向けて投げ捨てられる。

 すぐさまレールガンを射出。二本のレールを擦過する金属音を立てて飛び出す弾丸は、毒配人の胸を外套から抉っていく。

 そのはずだった。

「クロウ、遠隔機能リ・モード

 その言葉とともに、大男の身体にノイズが走る。

 またたく間に、弾丸で貫いたはずの大男の身体は、傷ひとつなく立ち塞がる大男に『改変』された。

 毒配人は外套の撃ったはずの場所を払い、レールガンの銃身を掴んで強引に下ろすと、空いた腕でオレの肩を抱く。

「桑名鉄也。……お前、親友を蘇らせたくはないか?」

 聞いちゃいけないと思った。

 だけど、それを断るには、あまりに圧倒的すぎて、願いはあまりにも魅力的すぎた。もしそれが可能なら、甲の後ろめたいものは消えるんじゃないか。そう考えてしまった。

「……できるのか?」

「ああ、できるさ」

 厚手の革手袋に包まれた大きな両手が、俺のデバイスを持ち上げる。その指はデバイスに触れて、ひとつの機能をはじき出す。

 投映窓エア・スクリーンには『ELIXCEED』と表示されていた。

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