高いビルの屋上で、ガラス細工の夢を見る。 2
お姉ちゃんが危険にさらされている。直感的にそれを悟って、喫茶店に入ってデバイスで大鎌を構える。
かつて営業していたのが嘘のように、陽の当たりにくく薄暗い室内。
中に待っていたのは、先ほどの男の腕に抱かれて眠りにつくお姉ちゃんの姿。男は悦に歪んだ顔をしていたが、わたしたちを見て眉をひそめた。
「なんだ君たちは」
「なんだ、じゃないでしょ。お姉ちゃんをどうするつもり?」
「君たちこそ、そんな得物を提げてなんのつもりだ? 今なら見逃してあげるから、さっさとおうちに帰りなさい」
「質問に答えて!」
大鎌をひと振りして、目の前のテーブルを一刀両断する。上げた椅子ごと崩れていくテーブルを見て、男は一瞬目を丸くしながらも口笛を吹く。
「
「あんなやつ、仲間じゃない」
「じゃあ、ただの蛮族か。ちょうどよかった。昨日の待ち合わせが、あいつのせいでおしゃかになったところだったんだ」
お姉ちゃんを腕で抱きながらデバイスに触れて、「ネペンテス、
その筒の姿は、まさに巨大なウツボカズラだった。
「僕は人の溶ける有様が大好きでね。そこらへんの人間を適当なこと言って誘い込んで何度も溶かしてたら、なんと連続行方不明事件なんて大事になってしまった」
気がつけば、男の両手の指と指の間を埋めるように、緑の薬液がなみなみ注がれた試験管が握られている。男は両手を捧げるように広げて、こちらに向けて試験管を投げつける。喫茶店は狭く、避けることも出来ず、わたしも華も薬液を思い切り被ってしまう。
薬液を被ったTシャツの袖や胸の部分が溶けて、その内側の肌身が晒されてしまう。隙間から下着が晒された
「この薬液は服も人体も、そして
左手でノックするように試験管を叩く。お姉ちゃんの衣服は泡立つ薬液によってバラバラに分解され、男の前で裸体が晒されていく。
お姉ちゃんの身体はデコイ体ではない。このままではお姉ちゃんの身体が薬液によって傷つけられてしまう。
男の両手に薬液入り試験管が形成されるとほぼ同時、デバイスに触れる。
「たとえなにを出そうとも、君は薬液に溶かされた激痛で攻撃どころではなくなるはずだ」
「ホーネット、
途端、こちらに投げ出される試験管の動きが、ひどく鈍重に変わる。ホーネットの施す加速の力によって、視界に映る自分以外の全てがスローモーションへと変わり、すかさず大鎌で巨大な試験管を切り込んでいく。
加速が終わるところで、わたしはすぐさま華の身体に飛びついた。手の中の試験管はすべて床に撒き散らされるだけに終わり、巨大な試験管は大きな亀裂から一気に薬液を吐き出していく。
距離をとって床に投げ出されたわたしと華は、ちょうど押し倒し押し倒されるようになる。
目の前の華の顔は、一瞬遅れて現状に気づき、むずがゆそうに目をそらす。どこか身体も熱っぽい。
「えっ、あの、えっ――」
「薬液を避けたんだよ。とりあえず、危機一髪……」
押し倒した身体を起こして、押し倒された華の身も引っ張り上げる。大鎌を拾い直して、男の方を見つめる。
男は明らかにうろたえていた。当然だ。一瞬にして巨大な試験管を破壊され、薬液攻撃もすべてかわされたんだから。
男は震えた指先で、すぐにデバイスへと触れる。
「ネペンテス! 遠隔機能!」
手の中に緑がかったウツボカズラ型ロケットランチャーが形成される。葉のような蓋を上げて、屈むような姿勢で構える。
視線を横の華に向けて、華が小さくうなずく。すぐにデバイスに触れて、
「モール、遠隔機能!」
引き金が引かれるとほぼ同時に、華の右腕を囲うショベルアームが巨大化する。天井をえぐり取るようにしたそれはこちらを守るように振り下ろされ、男の脳天を殴りつける勢いでショベルを地に振り下ろす。薬液で溶かされた床がいともたやすく破壊され、男はバランスを崩して照準をぶれさせたままロケットランチャーを発射する。
ロケット弾は天井にぽっかり空いた穴の向こうで爆発し、その勢いは四階建てのビルの屋上まで溶かしていく。薄暗かった室内に、陽の光が差し込む。
「ホーネット、遠隔機能」
天井の断面からこぼれ落ちる砂礫が、またもスローモーションに変わる。お姉ちゃんを取り囲む巨大な試験管を、亀裂から拳で真っ二つに破壊。両手で強引にかき分けて、その中の生肌をすべてさらけ出すお姉ちゃんを救い出す。
加速が終わる。まっぷたつに割れた試験管を、ロケット弾の爆発によって崩落していた数多ものコンクリート片が跡形もなく潰す。そして、その近くにいた男もその瓦礫の山に巻き込まれてしまう。
お姉ちゃんを薬液の広がっていない床に置く。
お姉ちゃんのことをどうするべきか悩んでいると、瓦礫の中から電子音がした。
『
途端、瓦礫が緑光を方々に発しながら、どろどろに溶け始める。
なにかが起こった。なにか、嫌な予感がする。
ショベルアームのサイズを戻した華に向かって言った。
「華、お姉ちゃんをお願い」
「……うん」
大鎌を構えて、かばうように前に出る。
どろどろに溶けて山盛りの藻のようになった緑色の瓦礫の中から、胴部をウツボカズラと融合させた太い蔓のような怪物が現れる。それは明らかに人間ではなく、妖精のそれだった。
怪物は晒した腕のデバイスを手の細い蔓で触れる。
「
周囲の時が止まる。どろどろに溶けていく瓦礫を、上からこぼれおちる砂礫を、精装者と妖精以外のなにもかもを。
無自覚のうちに、
かつての疑念が、確信に変わる。
妖精が、精装者と同じ存在だったということを。わたしたちは、怪物ではなく同じ人間を殺していたことを。
だけど、それでも変わらない。
わたしはお姉ちゃんが守れれば、なんだっていいのだから。
服の上下ともに怪物の消化液でボロボロになり、もはや裸同然になっていた。肌身を直接溶かされてできた赤い閃光を放つ部分もあり、恥ずかしさよりそういうヒリヒリした痛みのほうが勝ってしまう。
胴部の袋を裂かれて、スコーピオンの毒で倒れ伏したネペンテス妖精のデバイスを、大鎌の先で確実に貫く。怪物の身体にデバイスをかざして、開け口に葉をかぶせた縦長の袋のようなウツボカズラのアイコンを表示させる。
「終わったよ」
わたしは振り返って、お姉ちゃんの様子を見ていた華に向けてピースサインを作る。だけど、華とまったく視線が合わない。
わたしの前でなんだか気まずげにして、
「あ、あの……」
「ん、なに?」
「は、裸だから!……その、隠して……」
「どうせ戻るでしょ。それに――」呆れた笑みを作る。「わたしの裸なんか、今さらじゃん?」
それでも華は恥ずかしそうに目を伏せる。
また、世界が崩壊する感触。一瞬の暗転ののち、元の世界に戻っていく。
溶けた瓦礫の上に、ダークスーツの男がうつ伏せで倒れていた。デバイスを解除してデコイ体から元に戻り、服の感触を確かめる。
何事もなかったように踵を返して、お姉ちゃんの方に歩いていく。お姉ちゃんが溶かされた服はデコイ体のそれではないから、どうやっても元には戻らない。わたしが至らないばかりに、お姉ちゃんに恥をかかせてしまう。
お姉ちゃんの一糸纏わない身体は、澄んだガラスの工芸品かのように綺麗だった。わたしの想像なんかよりずっと美しくきめ細かくて、さっきからわたしの胸の鼓動がどくどくとうるさく高鳴っている。
衝動に流されるまま片膝をついて屈み込み、両肩をそっと掴んで顔を寄せていく。
お姉ちゃんのみずみずしい唇に、わたしの唇を重ねる。それは想像していた以上に柔らかくて、華のそれとも違う。お姉ちゃんの甘い香りとともに、ビリリと電流が走るような、そんな快感が頭の中を突き抜ける。
嬉しくて、思わず目が潤んでしまう。やっぱりわたしが求めるべきはお姉ちゃんなんだと、改めて気付かされたから。
「ゆ、雪花……」
そっと、唇を離す。この時間が永遠に続けばいいくらいに名残惜しかった。
ゆっくりと華の方を見上げて、ぞっとした。華の後ろに、金城とその友達の金髪が立っていた。
二人はわずかに困惑した顔で、わたしを見つめている。
「そういうこと、か……」
「妖精なら、もう倒しちゃったけど」
「お前の姉貴が散々心配してんだ。いい加減、さっさと家に帰れ」
「そんなの、分かりきってるよ。わたしはお前らなんかより、ずっと長くいたんだから……」
すぐに立ち上がって華の手を引き、入り口を塞ぐ金城たちの前に立つ。
「退いて」
「退くわけねえだろ。また逃げるつもりか?」
前に出ようとする金髪を、金城が手で制する。
その金城のまっすぐに見つめる瞳から、わたしは視線を逃がした。
「ひとつだけ、聞いていいかな?」
「なに?」
「君のお姉ちゃんに対するその想いは、君が苦しんでまで守りたいものなの?」
「……当たり前だよ」
答えると、金城が困ったような顔で身を退ける。金髪も金城に脇腹を小突かれて、渋々と同じように退いた。
わたしは華を連れて、堂々と出口に向かっていく。金城たちを睨みつけて、
「お姉ちゃんに手を出したら殺すから」
「そのつもりはないよ。俺には、そんな資格がないと思うから」
相変わらず気に食わないやつだと思いながら、先を急ぐ。
熱い衝動が、唇の感触として残っている。早くお姉ちゃんと二人になって、その身を触れ尽くしていきたい。
その衝動だけで、その身が満たされていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます