足跡の先の罠、甘宮桜花の独白。 2

 反応が近い。

 相変わらず、もうひとつの緑のアイコンは消失することなく、同じところを留まっている。それが何者にせよ、意図がまったく分からなくて不気味だった。

 場所は廃工場。開いたままだったために思わず入ってしまったが、本当によかったのか心配になってきた。不法侵入なのもそうだが、精装者パームドランナーがずっとここにいることも明らかに怪しすぎる。

 しかし、それでも探そうと思った。もしかしたら、それが雪花ゆきかかもしれないという可能性を信じて。

 私は声を上げて叫ぶ。

「雪花! いたら返事して!」

 上から足音。その方を見ると、それは雪花ではなかった。

 緑を基調として先端の赤を際立たせた扇状の鉤爪を持つ長髪の男。デニムジャケットの下に赤い英字シャツ、ところどころにダメージの入ったデニムを履いている。英字シャツには『HONEY TRAP』と書かれていた。

 振り下ろされた鉤爪を、すかさず盾で防ぐ。防ぎきれなかった攻撃が上着ごと腕に切り傷を作り、わずかな赤い閃光を噴き出す。甲さんいわく、デバイス使用時の身体は『デコイ体』というものに替わっているため、痛みは発生するが元の身体には傷が一切残らないとのこと。

 男は距離を取って、両の鉤爪を擦り合わせて不快な金属音を鳴らす。その合わせた形は、葉を閉じたときのハエトリグサを思い起こさせた。

「誰を探してるんだか知らねえが、多分ここにはいねェと思うんだよなァ……」

「なんのつもり?」

「いやいやいや、俺は人を待ってたんだよなァ。それで精装者の反応が近くなったかと思えば、まったく知らねえ手前ェがホイホイ来やがったァ」

「……なにするつもりだったの?」

「なァに、ちょいと人を殺そうと思ってなァ。あまりにもナメたヤツだったし、せっかくだから地獄の底に引きずり込んでやろうと思ってたんだよォ」

 男は合わせた両の鉤爪をガバリと開く。それはまさしく、これから私を捕食しようとする大きな口だった。

「まあ、でもォ。オードブルとして先にお前を喰らっておけば、メインディッシュはもっと余裕をもっていただけると思ってなァ。だからよォ、可哀想だが、お前は俺が綺麗にたいらげてやるよォ!」

 言ってから、ニタニタした笑顔で音を立てて舌なめずりする。

 不快で、眉をひそめた。ここまで悪意を丸出しにした人を実際に見たのは初めてだった。

 お母さんも、雪花も、甲さんも。人に明かさない、明かせない一面を複雑にひた隠しにしている。そして、私自身も例外ではなく。

 そうやって、内側の綺麗や汚いを入り組ませたものを複雑に混ぜて綺麗な表層を作るのが、人間というものなんだと思ってた。

 だけど、男はあまりにも醜かった。この男から感じられたものは、まるで妖精パーマーのそれだった。

 しかし、探知機はなおも、男を緑のアイコンで示していた。

 妖精でないということは、人としての止め方が必要だ。精装者はデバイスが弱点だと聞いたため、ようはデバイスを破壊すればいい。

「カメレオン、再構築リ・ストラクチャリング!」

 盾の表面に触れて、カメレオンの舌のような赤い鞭を形成する。すかさずカメレオンの遠隔機能リ・モードを起動しようとした時、男が肉薄した。

 振るわれる爪を後方に下がってかわしながら、男の身体を鞭で叩く。しかし、何度かするうちに鞭が男の右腕に絡まり、力負けでグリップから手を離してしまう。

「ムスシプラァ! 遠隔機能ォ!」

 男は鞭を鉤爪で裂いてから、デバイスに触れて叫ぶ。突き出した両の鉤爪を上下ぴったりと合わせてガバリと開く。牙のような赤い鉤爪の先端から、泡立ったような液が噴き出し、男がそれを交互に振るう。

 すぐに盾で防ごうとするが、鉤爪のかすめた表面がしゅわしゅわと音を立てて溶けてしまう。これでは逆にデバイスを晒しているものだと気づいて、避けることに徹しようとしても、今度はかすめた傷跡や飛び散った液が服ごと肌を溶かしていく。

 デコイ体の服の前側のあちこちに穴が空いて、いたるところからうっすらと、赤い閃光が晒されていく。

 あちこちが焼けるように痛い。飛び散る消化液のせいで、下着の紐も切れて落ち着かないけど、そうも言っていられない。

「……レディバグ、遠隔機能」

 左肩で身体をかばうようにして、盾の表面に触れる。言い終えたところで鉤爪が左肩が切り飛ばされ、激しい閃光が赤く照らす。激痛のなか、男の姿を見据える。

 甲さんによると、私の武器の能力は「あらゆる『波』をつかさどる」といったものらしい。それは探知機の能力を拡張して、相殺させる周波数によって不可視の存在を明かし、念動波によって相手を浮かしたり落としたりと、汎用性に富むものらしかった。

 激痛に漏れた呻きが『音波』に変わる。それは目の前の男だけを対象にして、聴覚に打撃を与えるほどの爆音を発し、男のバランスを崩させる。

 男がそのまま倒れ伏す。

 デバイスを破壊しないと。痛む身体を無理やり動かして、男の方に進む。

「やっと見つけた! ……って、アンタなにやってんだ!」

 背後から、桑名さんの声。デバイスでレールガンを形成して、私の方へ向かう。どういうことか説明しろ、と言いたげの顔。

「雪花だと思って反応を追っていたら、この人に襲われました」

「なんでこいつは襲ってきたんだ?」

「本来待ち人がいて、その人を殺そうとしていたらしいです。それでここに居合わせてしまった私が、オードブルとして殺される、と……」

 傷口のあちこちが痛い。左肩が飛んでデバイスも解除できないけど、とりあえずはこの目の前の男のデバイスを解除しないと。

「分かった。お前はそこで待ってろ。デバイスの破壊はオレがやる」

 デバイスに触れようとしたところで、男が長髪を振り乱しながらがばりと立ち上がる。鉤爪を振り上げられて、とっさに間に合わないと悟る。

「ホーク、遠隔機能!」

 しかし、その通りはならなかった。

 男の右手に、斜め上からの赤い一閃が突き刺さる。それはデバイスをまっすぐ貫き、粉々に砕く。男の手から鉤爪が消失し、デコイ体から元の身体に戻るが、デバイスごと貫かれた右手の傷は治らずにだらだらと血を流し続けていた。

 二階の方を見上げると、流線型の細長い機械の翼を背負った甲さんが、飛んだ鷹をかたどった造形のクロスボウを上げていたところだった。褐色の瞳が煌々と、存在を際立たせている。

「間一髪、と……」

「お前! いたのかよ!」

「そっちから連絡いれたくせに、いたのかよはあんまりでしょ!」

「いや、まあ……すまん、ありがとう……」

 甲さんが飛び降りて、背後の翼からジェットを噴出してゆっくり着地。それはいかにもSFに出てきそうな見てくれだと思った。

 私は急に気まずくなってうなだれるが、待っていたのは頭を優しく撫でる大きな手だった。

「……ごめんなさい」

「無事ならいいよ。それに、俺はなにがあっても絶対に助けるから」

 痛みに晒されるなか、その言葉が安らぎになった。甲さんが私の右手を優しく持ち上げて、デバイスを解除してくれる。デコイ体から元の身体に戻り、思わず頭を甲さんの胸に吸い寄せられるようにもたれかかる。

 意外にたくましい体つきが、どこか心地よい。それに、意外といい匂いがする。だけど、いまの私は大人にすがりつく子供みたいで、高校生の私としては恥ずかしくもあった。

「よかったな、甲」

「え?」

「……お前、この状況でもなにも感じないのか?」

「あぁ、なるほど。桜花さん疲れてるみたいだし、このまままっすぐ帰らないとね」

「違えわ。もっと他に――」

「あっ、後ろの男のこともあるね。俺は桜花さんおぶって帰るから、救急車呼んどいてよ」

「おう、分かった……って、そうじゃねえっつの。ああ、もういいわ……」

 桑名さんが救急車を呼ぶ。そのあいだに甲さんが私をおぶってくれて、私は疲れと安心感でその場で眠りについてしまう。

 眠っている間、いつかの頃の、お父さんにおぶられていた時の夢を見ていた。




 少し眠ったら、案外すぐに体力が戻った。

 このままここに泊まるのも申し訳ないと思い、私は自分の家に帰ることにした。

「いいのかよ? 家に帰りたくないとか言ってたはずだが……」

「いいんです。今日は散々お世話になりすぎちゃいましたし、それにお父さんが待ってるはずですから」

「じゃあ、送っていくよ。たまーにさっきみたいなおかしな精装者が出てくるのは事実だし、そうでなくても最近物騒だから」

「……ありがとうございます」

「良かったな」

 冷やかすような口ぶりの桑名さんをとがめるように視線を送り、甲さんと二人で家路に向かう。すでに日が沈み、あたりはもう暗くなっていた。

 ふと、手の甲同士が触れる。私はびくりと過剰に反応してしまったけど、甲さんはなおも特に気にしない様子でいる。

 やっぱり、この人にとっての私は、妹とかそのくらいの認識なんだろうか。確かにこんなお兄ちゃんがいたらなとは思ったことはあったけど、今はもう甲さんがお兄ちゃんじゃなくてよかったとすら思うようになっている。

 それゆえに、なにも感じてくれないことが癪だった。

 これはあまりにも大胆だと思いつつ、私は勢いよく甲さんの手を取る。

「桜花さん……?」

「ほら、ここらへんって暗いじゃないですか。気を抜いたら、お化けが連れていきそうじゃないですか。だから、連れて行かれないように、手を繋いだらいいかなとかなんとか……」

 本音を包み隠すための、口からの出まかせが奔流する。こんな下手くそな言い訳でなにかをしようとするのは、小学生の頃以来だ。もうちょっと落ち着いたらもうちょっとマシな口実が作れたはずなのに、珍しくたかぶった感情がコントロールを利かせてくれない。

 甲さんは目を丸くして、

「お化け、怖いの?」

 こっちも上手く受け止めてくれない。まさかこんな言い訳を、額面通りに受け取る人がいるとは思わなかった。

 甲さんは、私が本気でお化けが怖いものと思いこんで、握り返してくれる。「そうじゃない!」って叫びたくてもどかしくなったけど、結局なにも言い出せず、手も離さなかった。

「ねえ、桜花さん」

「……なんですか?」

 ここまで散々かわされても、ちょっとだけ期待していた。実は私について少しは意識してくれてるんじゃないかって。

「もしお化けとか幽霊が居たとして、そういうのもデバイスの武器で倒せるのかな?」

「……知りませんよ」

 聞こえないように、小さく「ばか」と呟く。

 少しでも意識してくれるよう願いながら、握った手を強くした。




 二人の時間があっという間に過ぎて、自宅のアパート前に着いてしまった。

 甲さんが小さく手を振って、私も手を振り返す。

「じゃあ、また今度。見つけたらすぐに連絡するから」

「はい。また今度、ですね」

 甲さんは大学生、私は高校生。今日は休日だったから良かったけど、いつもこうして会えるわけじゃない。再構築空間インナースペースがあれば会う口実ができるけど、妖精の方もあるからそれどころじゃない。

 再構築空間も出なくなって、雪花のことも帰ってきて、全てが終わったら。その時は、甲さんと一緒に過ごす日常を謳歌してみたい。そんなことを、実はちょっとだけ感じていた。

 ポストに溜まった郵便物を抜いて、階段を上がる。甲さんの大きな手の感触を思い出していたら、すぐに自宅の部屋の前に着いてしまった。

 扉の鍵を差して回すと、すでに開いていた。不用心だなあと思いながら扉を開けて、家に入る。

 家には電気がついていなかった。廊下の電気を着けると乱雑に放られた革靴が見えて、スニーカーを脱いでから一緒に直す。

「ただいまー」

 いつもの調子でリビングに向かうと、お父さんは机に突っ伏していた。

 電気は点いてるのにカーテンは開きっぱなしで、かたわらにはいくつもの発泡酒の空き缶が散乱している。雪花がどこかに行ってしまって以来、お父さんはいつもこうだった。

 どうして、大人はつらいことがあるとすぐ酒に頼るのだろう。酒というものをよく知らない私としては、問題の解決の方を先にしてほしかった。

「まったく! まーた酒だけ飲んで!」

 文句を言いながら、空き缶を片付ける。私が泊まりで帰ってこなかったらどうなっていたのだろう。もしかしたら、干からびて死んでたんじゃないか。

 缶をまとめて持っていこうとしたところで、いきなり腕を掴まれる。びっくりして、缶を全部床に落としてしまった。

「もう、なんなのいきなり……」

「あのガキ……まだ帰ってきてねえのか……?」

「まだ探してるけど、きっと見つかるよ。だからお父さんも家帰ってすぐ飲んだくれてないで、手伝って欲しいんだけど――」

「あぁ?」

 いきなり、胸ぐらを強く掴まれる。起き上がったお父さんの顔は前までの優しさを失っていて、自分の肉親とは思いたくないほどの鬼の形相をしていた。

「お前さぁ! こっちは働くために稼いできたんだぞ! なんで俺が、あのガキひとりのためにそんな労力使わなきゃなんねえんだよ!」

「わ、わかってるけど! ていうか、ガキとか言わないでよ! 自分の娘でしょ!」

「知るかよ、あんなガキ! だいぶ前から、あいつには苛ついてたんだ!」

 ここには、私の知らないお父さんがいた。

 わけがわからない。なんでここまで怒るのかがわからない。どうしてお父さんが雪花をここまで嫌っているのかわからない。

 もしかしたら、ここにも私の知らないなにかがあったのかもしれない。私は雪花とお父さんとの間のなにかを見落としていたのかもしれない。

 お父さんの手を離そうと抵抗して、発泡酒の空き缶に足を取られる。お父さんはそのまま私の身体を押し倒して、そのままズボンのベルトを外していく。

「ちょっ、なにしてるの! 退いて!」

「ふざけんな! あのガキが代わりにやるって言うから妥協してヤッてやったんだぞ! それを、勝手にいなくなりやがって!」

「待って、どういう――」

「お前には言ってなかったな。お前の代わりに、あいつがいままで週五で俺のモノを慰めてくれてたんだよ! お前のことを守りたいからってな!」

 それを聞いて、一瞬だけ驚いた。

 だけど、考えてみれば合点がいった。よくお父さんの部屋で寝ていたことも、起こしに行くといつも寝間着や下着が脱ぎ捨てられていたことも、雪花がほとんど毎日朝からぐったりと疲れた様子だったことも。

 そして、時々見せる乾いた笑顔も。

 私はなにも知らなかった。なにも知らずに、その日常に安らぎを感じてた。私は最低な人間だったのだ。

 途端に、目の前にいるのはお父さんではなく、人の皮を被った怪物に見えてきた。今日戦ったような、あの精装者の男のような。

「あいつと違って、お前は母さんに似ているからな。あいつとちがって、満足させてくれそうだよな」

「やだ――」

 服が強引にたくし上げられる。それとともにブラジャーも巻き込まれて、ありのままの乳房が晒される。

 抵抗しようとする手からバングルを見て、乱雑に手を取る。

「なんだよ、このブレスレット?」

「それは……!」

「変に色気づきやがって。オトコからの貰い物か?」

「離し――」

「まあそれはそれで、今からそいつの反応が楽しみだな。事後報告よろしくな」

 バングルを外されて、部屋の隅に放り投げられる。

 乳房を撫でられるようにされて、思わず声が上がってしまう。

 力の差で抵抗できない。デバイスも使えない。私はこのまま、お父さんに、お父さんの皮を被った化け物にオモチャにされてしまう。

 ズボンが下ろされ、いきりたつそれが現れる。下着とともにタイツが剥がされ、恥部を晒される。

 嫌だ、私はこんなことのためにお母さんの代わりをしてたんじゃない。私は、雪花がちゃんと独り立ちできるまで見守るために、暖かな日常を守るためにやってきたのに。

 その中で、ようやく好きな人を見つけられたのに。

 ぐにぐにと恥部を弄られて、おまけに顔を迫られる。まさか、唇まで奪う気なのか。最後の抵抗で身をよじって、背中を思いきり蹴りつける。

 化け物は少しだけ体勢を崩しながらも、すぐに元に戻す。それどころか、余計に怒らせてしまった。

「クソがッ! 女は女らしく、大人しくヤられてろよ!」

 前髪を掴まれて、右拳を上げられる。

 助けて、甲さん……。

 固く握られた拳が顔面に向かおうとした時、視界の端のベランダ窓になにかが閃いたような気がした。


 瞬間、目の前の化け物は、頭から血を噴き出しながら横に倒れる。


 ほぼ同時に窓が割れて、なにが起きたのかと窓の方へと這う。

 紫色の輝きと、灰色の輝き。向かいのアパートの屋上にそれらが一瞬だけ見えて、すぐに消える。

 あれは精装者の瞳の輝き。そして、紫は雪花の色。

「雪花……?」

 雪花が、私を助けてくれた……?

 ふたつの輝きが消えた向かいのアパートの屋上を、私はしばらく眺めていた。

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