足跡の先の罠、甘宮桜花の独白。 1

 あの日以来、雪花ゆきかの行方が知れなくなった。

 捜索届を出したけどいまだに見つからず、お父さんはどこか不機嫌な様子で発泡酒に浸る日々。多分、雪花のことが心配してるんだと思う。

 私は甲さんとともに、色んなところを探した。だけど結局見つからず、雪花の知り合いにちゃんと把握していることもなく、自分がいままで雪花のことを理解しきれていなかったことを後悔した。

 雪花を探している間、身体とともに心までもが疲弊していった。それだけ私自身も、たったひとりの妹である雪花に救われていたのだろう。この子がまっすぐ見つめていてくれたから、私はいままでお母さんの代わりができたんだと。

 今日、甲さんはわたしの顔色からそういったものを察したのか、私は家で休むように言ってくれた。だけど、家に帰ったらまた、雪花なしでお母さんの代わりをしなきゃいけない気がして、わがままだと頭で理解しつつもそれを拒んでしまった。

「このままだと、桜花さんのほうが壊れていくよ?」

「分かってます。……だけど、雪花のいない家でお母さんの代わりなんて、できるわけがないじゃないですか。あの子が笑顔でいてくれたから、お母さんがいなくてもどうにかやっていけたんですから」

「……わかった。じゃあ、俺の住んでるアパートに連れて行くから、そこでなにもせずに休んでて。鉄也も一緒だけど、あいつもなんだかんだ世話焼きだから頼っちゃっていいよ」

 実際に疲れていた私は、渋々ながらもその言葉に甘えることにした。

 こうさんはやっぱりいい人で、だから雪花がどうしてあそこまで嫌っていたのか、どうしてああなったのかが分からなかった。それだけ、雪花のことをまったく理解できていなかったのだろう。

 そうして私は、甲さんのアパート――桑名くわなさんとルームシェアしてるとのこと――で休むことにした。その途中、甲さんは私を元気づけるためか、雪花を絶対に探し出すと意気込んで語ってくれた。その優しさに、ちょっとだけ救われた。

 桑名さんは甲さんに小言を言いながらも、あっさり部屋の中に入れてくれた。

 部屋は想像していた男の人の部屋よりもだいぶ整理されていて、それが私には意外だった。少しだけ気まずさを感じながらも、クッションに座ってテレビをぼーっと眺めていると、桑名さんがキッチンに行ってホットココアを入れてくれた。

「オレは苦いものが嫌いでな。コーヒーにミルクなり砂糖なりなんなりと入れて飲むくらいなら、最初から甘いと分かりきっているものを飲むんだが……コーヒーのほうが良かったか?」

「あ、いえ……ホットココアは好きですけど……」

「そいつはよかった。甲のやつ、『んなクソ甘いもん飲めるわけないでしょ』とかいって、いつもコーヒーばっか飲みやがるんだよ」

「甲さん……」

 マグカップを両手で持って、ココアのいい香りを感じながら苦笑する。ホットココアに口をつける。ホットチョコレートかと思うほど味が濃いが、いったいどれほど入れたのだろう。しかし飲めないわけでもないので、黙っておくことにした。

 桑名さんが気を使ってか、少し距離を置いて座る。この前初めて会って以来だったけど、この人も口調の割に悪い人ではないのかなと感じていた。

「この前は、すみませんでした。私たちのことで迷惑かけちゃったみたいで……」

「気にすんな。ああは言ったけど、オレらと妹さんの馬が合わなかっただけで、別にアンタのせいじゃない。そこは保証してやる」

「……優しいんですね」

「甲から繋がった縁なんだ。いままでもこれからも、よほどヤバいか気が合わないかしない限りは、なるべく歓迎するつもりだよ」

 こちらに向ける無邪気そうな笑顔に、甲さんへの信頼をうかがえた。そのあとに「まあアイツ、ろくでもないやつ連れてくることの方が多いんだけど」と愚痴をするように付け加えていたけど、それでも幼馴染という立ち位置に少し羨ましさを感じてしまう。

 私の家は転勤族だっただけあって、そういった人との長い縁にほとんど恵まれなかった。

 お母さんが家を出た理由もそこにあったのだろう。お母さんは家事と度重なる転勤による孤独にさいなまれて、「お母さん」という枷を外して自由になろうとした。実際どうだったのか、いまではどうしているかは分からなかったけど、今になってなんとなくそれが分かった。

 それでも、私のたったひとりの妹である雪花だけは見放したくなかった。私にとっての、唯一の妹だったから。

「まあ、なんだ。年上二人に喧嘩売るくらいのたくましさは備えてるんだから、悪いことにはなってねえと思うがな。案外いきなり何食わぬ顔で帰ってきたりしてな」

 桑名さんの話を聞いてホットココアを飲んでいたら、心は結構安らいでいた。

 元は非日常からとはいえ、こうして助けを求められるような相手ができたのは良かったと思う。そして、そのきっかけを作ってくれた甲さんに感謝している。

 そんなことを考えていたからか、つい変なことを聞いてしまった。

「甲さんって、どんなタイプの子が好きなんですか?」

「……は?」

「あ、ごめんなさい。こんなときに訊くことじゃないですよね……」

「いや、別にそういうことじゃないんだが……アイツは結構変だから、こういう話は珍しいと思ってな」

 マグカップをガラスのローテーブルに置いて、顎を指でしゃくってしばらく考える。いざ真面目に考えられると恥ずかしいと思い、声をかけようとすると、桑名さんがいたずらっぽい顔で手を打って答えた。

「Gカップくらいの、美人巨乳のお姉さんだな」

「それは桑名さんの好みじゃなかったですか?」

「いや、それは甲が適当に言ってただけで違――うこたないけども……」

 マグカップを両手で抱えて、目をそらす。甲さんの言ってた話、本当にそうだったのか……。

「そもそも、あいつのそういう浮いた話は聞いたことねえよ。せいぜい、中学の頃にひとりだけ付き合ってたのを知ってるくらいだしな」

「へえ、どういうタイプだったんですか?」

「同級生で、だいぶ大人しそうな子だったな。あっちから告られて、アイツはあっさり受け入れて、一ヶ月も経たずに自分から振りやがった」

「え……」

 あの優しそうな甲さんが、そんな簡単に……。

 そのことが信じられなくて、思わず食い気味になってしまう。

「なんでですか?」

「知らん。まあ、相手の友達の女子からは卒業するまで『最低』だとかなんだとか言われてたし、なにか理由があるのかもってオレも聞いたんだよ。したらな――」語るにつれて、だんだんとむかむかした様子に変わっていく。「『俺にはそこまで価値のあるものに思えなかった』、だとさ。いや、本当なんなんだ、アイツ……」

 あの、どこまでも人の良さそうな甲さんが……?

 私は甲さんの見てはいけない一面を見てしまったように、ぞわぞわと粟立つような感覚が走る。私の知らない甲さんを知りたくないと思いながらも、同時にそれを知りたいと思う自分もいた。

 もしかしたら、私は普段から身近な人の違う一面を見落としているのかもしれない。そして、それが雪花を傷つけた一因なのかもしれない。

 焦りに呆然としていると、桑名さんが「あれ、おーい?」と声をかける。私は気がついて、持ったままのマグカップを置いてからかぶりを振って気を取り直す。

「……すみません。さっきの質問は忘れてください」

「まあ、アイツも曲がりなりに男のはずだし、よほどの事情でもない限りは、粘ってみるのも悪くないかもしれないけどな」

 カップを持って立ち上がり、「おかわりいるか?」と訊かれる。言葉に甘えて頼んで、一体さじ何杯分のココアの粉を入れてたのかを確かめてみた。

 一、二、三……ああ、背中に隠れて見えなくなってしまった。

 仕方なしにテレビに目を戻すと、ちょうどニュースが始まっていた。

 ここ数日のこの街に相次ぐ行方不明者についての話題になり、私は食い入るようにそれを見た。

 行方不明になった人は、誰もかもが特に思い悩んだような素振りは見せず、ある日突然帰ってこなくなったとのこと。近年、謎の怪死事件が続出しているため、そこに関係があるのではないかという話だった。

 雪花の場合はちゃんと前触れがあったから、これとは関係ないかもと一瞬思った。しかし、もしかしたらなにかしらの事件に巻き込まれている可能性もある。

 こういう行方不明事件を追っていけば、雪花と会えるかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなかった。

「すまん、待たせた。分量にこだわりがあって――って、おい! どこ行くつもりだ!」

「ちょっと出かけます!」

「甲に休んどけって言われてただろうが! ……ていうか、ココアどうするつもりだ!」

「飲んどいてください!」

「ああ、畜生! 俺もついてくから、ココア飲むまでそこで待ってろよ!」

 待つ時間が惜しくて、すぐに飛び出す。もしかしたら、本当になんの関係もないのかもしれない。だから、甲さんや桑名さんの手をわずらわせたくない。

 アパートの階段を下りて走り出す。もしかしたら、雪花が誘拐される際にデバイスを使っているかもしれない。前に現実世界で使っていたのを見たことがあるし、居場所を伝えるために起動している可能性がある。

 デバイスを起動して、円盾を形成する。

 投映窓エア・スクリーンに、探知機の反応が三個ある。ふたつは隣り合っていて間近にあり、もうひとつは少し離れたところにある。すべて精装者パームドランナーをあらわす緑だった。

 間近の反応から探す。しかし、その方を向いたところで、ふたつの反応が消えてしまった。

 しかし、あとひとつの反応は相変わらずで、とりあえずはこっちを追うことにする。甲さんが意味もなくデバイスを使ってるとは思えないし、そこに普通じゃないなにかがあるのは確かだった。

 そしてそれは、雪花に繋がるかも知れない。そう信じて、その反応を追っていった。

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