第四章 絶氷の精霊郷
第百十九話 絶氷の精霊郷
「こうして人間と精霊は仲良く暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」
白氷の青殿と呼ばれる城の一室。
金髪の女性が、ベッドの上で読み終わった本をそっと閉じる。
「ねぇ、お母様。精霊さんって本当に居るの?」
同じベッドに入った金髪の少女が、クリクリとした眼でそう尋ねる。
「えぇ、本当に居るわ。だって私たちが普段使っている魔法は、精霊さんが居るからこそ使える力なのよ」
「へぇー、そうなんだ」
女性が優しい声色でそう伝えると、少女は満面の笑みで受け取る。
「でも私精霊さんって見たことが無い。ねぇ、お母様。精霊さんはどこに行ったら会えるの?」
「精霊さんに会えるのはごく一部の人に限られているの。だから会うのはちょっと難しいかも――」
「えー、やだやだ。私も精霊さんに会いたい!」
女性は駄々をこねる少女を見て、眉尻を下げて少し笑みを浮かべながら嘆息する。
「そうねぇ」
そう言いながら、ベッドから立ち上がり、呼んでいた本を近くの本棚へ戻す。
「精霊さんの住んでいるところへ行くことができたら、その時は会えるかもしれないわね」
「どこに住んでいるの?」
無垢な少女の問い。
答えるべきか、女性は少し悩んで口を開く。
「ここよりもずっと遠く。とても寒くて、雪がたくさん降っているところに隠れるように住んでいるのよ。だから会いたいと思っても簡単に会えないの」
「そっかぁ」
それを聞いて少女はしょんぼりと肩を落とす。
「私も精霊さんとお友達になりたかったなぁ」
口を尖らしていじける少女を見て、ベッドに戻った女性は、少女の綺麗な金髪の髪を梳かすように軽く撫でた。
「いつかきっとなれるわ。だってニナの中には、もう小さな精霊さんが住んでいるんですもの」
「えっ!?」
その言葉を聞いて、少女は驚いた様子で母親の顔を見上げる。
「ほら、よく見て」
女性は近くにあったペンと紙を取ると何かしらの文字を書き始める。
「ここをこうして、こうして、こうして、こうすると」
「あっ!」
母親から紙を奪い取った少女は、目をキラキラと輝かせながらその紙を食い入るように見る。
「お母様! 精霊さん、小さな精霊さんが居る!」
先ほどとは打って変わって上機嫌になった少女は、ベッドの上でピョンピョンと飛び跳ねながら喜びを表現した。
「こらこら。あまりバタバタしないの」
そう窘め、女性は優しい笑顔を浮かべて少女を落ち着かせると、諭すように静かな声で語り始める。
「ニナ。あなたにはいつだってこの小さな精霊さんが側に居てくれる。例えあなたの周りから誰も居なくなっても、この精霊さんだけはずっとニナの側で守り続けてくれるわ。だから、辛いことや悲しいことがあった時は必ずこのことを思い出すのよ」
「うん、分かった!」
その母親からの言葉に、少女は高揚した声でそう返事をした。
◇
「いつまで拗ねてるんだよ、ナノ」
『つーん、なの』
オリバーとライカに別れを告げた俺たちは、長い長い地下のトンネルを北に向かって進んでいた。
地下を進んでいるからなのか、北方の地とはいってもあまり寒さを感じない。
とはいえ、出口までは徒歩で数時間ほどの距離はあり、さすがに休憩は必要だろうと、道中で腰を下ろして休んでいたところ、雲海の大樹から帰還してからナノと会話をしていないことを思い出した。
で、改めてよろしくと言おうと、ナノをアイテムボックスから取り出して話しかけて見たらこれである。
「機嫌直してくれよ」
『ナノはラグのことをとても心配していたなの。もう二度と目を覚まさないんじゃないかって、とーっても心配していたなの。だけどラグはナノを忘れていたなの』
うーん。
『どうせナノはいらない精霊なの。でもいいなの。別に構って欲しいなんて思っていないなの』
どうしよう。とんでもなく面倒くさいことになってしまった。
『はいはい、どうせナノはとんでもなく面倒くさい精霊なの』
あ、やべ。
『……』
そこからナノは何を話しかけても口を利いてくれなくなった。
その様子を見ていたルーシィは、目の奥を金色に光らせながらクスクスと笑う。
「ダメだよラグ。ナノちゃんだって女の子なんだから、ちゃんと気持ちを考えてあげなきゃ」
「いや、精霊に男とか女とかってあるのか?」
そう言って、ルーシィの傍らのシルフを見る。
「ん? まぁ、ご想像にお任せと言うことで。というかボクにだけ聞こえないように会話しないで欲しいんだけど」
腰に手を当てて若干不服そうにシルフはそう返してくる。
「え? 祖精霊なんだろ。人の心とか読めたりするんじゃないのか?」
「君はボクを何だと思っているんだよ」
シルフはそう言いながら嘆息する。
「確かに君たち人間からしたら超常的な存在ではあるかもしれないけれど、だからといって何でもかんでもできると思わないで欲しいかな」
「え、でも――」
「ち、な、み、に。ルーシィと疎通できていたのは纏儀をしていたからで、常時できる訳じゃないから勘違いしないように」
俺の言葉を遮って、語気を強めにシルフは俺にそう言った。
そんなに分かりやすかった、俺?
「話を戻すけど、私はナノちゃんの気持ちが分かるよ。大切な人のことは心配だし、放っておかれると悲しいっていうのも。だから何度も言うけど、ちゃんと気持ちを考えてあげてね、ラグ。精霊だって心があるんだから」
「う……、分かりました。善処します」
ルーシィに叱られた俺は、ノースラメドを目指す傍ら、とにかく許してもらえるまでナノに謝罪を続けたのだった。
◇
膝下ほどまでに積もった雪は、ただ北を目指す少女の逸る足を妨げていた。
昼過ぎから容態を悪くした空は灰色の雲に包まれ、辺りは真白な風に包まれる。
顔があまり見えないよう深々と被ったフードが飛ばされないよう、少女は手で押さえつけながらただひたすらにその地を目指した。
周囲は雪に覆われ、どちらが北でどちらか南か一瞬でも油断したら分からなくなる。
そのためにニナは他には目もくれず、ただ一点だけを見続け歩みを進めた。
―― お主の本当の名前を取り戻したくはないか ――
あの日、スカーレットから告げられた言葉と、その方法。
見出された一筋の光に、ニナは縋るように飛びついた。
奇しくも目指す先は、ニナの中で大きな存在となりつつある少年と同じ、ノースラメド。
天へと旅立った父と母が自分に唯一残してくれたものを取り戻すために。
あの日の罪を贖うために。
彼女が目指す先、それは――。
絶氷の
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