幕間 偽りの想い人①
リーゼベト王国王都ローミア。とある館の一室。
一人の女は、櫛で髪を梳かしながら誰にも聞こえないようにため息をついた。
「ん――。おや、もうお目覚めかい。昨日は最高の夜だったね、ジェシー」
慌ててジェシーと呼ばれた女は振り返る。
その寝ぼけた顔を見て、今のため息を聞かれていないことを察した彼女は、安堵を隠す様に、ベッドから上半身を起こした男に向けて笑顔を向けた。
「ええ。ゲオルグ様のご寵愛を独り占めできることがこんなに嬉しいとは思いませんでしたわ」
大分と慣れたからなのか、ごく自然に、まるで脊髄反射のように口から紡がれる嘘。
まぁ、この男の場合、若干のぎこちなさがあったところで気づきもしないだろうけど、と彼女は脳内で悪態をつく。
「そうかそうか。お前は可愛い奴だな」
ベッドから先に出て、鏡に向かって髪をとかしていた彼女を後ろから抱きしめる何か。
胸の辺りに置かれた手の動きに若干嫌気を覚えつつも、鳥肌が立たないよう細心の注意を払う。
「ところでゲオルグ様。昨日お話なられていた秘密の会合、急がないと遅れてしまわれるのではなくて?」
「おっと、そうだった」
パッと女から離れたゲオルグと言う名の男は、慌ただしく着替えを始めた。
いつもはメイドに着替えさせているからなのか、服を着る動作が若干ぎこちない。
メイドを呼べばいいのにと思うが、さすがに召使とはいえ、この自称寵愛部屋へ呼ぶのは、この男も恥ずかしいと感じるのだろう。
ジェシーはそう思いなおし、その陳腐な自尊心を傷つけないよう、鏡に映る自身へと、そっと目線を移した。
「ククク。これで頭の固い父上も考え直してくださるだろう」
「リーゼベト七星隊の方との、内密な打ち合わせでしたかしら?」
背後で着替えながら不穏な声で笑うゲオルグに向けて、ジェシーは昨日聞いた話を思い起こしながら尋ねる。
「あぁ、そうだ。大学に視察に来られていたゴルド隊長が俺の力を惚れこまれたようでな。是非個人的に話がしたいと、そう仰っていただいたんだ」
オウネ・ゴルド。リーゼベトの第二番隊の隊長にして、『灰燼』の異名を持つ男。
先日ゲオルグが通う大学内で催されたトーナメント式の模擬戦で、優秀な成績を残したと本人からは聞いているが、その場に彼も居たと言うことだろうか。
「ですが、ゲオルグ様のお父上も七星隊、それも一番隊の隊長なのでしょう? そんな回りくどいことをなさらなくても、直接お父上にお話をされた方がよいのではないですか?」
「父上は俺の力を良く見ようとされなくてな。『お前の力は七星隊で通用しない』の一点張りで、話すら聞いてくれないのさ。さて、準備ができた」
服を着るだけで数分もかけた男は、護身用の剣をアイテムボックスへ仕舞い、ドアノブに手をかける。
「悪いが今日は裏口から出てくれるか、場所は――」
「存じております。以前あの女がお相手を拒絶したとかで急きょ呼ばれた時、教えていただきましたから」
「嫌なことを思い出させるな。まぁ、覚えているならいい。ちんたら着替えずに、さっさと身支度を整えてくれよ」
ゲオルグはそう言い捨てると、少し荒めにドアを開け、そのまま部屋を出て行ってしまった。
どちらがちんたらしていたのやら、と、ジェシーは呆れながら思い、鏡の前へそっと櫛を置いた。
◇
「というのが一連の流れですわ」
リーゼベト魔法学園の一室。
外から差し込む茜色の光を正面に向け、目の前に立つ男へジェシーは昨日の話を報告した。
「そうか。やはりオウネが――。いや、いつも嫌な思いをさせてすまない。今回も助かった」
背後から差す光で顔が陰り、その男が果たしてどんな表情をしているのかは伺えない。
「いいえ、慣れておりますから」
しかし、聞き慣れたその自分の身を案ずる言葉で、男がどんな表情で自分にその言葉を投げかけてくれたのかは、想像に容易い。
「それに、女の扱い方一つ分かっていない子供の相手なんて大したことありませんもの。あの場所に居た頃の手合いの方がよっぽど粘質で、執拗でしたわ」
あの日、目の前の男が自分を助け出してくれた時のことを思い出しながら、そう告げる。
あの時に比べれば今やっていることなど大した話ではない。とはいえ、流石に自分の部下にこんなことをさせるのは気が引けるため、わざわざこうして自分が進んで対応しているのだが。
もしかしたら、そのことに何度も抵抗を示したこの男を説得したことの方が、よほど骨が折れたとも思える。
「十年と少し前の話か。いや、また辛いことを思い出させてしまってすまないな」
本当にこの人は謝ってばかりだなと、ジェシーはそう思う。
まぁ、それがこの人の本当の人柄であり、限られた数人にしか見せない顔であることを考えると、その顔を自分に見せてくれることだけで、ジェシーには本望だった。
「しかし、女は化粧一つで変わると言うが、君のそれは魔法でもなかなか体現できないんじゃないかと思わされるレベルだ。どこからどう見ても、この学園の学生たちと同年代に見える」
目の前の男はまじまじと自分の顔を覗き込み、そう告げる。
「女性に向かって年齢の話をするのはいただけませんけど、お褒めの言葉と受け止めておきますわ」
ジェシーは少し顔を赤らめ、男から目線を逸らすと、口を尖らせてそう呟いた。
「あぁ、悪かった」
またも目の前の男が謝罪を口にしたところで、少し表情を女の背後に向ける。
「ふむ、どうやら君宛にお客人のようだ。私もこれから『剣聖』殿と会う予定があるのでな。ここでお暇させていただくとするよ、ジェシー。いや、『夜海女帝』フォルテナ・スエン」
「ええ。くれぐれも総隊長にはご用心を、『パペットマスター』殿」
ジェシー改めフォルテナが放った一言に、黙ったままでその男はコクリと頷くと、窓かに足をかけ、そのまま外へと飛び降りた。
背後からやってくる気配、それにはフォルテナも心当たりがある。
恐らくまたハルモニアに手ひどくやられたのだろう。
刹那の後、その部屋の扉が勢いよく開かれる。
「匿ってください」
飛び込んできたのは、想定通り、白い長髪の少女。
フォルテナはニコリと笑みを浮かべて了承の合図を出した。
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