第百七話 ただ一人の幼馴染
ある晴れた日。
私はお気に入りの場所の一つである中庭の花畑で、とある人を待っていた。
「早く来ないかな」
弾む心。仄かに熱を帯びる頬は、きっとこの暖かな気候の仕業だろう。
最近は色々あってなかなか会うことが叶わなかったから、今日という日を私は一際心待ちにしていた。
会えない時間が長ければ長いほど、彼への気持ちが昂っていく。
それに今日は自慢したいこともある。
きっと彼なら「すごい」と言って褒めてくれるはずだ。
そんな未来を考えれば考えるほど、私の顔はニヤケていった。
◇
予定していた時間になっても現れない彼。
少し不安になって辺りをキョロキョロと見回す。
しかし彼らしい人影は見当たらない。
「来られなくなったのかな……」
私は花畑の中にゆっくりと腰を下ろし、足元の花を見つめた。
そうだとしたら楽しみにしていた分ショックが大きい。
思わず目に涙が溜まりそうになるのを必死にこらえる。
「エアリルシア様」
瞬間、私の耳を撫でたのは待ち遠しかった声。
声のした方へ目を向けると、そこには私の大好きなその人が立っていた。
「ラグ!」
自然と顔に笑みがこぼれる。こぼれすぎて、溢れ出しそうなくらいに。
はやる気持ちを抑え、私は花を踏みつぶさないよう慎重な足取りで彼に歩み寄った。
話しかけようとしたとき、ふと彼が何やらクスクスと笑っていることに気付く。
「?」
何が可笑しいのか私には分からず、じっと見つめていると、
「すみません。少し面白くて」
と彼は応えた。
「??」
ますます訳が分からない。面白いっていうことはどこか私の格好が変だったのだろうか。
いや、今はそんなことなんてどうでもいい。
限られた彼との時間、一秒たりとも無駄にできない。
「見て。また私、新しい精霊さんとお友達になれたの……」
「新しい精霊……ですか?」
「そうなの!」
私はそう言うと、左の手のひらを上に向け、目を閉じた。
「我の呼びかけに応え、その姿を現せ。『ニンフ』!」
私がそう呼びかけると、ニンフちゃんは私に応える。
召喚に同意した彼女は、青色の光を纏いながらその姿を現した。
「水の精霊ニンフちゃん」
私がラグに自慢したいことというのはこのことだった。
精霊の扱いが上達したということは、一歩ずつ精霊術士へ近づいているということ。
稀代の精霊術士と呼ばれるくらいにならないと、三流星の英雄の隣に立つ資格なんてないから。
「すごいです、エアリルシア様!」
彼の反応は私の想像したものだった。
だけど別の要因が、私の胸をギュッと締め付ける。
彼の言葉に驚いたのかニンフちゃんは
「エアリルシア様?」
彼は、急に機嫌を悪くした私の顔を伺ってくる。
「またエアリルシアって言った」
会えない時間が彼をそうさせてしまったのだろうか。
「ルーシィって呼んでって言ったのに」
そんな他人行儀な呼び方、やめて。
「えっと……」
「それに敬語はいらない。と、友達だから……」
私とラグは友達なんだ。他人行儀な呼び方も喋り方もいらない。
でも改めて友達だと宣言をすることに変な小恥ずかしさを感じて、顔が熱くなってくる。
ラグに対してでも持ち前の人見知りさを発揮している辺り、会えない時間で心境が少し変わったのは私も同じかもしれない。
でも、ラグに対する気持ちや想いが前々より強くなっていることは自信を持てる。間違いない。
私の場合は、そう、多分想いが強くなりすぎて逆にギクシャクしてしまっているだけだ。きっとそうだ。
「そ、それは無理ですよ」
そんな感じで私が思っていると、ラグは全力で否定をしてきた。
「えっ」
そんな反応をされるとは思わず、その瞬間、一気に別の感情が昂って来た。
「友達……じゃ、なかったんだ……」
ラグにどんな心境の変化があったのか、私には分からない。
だけど、短かったかもしれないけど、ラグと過ごしてきた日々は私にとってかけがえのないものだった。
ラグが、「俺が友達になる」と言ってくれたあの日のことは、いつまでも記憶に刻まれている。
「いや、いやいやそういうことじゃなくて……ですね」
敬語、やめてくれないんだ。
私はついに耐えられなくなって、ポロポロと涙をこぼした。
どれだけ耐えようと思っても、耐えられない。
それほどまでに私の中でのラグの存在は大きくなっていた。
「あー、もう分かった。俺たち友達だもんな。だからもう気を遣ったりするのはやめるよ、『ルーシィ』」
ルーシィ。
そう呼んでくれたことで胸の中でつかえていた何かがすっと消えた気がした。
本当? そう問いかけるように私はラグの目を見つめる。
ラグは照れくさそうに笑うことで答えを返してくれる。
「ラグっ!」
私は涙を拭うと、嬉しくなってラグに抱きついた。
「ルーシィ!?」
急に私に抱きつかれたから、ラグは素っ頓狂な声をあげる。
会えなかった時間がラグと私を遠ざけたというのなら、今度はそんな障害なんかじゃ壊させやしない。
この気持ちを、素直なこの想いを、凝縮させた言の葉に乗せてラグに伝える。
「大好き……」
ラグに届くように、絶対に届くように、澱みない声で私はそう告げる。
そして彼の胸に顔をうずめ、そっと胸元にキスをした。
どれほど経っただろう。
きっと時間にして数秒、でも私にはその時間が永遠に感じられるほど長く感じた。
本当はもっとこうしていたいけど、我儘な私はもっと欲張りたくなった。
ゆっくりと私は顔を上げると、ゆでダコのように顔を真っ赤にしたラグの耳元でそっと囁く。
「ねぇ。もし、また私が困ってたり、助けてほしい時、駆けつけてくれる?」
きっとラグならこう言ってくれるはずだ、私はそう信じて彼の瞳を真っ直ぐ見つめた。
ラグは顔色を戻し、はにかむように笑いながら、
「あぁ、当然だろ。ルーシィのことは俺がいつでも助けに行くよ!」
と、私が欲しい答えをくれた。
「ありがとう、『ラグ』!」
ラグにとって、私はたくさんいる友達の中の一人かもしれない。
もしかしたら、彼には別の大事な人がいるのかもしれない。
でも、私にとってラグはラグで、唯一無二の友達なんだ。
―― ただ一人の幼馴染 ――
だけど、今はこれ以上を望まない。
なぜなら、今はこの答えをくれるだけで十分だから。
そう言ってくれるだけで、私は幸せだから。
だけど、いつか想いが溢れて耐えられなくなったら、その時はもう一度自分の気持ちを伝えよう。
ラグから唯一無二の答えを貰えることを、切に願って。
私はそんな未来を夢見ながら、もう一度ラグの胸に顔をうずめた。
◇
それが、幼いラグとの最後の記憶。
この世に神様がいるとすれば、どうしてこの時にラグと引き合わせたのだろう。
どうしてこの時に甘美な夢を見せたのだろう。
私から全てを奪い去って、何がしたかったのだろうか。
長い間私を苦しめ、不条理なこの世界を憎ませたかったのだろうか。
だけど私は負けなかった。
こんな思いをしながら死んでたまるものかと歯を食いしばり、私は生き延びる道を選んだ。
それで世界を恨もうとも。
それで神を恨もうとも。
それでも大好きな人の隣に、もう一度立ちたかったから。
例え死ぬまでその人に、気付かれない運命だったとしても。
私の中で蘇るのはもう一つの記憶。
地獄の炎に包まれながら、最悪の絶望を知ったあの日の記憶。
―― ロギメル陥落の日 ――
時は再び動き出す。
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