第百六話 三流星の英雄


「はぁ」


 いつもの物見塔。お気に入りの場所。

 そこで私は溜息をついた。


「リーウィル姉様――」




「私をお前たちになんて裁かせない! 私の人生は私自身が終止符を打つ!」


 王城の間。

あの後駆けつけた兵士によって捕縛されたリーウィル姉様は、その犯した罪を裁かれるべく、両手を拘束された状態で父様、母様、そして私の眼前へ即日突き出された。

父様や母様からの厳しい叱責と詰問。リーウィル姉様はただ一言もしゃべることなく、だんまりを貫いていたけれど、死罪が決定した瞬間、目を大きく広げてそう言い放った後、舌を噛み切って自ら命を絶った。

リーウィル姉様がどうして欲しかったのかも、私たちはどうすれば良かったのかも結局分からずじまい。

ただ一日にして二人の姉を亡くすという凄惨な結末だけを残して、この一連の事件は幕を下ろした。

 でも一つだけ、確信を持てることはあった。


「精霊術士の後継者さえ生き残ってくれれば我々は問題ない」


「惜しい二人を亡くしたが、まぁ、エアリルシア王女さえ居ればな」


 ひそひそ、こそこそと喋る周囲の人間たち。

 誰も二人の姉様の死を悼んでいなかった。

 誰も二人の姉様の死を悲しんでいなかった。


「お前たちが――、お前たちがそんなことを言っていたから姉様たちは」


 両手で石の地面を殴りつける。

 反射で返ってくる痛みは、鈍く、そして重い。

 ジャシータ姉様は私を嫌っていたけれど、愚図な私に対しても懲りずに魔法を教えてくれた、本当は優しい人だった。

 リーウィル姉様の腕の中の暖かさは嘘じゃなかった。笑顔も、言葉も、何もかもが嘘だったのだとしても、あの春の陽のような温かさは嘘じゃなかった。

 二人を追い込んだのは間違いなく周囲の人間――。そして、私だ。

 精霊術士の後継者として浮かれ、二人を知らず知らずに傷つけていたのはこの私だ。

 あの日から幾度となく悔やみ、嘆き、その都度涙を流してきたけれど、後悔の炎は未だ私の中で燻り続ける。

 二人の姉様はもう帰って来ない。

 何よりもその事実が、私の中から悲しみを消え枯らせることをさせなかった。


「エアリルシア様大丈夫で……じゃなさそうですね」


「ラグナス……」


 私を救ってくれた英雄、ラグナス・ツヴァイトを私は涙目で見上げる。

 今日は一段と戻りが遅いからと心配して見に来てくれたのかもしれない。

 その少年は私の表情を見ると気まずそうに微笑み、ゆっくりと私の隣へ腰を下ろした。


 しばらくの間静寂が場を包む。

 ラグナスは俯いたまま何も言わなかったけれど、不意に私の顔を見ないまま口を開いた。


「話くらいなら聞きますよ」


 多分彼なりに気を使ってくれたのだろう。

 ここ最近ふさぎ込んでいた私を、傍でいつも心配そうな表情で見ていたのは気付いていたから。


「大丈夫。私の問題だから」


 だけどこれは私の問題。

 私が乗り越えていかなければいけない問題だ。

 どんなに苦しくても、どんなに傷ついたとしても、私一人で――。

 考えるとまた胸がギュっと潰されそうになり、思わず顔を歪めてしまう。


「……」


「……」


「一人で抱え込むなよ」


 重い空気の中、静寂を破るようにラグナスがボソッと、そう一言告げる。

 そして彼は意を決したように顔を上げると、私の両肩を掴んだ。


「一人で抱え込むなよ。そりゃお前が何に悩んでいるのか分からないし、俺に何ができるかも分からないけど。でも重荷は一人で抱えるより、二人で抱えた方がずっと楽だろ。だから、お前が思ってること、全部俺に教えてくれ。俺が力になる」


 彼の言葉には、私のこの鬱屈とした思いが晴らせるという根拠は一つもない。

 だけどこの吸い込まれそうに真剣な眼差しを見ていると、この優しい声を聞くと、どうしても思わされてしまう。

 この人なら。

 私の英雄ならもしかしたら――と。


 そこから私は彼に思っていること、悩んでいること全てを吐きだした。

 不思議と彼に話していると、心が軽くなる。

 不思議と彼に話していると、私を襲う悲しみの正体が明らかになってくる。


「ラグナスと話していて気づいたんだけど、すごく単純な話で、私はただ寂しかったんだと思う」


「寂しかった?」


 私はコクリと頷く。


「父様や母様は政務で忙しくて、大事な用事以外では会うこともあまりできない。それはフランシス兄様も同じ。大人しく部屋で本を読んでなさいと言われて、私はいつも一人だと思っていた。けど、思い返せばいつもジャシータ姉様やリーウィル姉様が傍に居てくれて、魔法を教えてくれたり、お菓子を焼いてくれたり。だからこそ二人が突然いなくなって、心の中にポッカリ穴が空いたような感じで――」


 大きく開いた心の隙間。

 居なくなって気付く、どれだけ自分にとって大事な人だったか。

 それが私のこの鬱屈とした気持ちの、恐らく原因だ。


「本当に一人ぼっちになっちゃたから、私、こんなに……」


「じゃあ、俺がお前の友達になる」


「友達?」


「大切な人が居なくなって寂しいなら、一人が嫌なら、それを埋められるのは別の誰かしかいないだろ。じゃあ俺がお前の友達になれば万事解決――って、ん?」


 私のポカンとした表情を見て、ラグナスは「どうした?」と言って顔を伺って来る。

 一瞬呆気にとられたけれど、途端におかしさが込み上げてきた。


「アハハ、なにそれ」


「なにそれって。俺は真面目に考えてるんだぞ!」


 ラグナスは怒って抗議してくる。

 でも私にとってはそれがおかしくてたまらなかった。

 それは彼の言っていることが変だからという意味じゃなく、答えはそんな単純なことだったんだと思ったからだった。


「ラグナスに姉様の代わりができるの?」


 私は笑いながら、茶化したようにそう言う。

 彼に対して、既に心を開きかけている自分が居ることに気付きながら。


「代わりなんて、できるわけないだろ」


 しかし、私の期待したものとは真逆の答えをラグナスは口にした。


「お前の姉さんはお前の姉さんで、俺は俺だからな。取って代われるものでも、上書きできるものでもないだろ。だからこそ俺が友達になって、孤独だなんて感じさせない」


 姉様は姉様、ラグナスはラグナス――か。

 その言葉を噛みしめ、私はラグナスの言葉の真意を理解する。

 私の中に空いた穴はもう埋まらない。

だけど、そんな穴が気にならないくらいの存在に自分がなるとそう言ってくれているのだ。


「じゃあラグナスは、私とずっと一緒に居てくれるってこと?」


 少し意地悪な質問だと思いながらも私は問いかけた。

 そんなことは到底無理だと分かっているのに。


「そ……それは……難しいかもしれないけど……」


 想像通りラグナスは言い淀んだ。


「でもほら、ちょくちょく遊びに来られるようにお願いはするよ。手紙も書くから」


「証が欲しい」


 私はラグナスの弁明を遮るようにそう呟く。


「証?」


「そう、友達の証。ずっと傍に居ることができないのなら、せめてラグナスと友達だと言う証が欲しいの。ずっとお前って呼ばれるのも嫌だし」


 そう投げかけると、ラグナスは多分困惑するだろうというのも見越して、私はあえてそうお願いした。

 既にどんな証が欲しいか、私の中で答えはあるけれど。


「あっ、ごめ、いやすみません。ちょっと気持ちが昂って王女様に無礼な言葉遣いを。証……ですか。っていっても、うーん」


 私の指摘を受けて、慌てて敬語に戻ったラグナスは、想像通り困った表情浮かべてうんうんと唸っている。

 敬語については、別にそのままで良かったのに。


「愛称なんてどう? 私とラグナスで呼び合う愛称」


「愛称? あだ名ってことですか?」


「そう。ラグナスは友達からなんて呼ばれているの?」


「俺は、『ラグ』って呼ばれていますけど」


「じゃあこれから私もラグナスのことを『ラグ』って呼ぶ。私のことは……」


 ここで私が彼から呼んで欲しかった愛称を提案しようとした瞬間、彼が何かを閃いたようにポンと手を打った。


「『ルーシィ』!」


「えっ」


 彼から提案された愛称に、驚きのあまり声が詰まる。


「単純かもしれないですけど、エアリルシアだから『ルーシィ』――なんてどうかなと思って。いや、でもそうは言ったもののさすがに俺が王女様を愛称で呼ぶなんてことは……」


 苦笑いを浮かべながら彼は頭を掻く。

 だけど私は彼のその提案に、胸の高鳴りを抑えられなかった。


「『ルーシィ』でいい。ううん、『ルーシィ』がいい!」


 彼は私が呼んで欲しかった名前をピンポイントで言い当ててくれた。

 そのことだけで何でこんなに心が弾むのだろう。


「じゃ、じゃあえっと、『ルーシィ』」


「うん、『ラグ』。私たち、これで友達だね」


 私は産まれて初めてできた友達に満面の笑みでそう返した。

 本当に良いのかなとラグは呟いていたけど、私が良いって言っているのだからいいの。

 逆に王女様なんて呼ばれ方をしたらまた悲しさがぶり返してしまうかもしれない。


 ◇


 そこから、私とラグは今までのすれ違っていた時間を埋めるように、彼がこの城を去るまで、毎日傍で同じ時を過ごした。

 好きなもの、興味があること。

 彼のことは何でも聞いた。それこそもはや何も知らないくらいに。

 その中でも一番印象に残っているのは彼の髪のことだった。


「ねぇ、ラグ。ラグのその髪の白い毛って染めているの?」


 彼の左前頭部には、まるで獣に引っ掛かれたような白い毛が生えていて、どうしてもそれが気になったのだ。


「いや、別に染めている訳じゃないんだけど。産まれて髪が生えそろったくらいにはもうこんな感じだったんだよな。家族にこんな髪質は居ないんだけど、俺も良く分らない」


「そうなんだ。まるで『流星』みたい」


「流星? 流星ってなんだ?」


「えっと、よく額から鼻にかけて縦に走る白い模様を持った馬が居るんだけど、その模様のことを流星って呼ぶの。何だかそれに似ているなと思って」


「ふーん。別に俺からするとそんなロマンチックなものじゃないと思うけど」


 ラグは自分のことだからなのか、まるで興味が無さそうにそう返してくる。

 私から見ると、綺麗な流星だと思うのだけど。


 三流星……、三流星の英雄!


 素敵な二つ名ができたと、私は心の中でそっと思うのだった。


―― 深淵刻む創傷癒す三流星をその手に抱く ――

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