第百五話 三流星⑤
「あら、ラグナス様。ごきげんよう」
リーウィル姉様はボロボロの服を整えながら、少年に向け微笑む。
そうだ、この少年の名はラグナスだった。
あれだけ素っ気ない態度を取っていたのに助けに来てくれた、そんな優しい少年の名前さえ覚えていなかったことに、今更になって罪悪感を覚える。
「どうしてここが分かったのかしら。あなたはこの塔の一番上でいつものようにドア越しにエアリルシアが満足するのを待っていたはずでしょうに」
ラグナスを見てもリーウィル姉様は動じず、ただこの場所に来られた理由を尋ねる。
私が満足するのを待っていたというのはどういう意味?
彼は私の部屋でずっと本を読んでいたはず。
この場所はおろか、物見塔の存在自体知らないはずだ。
「以前あなたがここへ入っていくのを見かけました。その時は謎の危機感で深追いするのはやめましたけれど、そんな怪しさ満点のあなたからあんな時間稼ぎみたいな真似をされれば誰だって不審に思いますよ。それで確信を得た訳ではなかったので俺も気付くのは遅れましたけど、ドア越しの向こうがやけに静かだと思って見れば王女はそこに居なかった。この場所だと思ったのは唯の直感です」
「そう。でもあれがあなたの足を止める時間稼ぎだなんて、深読みしすぎですわ。私はただあなたに一言お礼が言いたくて」
「俺がここに来たのは数日前。俺は毎日のように御手洗に行くふりをしてこの物見塔へ向かう王女の後をつけていた。命を狙われている身なのだから、一人になったところを襲われるとも限らないですからね。その際に何度かあなたとすれ違ったと思いますけど、その時は俺のことがまるで眼中にないかのように振舞っておいて、今日だけ立ち塞がるように俺を阻んできた。さしずめあなたは何度かすれ違う際に俺の動向に察しがついていて、今物見塔へ向かわれると王女誘拐を阻止されてしまう。だから時間稼ぎをした、というのが俺の中の感想です」
私が上手く誤魔化せていたと思っていたことが全てバレていたということだろうか。
全く気付いていなかった。ラグナスから語られたことに驚きはあるが、それよりも嘘をついて騙していた私を陰ながら守ってくれていたという真実に、小さな胸の高鳴りを感じる。
私はあなたを遠ざけることだけを考えていたと言うのに。
「まぁ、想像力が豊かですのね、ラグナス様は」
今のラグナスの話を聞いてもリーウィル姉様は表情一つ崩さない。
「あの時、あなたがここに入っていくのを見かけた時に追いかけて手を打っておけば王女にこんな怖い思いをさせずに済んだと、今更ながらに後悔しています」
「あら、まるで自分ひとりでどうにかできるとでも思っているような口ぶり」
リーウィル姉様がそう言うと、壁に激突して気絶したと思っていた巨漢男がムクリと起き上がった。
「ラグナス様とこいつとではガタイが違いすぎる。それにこれでもうこいつを止められるものは誰も居なくなる」
リーウィル姉様は巨漢男に向かって手を伸ばす。
「『パワーエンハンス』、『アーマーエンハンス』」
そして、二つの初級魔法を巨漢男に付与した。
確か筋力をわずかに増強させて攻撃力を向上させるのが『パワーエンハンス』、身体をわずかに硬化させて防御力を向上させるのが『アーマーエンハンス』だったはずだ。
ただでさえジャシータ姉様を一撃で屠った相手。初級魔法とは言えそこのバフを乗せた相手に勝てるはずなんてない。
「ダメ、逃げて!」
必死に喉奥から声を絞り出し、目の前のラグナスに向けて私は叫ぶ。
しかし彼はゆっくりと振り返り、「大丈夫ですよ」と微笑むと巨漢男に向かって構えた。
ダメだ、ラグナスは分かっていない。
あの男の凶暴さ、そして化け物さが。
「グオオオオオッ」
巨漢男は大きく咆哮し、その野太い右腕をラグナスに向け繰り出した。
やられる。そう思った瞬間、その男の拳をラグナスは片手で受け止めた。
受け――止めた?
「はあぁっ!」
そして彼は気合を入れると、巨漢男の左脇腹へ向けて蹴りを入れた。
牢屋内に響き渡るのは骨がバキバキと砕ける音。
何かに憑りつかれたように感情を持っていなかった巨漢男が、初めて苦悶に歪む表情を見せた。
そのまま巨漢男は元居た壁に再度激突させられ、完全に沈黙する。
恐らく身体の骨が何本か折れている上に、内臓も相当傷ついているのか口からはダラダラと赤い血液が止めどなく流れており、もはや立ち上がることは不可能だろう。
一撃での決着。ラグナスの圧巻の勝利に、思わず私は口を開けたまま茫然としていた。
「嘘……」
リーウィル姉様も唖然とした様子で巨漢男とラグナスを交互に見ていた。
「そんなはずない。だってこいつは私の側近の兵士を殺し、あまつさえジャシータ姉様だって簡単に殺せるほどの……」
「でも、俺の相手じゃありませんでした」
ラグナスはパンパンと手についた埃を払い、服についた埃も払う。
「それで、弁明はありますか?」
ラグナスが笑顔でそう尋ねると、リーウィル姉様は生気が抜けたように顔を青くして、へなへなとその場でへたり込んだ。
もうダメだと思った。
絶対に助からないと、私はここで死ぬのだと、寸前まではそう思っていた。
「ラグナス……」
「はい?」
知らず知らずのうちに私が名前を口にしていたことに彼は反応する。
何故この少年が私の護衛になったのか、大きく見える彼の背中を見て、その理由が初めて分かった気がした。
リーゼベトの神童、憧れの王子様………、ううん。
私は心の中で首を振った。
「あり……がと」
上手く喋れない。
これが疲労からくるものなのか、急に気になりだした彼を直視できないからなのかは分からない。
だけど、これだけはどうしても伝えたい。
心の底から伝えたい。
「本当に……ありがとう。ラグナス」
ありがとう、私の英雄。
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