第百三話 三流星③
「姉……さま?」
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ。
「ジャシータお姉様が暴走したのは計画外だったけれど、まぁ、遅かれ早かれジャシータお姉様にはどの道死んでもらうつもりだったし。支障はほとんどないでしょう」
私の知っている優しい姉様は、大好きなリーウィル姉様はこんなこと決して言わない。
「お前は――」
「?」
唇を震わせながら声を押し出した私へ、リーウィル姉様はその冷たい視線をゆっくりと向けてくる。
「お前は誰だ」
「?」
私の言葉を受けて、リーウィル姉様は何を言っているのか分からないと言った表情を浮かべる。
そしてしばし思考を巡らせた後、屈託のない笑みを浮かべた。
「私はリーウィル、リーウィル・ロギメル。あなたの大好きな、優しいリーウィル姉様よ」
「嘘だ、お前はリーウィル姉様なんかじゃない! リーウィル姉様は、リーウィル姉様は……」
脳裏に浮かぶのは、姉様との思い出。
いつも、どんな時でもリーウィル姉様だけは私の味方だった。
優しくて、温かくて。
胸の奥から言葉にできない感情が溢れだしてくる。
「姉様は……、姉様は……」
そんな私を尻目に姉様はゆっくりと鉄格子に手をかけると、どこからか鍵を取り出した。
ガチャリと音を立て、錠が外れる音がする。
そのままリーウィル姉様は軋む音を立てる鉄格子の扉を開くと、中に入り、私の前でしゃがむと、頬に手をそっとあてがった。
「その顔が見たかったの」
そして口角を吊り上げ、化け物のような笑みを浮かべた。
「優しい姉様に裏切られ、絶望と失意に満ち溢れるその顔。たまらなく可愛いわ、エアリルシア」
嘘だと言って欲しかった。
たちの悪い嘘だったと、ジャシータ姉様と二人で仕組んだ私へのお仕置きだったと。
そんな話だったらどれほど良かっただろう。
ゆっくりと目を開くといつもの天井があって、あぁなんて酷い悪夢だったのだろうと思えたならどれほど良かっただろう。
しかし、頭部を失い力なく横たわるジャシータ姉様はピクリとも動かない。
目の前の化け物が、霞となって消えてゆく気配もない。
「酷く面倒くさい姉様を演じ続けていたのも、全てはこの時のため。あぁ、たまらない、なんてゾクゾクするのかしら」
姉様は恍惚な表情で両肩を抱き、身を振るわせる。
その表情を見て、あぁ、これは全て現実なのだと、私はそう気付いた。
瞬間、私の中から全ての希望が抜け落ちていく。
それに気付いた姉様は、更にテンションをあげた。
「あらあら、諦めたの? エアリルシア、ねぇ、エアリルシア。もっと私にその表情を見せて。もっと私を愉しませて! そのために私はずっと自分を押し殺してきたのよ!」
「グルルルルゥ……」
姉様が私を見て愉悦に浸っていると、外から獣のような唸り声が聞こえた。
それを聞いた姉様は途端に目つきをするどくして舌打ちをする。
「グルルル」
のしのしと足音を立て、鉄格子の外から現れたそいつは熊のような大男だった。
そいつはゆっくりとした足取りで鉄格子の中へ足を踏み入れてくる。
「全く、折角いいところだったのに。ジャシータお姉様を殺しただけだと足りなかったのかしら」
ジャシータ姉様を殺した野太い腕。
見た目はガタイの良い男であるが、明らかに人間ではないオーラを纏うその巨漢に私は戦慄した。
「ごめんね、エアリルシア。少しだけ時間を貰うわね」
リーウィル姉様はそう言うと、私の前でゆっくりと立ち上がった。
その背後へ巨漢の化け物はゆっくりと移動する。
ギラつくような眼。
その男は不意に姉様の後ろから、胸元に手を伸ばした。
「んっ……」
艶やかな金髪を揺らし、姉様は艶めかしい声を響かせる。
そのまま男は野獣のような勢いで、姉様の服を破り捨てた。
露わになる肌色は雪のように白く、姉妹である私でさえも美しいと思ってしまう。
そんな姉様の美しさとは裏腹に、目の前で繰り広げられたのは心の底から「気持ち悪い」としか思えない、嫌悪感で何もかもがおかしくなってしまうような、そんなやり取りだった。
「こうしている間は退屈だから、少し昔話をしてあげる。こいつはね、私が小さかった頃からご執心なのよ」
不意に姉様が私の目の前に両手を付き、顔を突き出しながらそう告げる。
「ち、小さい頃……?」
恐怖に支配されていた私の声は自然と震える。
小さい頃とは、一体姉様は何の話をしているのだろうか。
「知らなくても当然……よね」
姉様は不敵な笑みを浮かべる。
「小さい頃、丁度今のエアリルシアくらいの時。私はね、変質者に誘拐されたことがあるの」
「ゆう……かい?」
「そう。数人の護衛と近くの森をいつものように散歩している時だった。急にそいつは私たちの目の前に飛び出してきて、瞬く間に護衛全員を殴り殺した」
ゴクリと生唾を飲みこむ。
「強い魔物も居ない場所だったから護衛も油断していたのかもしれないけど、まったく手も足も出ないまま全員が為すがまま死に追いやられた。そして残ったのは私だけ。だけどそいつは私を殺さずに抱え上げると、そのまま森の中へ入って行った」
揺れるリーウィル姉様の身体。時折苦悶の表情を浮かべながら姉様は話を続ける。
「恐怖で体が動かなかった。暴れたら殺されるんじゃないかと思って。どれくらい森の中を移動したか、たどり着いたのは小さな洞窟だった。こんなところに洞窟なんかあったんだって、何度か訪れている私でも気づかない位置にその洞窟はあったの。そこで何があったかは賢いエアリルシアなら分かるわよね」
そこで何があったか。
その変質者に殴られたり蹴られたり、痛いことをされたのだろうか。
「そう。まさにあんたが今目の当たりにしていること。迫り来るごつごつとした力強くて大きな手。朝か夜かなんて関係なかった。何度も、何度も何度も何度も何度も! 私が寝てようが何してようが関係ない!」
今まさに目の当たりにしていること?
私には分かると言ったけれど、姉様が今行っていることが、どういうことなのかさっぱり分からない。
何かは分からないが、ただ気持ち悪いことだと本能がそう言っている。
だとしたら姉様は痛いことではなく、気持ち悪いことをされたということだろうか。
「でもね、そんなことを繰り返していると、いつしか私は気付いたのよ。その変質者は満足さえすれば、後は私の言うことを何でも聞いてくれるって。お腹が空いたと言えば森で動物を狩ってきてくれたり、新しい洋服が欲しいと言えばどこからか持ってきてくれたわ。まぁ、いつも血だらけだったからどういう風に調達をしていたのか予測はついたけど。でも城へ帰りたいっていうお願いだけは聞いてくれなかった。だから私は一生ここでこんな風に暮らしていくんだと、そう思った」
そこまで話したところで姉様の身体の揺れが早くなる。
姉様は顔を下に向けたけれど、それでも話を続けた。
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