第百二話 三流星②


 私は身体から力が抜けていくのを感じた。

 まさか、私をここに閉じ込めたのがジャシータ姉様だったなんて。

 ということは父様が言っていた、私の命を狙う者って……。

 あまり好いていなかったとはいえ、身内に裏切られたという真実、それが絶望に変わり重くのしかかる。


「何か言いたげな表情ね。まぁ、何もしゃべれないとあんたの泣き声も聞こえないから、その口の布は取ってあげるわ」


 ジャシータ姉様はそう言うと、乱暴に鉄格子の間に手を突っ込み、私の口元の布を取り去った。


「姉様、どうしてっ!」


 胸から飛び出す悲痛な叫び。

しかし姉様そんな私を一瞥して、鼻で笑った。


「どうしてって。あんたが邪魔に決まっているからでしょ」


「じゃ……ま?」


「そうよ」


 姉様はさも当然のような顔でうなずいた。


「王位は男系のフランシス兄様しか継げない。でも精霊術士の後継は既にあんたと決まっている。じゃああんたが居なくなれば、精霊術士の座は長姉である私にまわってくる。まぁ、あんたが精霊術士の座を明け渡すと、母様に進言するのなら助けてあげてもいいけど」


「そ、そんなこと……、絶対にできない!」


 そんなこと、死んでも出来ない。

 それは私を後継にと選んでくれている、この世で一番尊敬する母様への裏切りだ。

 それに――。


「精霊術士の名を、こんな卑劣なことをする姉様に位を明け渡して穢す訳にはいかない」


 決意の眼差し。

 例え寒さがこの身を突こうとも、恐怖が心を蝕もうとも、母様から教えられた精霊術士の矜持、それを曲げることは私にはできない。


「その眼――」


 不意に姉様の顔が歪んだかと思うと、鉄格子越しに私の髪を掴み、そして目を大きく広げるや否や私の髪を思い切り引っ張った。


「痛っ!」


 反射的に声が飛び出る。


「卑劣なこと……。はっ、あんたには分からないでしょうね。小さい頃から父様や母様の寵愛を受けて、何一つ汚いことなんて知らずに育ってきたあんたには!」


 姉様の荒々しい声の中に涙声が混じり始める。

 見れば姉様はポロポロと涙を流していた。


「羨ましかった。誰からもちやほやされるあんたが。嫌いだった。誰からもちやほやされるあんたが!」


 姉様の口から止めどなく呪詛のように紡がれる言葉の数々。


「どうして私じゃないの? こんなに頑張って、才能が無くてもちょっとした精霊の力なら借りられるようになったのに……」


 姉様はその場に力が抜けたようにへたり込んだ。

だけど私の髪は掴んだまま、そしてギュッと手に力を込めてくる。


「この青い髪が憎い。母様の血を純粋に受け継いだ、このマーヴェリックの髪が憎い! あんたの才能も、存在全てが憎い!」


 憎い、憎い、憎い。

 何度も何度も姉様の口から吐き出されるその言葉から、姉様が今までどんな思いをしていたのかは伺い知れる。

 だけど私からすると、髪の色なんてなんで気にするのか疑問だった。


「精霊術士に髪色なんて関係ない……と思う。フィナルの冒険の凄い精霊術士は青髪じゃなかったから」


 『愚者フィナルの冒険』。そこに名前だけだが登場する古の精霊術士は、青髪ではなく黒髪。母様がその精霊術士にあやかって私の名前を付けたと言っていたから、高名だったことは間違いないはずだ。


「それはあんたが後生大事にしてるあの本の作り話でしょ。知ってる? 母様もそうだったように、精霊術士は血を受け継ぐなかでも青髪の女性しかなれないって」


「精霊術士は青髪しかなれない!?」


 それは今までに一度も聞いたことが無い話だった。

 確かに何で姉様を差し置いて私がとは思っていたけれど……。


「精霊術士としての才は青い髪の女性に一番色濃く表れる。だからこそ凡人の証である金髪のお姉様や私は精霊術士の位を受け継ぐ資格がない。そうでしょ?」


 不意に牢屋に響き渡る嫋やかな声。

 ジャシータ姉様は入口の方に目を向け、すぐさま表情を青くした。


「さて、何をしていらっしゃるのかしら。ジャシータお姉様」


 何やらギギギィという音の後に現れた謎の声。

 それは私の心の中に安堵をもたらした。


「リーウィル姉様!」


 私は胸の奥底から声を絞り出し、叫んだ。

 つかつかとジャシータ姉様に近づくリーウィル姉様はこちらを見てニコリと微笑む。


「リ、リーウィル――。なぜここに?」


「ジャシータ姉様がこんな勝手をすることは予測できていました。全く、本当に考えが甘い人ですね」


 今までに見たことが無いような表情のリーウィル姉様。

 その声色もまた怒気に溢れていた。


「ゆ、許してリーウィル。ほんの出来心だったのよ」


 ジャシータ姉様は地面に頭を擦り付けてリーウィル姉様に許しを請うていた。

 普段はどちらかというとジャシータ姉様の方がリーウィル姉様よりも立場が上のように話をするのに、眼前ではそれが一変して逆に成り代わっていた。

 それほどまでに私を攫ったと言う事実がバレたことが恐ろしいことなのだろうか。


「許せる訳がないでしょう。私の楽しみを奪おうとしておいて」


 私の……楽しみ?

 私が精霊術士になることをリーウィル姉様は楽しみにしてくれていたということだろうか。


「ごめんさい、リーウィル。だってしょうがないじゃない、どうしても我慢ができなかったの。それほどまでに私の中のこの子に対する憎しみは――」


「うるさい」


 リーウィル姉様が空気も凍るような冷たい表情で一言そう告げた瞬間、姉様の後ろから野太い一本の腕が延びてきてジャシータ姉様の顔を掴んだ。

 ジャシータ姉様は宙に持ち上げられたままもごもごともがく。


「お姉様がエアリルシアに対してどんな思いを持っていようが私には関係ないの。ただ漠然とある事実は、お姉さまが私のエアリルシアを奴隷商に売ろうとしていたということだけ」


 寒さのせいか余計にリーウィル姉様の表情がとても冷酷に見えた。

 ジャシータ姉様はその野太い手に顔を掴まれたままもごもと何もしゃべれないでいた。何か釈明をしているのかもしれないけれど、何を喋っているのかまるで聞き取れない。


「本当に甘い、お菓子のように甘すぎる考え。そんな浅はかな考えに私が気付かないとでも思ったのかしら」


 リーウィル姉様は腕を組み、ジャシータ姉様を睥睨する。


「残念だけれど、お姉さまが私に黙って用意していた奴隷商は、オウレン村で麦畑の養分になってもらったわ」


 その一言を聞いて、ジャシータ姉様は全てを諦めたのか抵抗をやめた。

 リーウィル姉様のその本気度合いに私も若干の恐ろしさを感じ始める。


「リ、リーウィル姉様。もうそのくらいで……」


 いかに自分が攫われて酷いことをされたと言っても、さすがにジャシータ姉様がかわいそうに思えてきた。

 それに私の大好きな、優しいリーウィル姉様にこんな野蛮なことはして欲しくなかった。


「エアリルシアは優しいのね。だけどだめなの。お姉さまは私を出しぬき、あまつさえ私が長年温めてきた楽しみを奪おうとした。それも、とても最悪の形で。だからね」


 その瞬間、何かが弾ける音が牢屋内に響き渡った。

 赤々とした飛沫が辺りに飛び散り、私にも数滴降り注ぐ。

 一滴、私の口に飛び込んできたそれは、形容するなら鉄の味。

 突然の出来事にフリーズしていた思考回路が徐々に動き出し、眼前で、今、何が起こったのか、そして私の口内に飛び込んできたそれが何だったのか、その答えが明確に脳内で理解できたとき、胸の奥から何かがこみあげてくるのを感じ、そのまま吐瀉した。


「死をもって償うべきだと、そう思わない? エアリルシア?」


 私はえずきながらも必死に首を横に振った。


「そう。まあいいわ」


 リーウィル姉様は冷たい表情でこちらを見下ろしたかと思うと、屈託のない笑顔を私に向けた。

 

「でもすんでのところで気付けて良かった。折角私が協力してあげたのにも関わらず選んだ方法が奴隷商に売る、ですものね。本当にジャシータお姉様の考えは甘いわ。エアリルシアを


「え……?」


 途端にその笑みは歪み、禍々しさを帯びる。


「やるなら、そう、きっちりと殺さなきゃ――ね」


 その時、私ははっきりと父であるルーデンス王の言葉を思い出した。

 城内にはお前のという、その言葉を。

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