第百一話 三流星①


―― 蒼穹焦がれる寂寥は、 ――


 深い暗闇の底。

 混濁する意識の中で私は両手を伸ばし、足掻く。

 遠く、僅かに見える光に向けてその手を伸ばすが届かない。

 その手は空を掴むだけ。

 何も掴めないまま、身体は沈んでいく。


「寒い――」


 身を凍らせるような寒さ。

 そして緩やかに覚醒していく意識。

 ゆっくりと目蓋を開けてみるが、しかし目の前は暗闇のまま。

 何かで目を塞がれているのか、しかしそれを外そうとも、恐らく後ろ手で縛られているであろう両腕は動かない。

 足も同じだ。丁度足首のあたりでロープのような肌感のもので括られているようで、こちらもどんなに力を入れようが全く動かない。

 両膝を折られ冷たい石畳のような場所に座らされた体勢。

 そのまま叫ぼうにも、何かしらの布を口にあてがわれており、どんなに大声を出そうとしてももごもごと小さなうめき声に変えられてしまう。

 誰かに捕えられた? いつ、どこで?

 いつものようにあの鬱陶しい少年を毎度の御手洗手法で撒いた私は、お気に入りの場所である物見塔へ向っている途中だったはず。

 そこだ、そこから記憶が無い。


「うっ……」


 思い出そうにも意識がはっきりとしていくごとに頭を襲う鈍い痛み。

 こめかみのあたりから頬にかけて、何やら温かな液体が流れていることから察するに、恐らく私は外傷を負わされている。

 それも流血するほど強力に、だ。その状況下で生きていることにまず感謝をしておいた方がいいかもしれない。

 視界だけでも確保しようと地面に顔を擦り付け、何とか目を隠している布のようなものをずらした。

 最初に目に飛び込んだのはうっすらと揺らめく松明の光。

 その光で辛うじて見える範囲を伺ってみる。ここは牢屋だろうか?

 こんな場所はあったか、記憶を巡らせるけれど思い当たる節が無い。


「ウウウ……」


 灰色の石壁で隔たれた、恐らくは隣の牢屋。

 そこから何やら獣のようなうめき声が聞こえてきた。

 慌てていつも私のことを守ってくれていた風の精霊を頼ろうとするけれど、偶然か、それとも狙われた必然なのか、今母様は所用で出かけており、それに精霊も同行している。

 じゃあ、私が精霊を呼べばいいじゃないか。


「ふぉんげんのひげん。ひのほへいれいファラマンボラ。ふぁがふょびかけにふぉはふぇ、ふふぇふほほほほうかふぇひゃふぃつくせ。『フュビョフファンフェ』!」


 これでこの忌々しいロープが焼き尽くせるはず。

 しかし、待てど暮らせど精霊術が発動する気配がない。

 何か間違えたかと思いその後も何度か試したけれど、結局一度も精霊術を使うことが出来なかった。

 何かしらで精霊術が阻害されているのか。


「『ファイアーボール』!」


 だったら魔法だと、簡単な初級魔法を使ってみるがこれも発動しない。


 いつも守ってくれている精霊は居ない。

 得意の精霊術は使えない。

 簡単な魔法ですら発動してくれない。


 つまり、今私を守るものは何一つない。

 漠然と突きつけられた事実、そして絶えず聞こえる唸り声から襲い来る恐怖。

 寒さも合わさって身体の震えが一層激しくなる。


 早く誰か助けに来て。


 そう願いながらも、何も変わらない。

 ただ、時間だけは無情に過ぎていく。


 ◇


 意識が覚醒してからどのくらい時間が経っただろうか。

 まだ数分しか経っていない気もするし、既に何時間か経過したようにも感じる。

 時間の感覚さえ全く分からなくなるほど、私の身体は衰弱し、そして脳内では後悔の二文字が巡り続ける。

 こんなことになるくらいなら、あの少年に同行してもらっておけば良かった。もっと仲良くしておけば良かった。

 父様はこうなることを見越して、あの親子に私の護衛を頼んでいたのだ。

 今さら助けて欲しいなんて都合のいい話、だけど……、我儘なんてもう言わない。


 だから、お願い、助けて!


 寒さは体温を奪う。

 常に纏う恐怖は理性を狂わせる。

 早く出たい、早く出して。そんな衝動は手足を封じられた私の身体を操り、動かす。

 ミミズのように地面を這い、私をここに縛り付ける鉄格子のもとへ何とかたどり着く。

 そして状態を起こすと、鉄格子に思い切り私の身体をぶつけた。


「グッ……」


 ガンッという鈍い音が周囲に鳴り響くとともに、身体に伝う痛みに悶える。

 だけど何とかして音を出し、私がここに居ると言うことを外に伝えないといけない。

 ガンッ、ガンッと幾度も身体を打ち付ける。

 鳴り響いているのは鉄格子なのか、それとも私の骨なのか。

 理性などとうになくなっていた。

 私は誰かに伝わることをひたすら信じて、狂ったように何度も身体を打ち付けた。

 

 ◇


 身体は麻痺し、痛みも感じなくなった頃、遠くから何やら重々しい扉が開く音が聞こえた。

 そして階段を下りているかのようにコツコツという足音が響く。


「んー、んー!」


 誰かが私のことに気付いて助けに来てくれた。

 そう思って、精一杯声を上げる。

 やがてその足音は私の牢屋の近くまでやってきた。

 そしてその人物はゆっくりと私の目の前に姿を現した。

 最初に見えたのは、松明の光に照らされた金色の綺麗な髪だった。

 その姿には見覚えがある、ジャシータ姉様だ。

 助かったと、心の底からホッとする。

 姉様が来てくれたからには私はもう大丈夫だ。そう思って安堵したのも束の間、姉様の口からは信じられない言葉が紡がれた。


「無様ね。エアリルシア」


 えっ――。


「ガンガンうるさいから様子を見に来てみれば、まさか自分の身体を鉄格子にぶつけていたなんて」


 姉様はニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべる。


「鉄扉の傍に居て微かに聞こえる程度だから大丈夫だとは思うけれど、折角わざわざその大切な体に大きな傷が残らないよう一撃で気絶させてあげたのだから、もっと自分の身体は大事にした方がいいわよ」


 一撃で、気絶?

 姉様は――、何を言って――。


「訳が分からないって言う顔をしているわね。いいわ、どうせここからあんたは居なくなるんだし、教えてあげる」


 そして姉様は口角を吊り上げ、今までに見たことが無い程醜い笑みを浮かべた。


「あんたを襲ってここに閉じ込めたのは私。そしてあんたはこれから奴隷商に売られて、訳も分からない奴の慰み者にでもなるのよ」


 姉様は意気揚々とそう私に告げると、大声で笑った。

 その笑い声は例えようもない程下品で、そして醜かった。


 ◇ 記憶外の真実 ◇


「ごきげんよう」


 御手洗戦法で俺を撒いたと思っている王女の後を、いつもどおり付いて行こうと思った矢先、柔らかい声の女性に呼び止められた。


「ラグナス様……だったかしら?」


「エアリルシア様の――お姉さん?」


 見ればその人はエアリルシア王女の姉、その人だった。


「丁度良かった。最近うちのエアリルシアがお世話になっていると伺って一言お礼を申し上げたかったところなの」


 そう言ってその女性は一礼する。


「いえいえ、ただ一緒に遊んでいるだけですから。あ、そういえば今王女とかくれんぼして遊んでいるんですよ。だから早く見つけないと――」


 本当はそんな遊びなどしていなかったけれど、早くしないと王女を見失うと思って咄嗟に口から飛び出た嘘だった。


「まぁ、そうでしたの。でも少しくらい大丈夫よ。あの子だったらいつものあの場所に居ると思うから、しばらく探したフリをして見つけてあげたらいいわ。すぐに見つかると拗ねちゃうかもしれないから」


 しかしその女性は、そんな俺の嘘を全く意に介さないといったように話を続けた。


「だから、あなたのことをもっと教えていただけないかしら」


 ◇


 結局何分くらい時間を取られただろうか。

 好きな女の子は居るのかとか、エアリルシア王女のことはどう思っているのだとか、主に色恋沙汰の話だった。

 どうして女性はこういった話が好きなのか分からないけれど、別に最近出会ったばかりの王女に特別な感情は抱いていない。

 まぁ、言っていて非常に心が痛むが、向こうも俺のことを相当嫌っているし、そういった間柄になんて成りようがないだろう。

 それに、俺には――。

 そんなことはさておき、俺は足早にいつもの場所へ急ぐ。

 どうせ今日もあの場所で一人本を読んでいるだろうから、焦る必要はないのだけれど。

 ゆっくりと物見塔の階段を上がり、そしていつもの定位置に腰を降ろす。

 ふと、今日はいつもより静かだなと感じたけれど、まぁ多分気のせいだろうと思い俺は持ってきた本を開き、続きを読み始めた。

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