第九十三話 風の霊具

「嘘……だろ……」


 オリバーに次いで声を出しのはラグだった。

 驚きからか目を大きく見開き、茫然とした様子で外の様子を眺めている。

 ラグがそうなるのは無理もなかった。

 私自身、こんな光景信じられないし信じたくもない。

 空を煌星が彩り、崖下の大地を仄かに照らす。

 その中を無数の点が飛び交っていた。

 その点たちはいずれも禍々しい色の翼を生やし、闇夜に溶け込むように宙を漂っている。

 私が名前を知っている種類でさえ、ガーゴイル、ワイバーン、そしてアークヴェロスまでもが確認できる。

 一体でさえベテランの冒険者パーティが苦戦するほどの魔物。

 それが数にして数十、いや数百。

 数えることでさえ絶望の二文字が脳を蝕むその状況下で、私が今至って冷静な気持ちでいられるのは、恐らく纏儀により感情を一時的に失っているからだろう。

 こんな副作用があるなんて知らなかったけれど、今はそれに感謝したい。

 とはいえこの状況、一名ほど問いたださなければいけない精霊がいる。


「シルフ、これはどういうこと」


 シルフは私が黄金の宝珠を手に入れるように促していた。

 まるでこうなることを望んでいたみたいに。


―― どういうこと、とはどういう意味だい? ――


「とぼけないで。ラグやオリバーは扉が開くような音が聞こえたと言っていた。そこから今考えられるのは、この魔物たちがどこかに捕えられていて、それが解き放たれたってこと。そのトリガーとなったのは黄金の宝珠でしょ」


 あの林檎からは嫌な気配を感じていた。

 あれが魔物たちを閉じ込めていた扉を開く鍵だったとしたら、辻褄が合う話だ。


―― 黄金の宝珠……、ね。この状況ですぐさまそこまで推理したのはお見事だけど、あれは黄金の宝珠なんかじゃないよ。それよりぼやぼやしていていいの? あの魔物たちどこかへ向かっているみたいだけど ――


 シルフのその言葉を受けて、私は魔物たちの動向へ目をやる。

 確かに宙を漂う魔物たちからは、私達に狙いを定め襲い掛かるといった様子は伺えない。

 皆一様に西の方を向き、ゆっくりと移動を開始している。

 西の方……、まさかっ!


「ラグ、あの魔物たち王都へ向かってる!」


「なんだって!」


 ここから西の方角にあるのはインステッド王国の王都グレナデだ。


「シルフ……、あなたは最初からこれが目的だったのね」


 消えた感情の中、僅かに声に怒気をこもらせてシルフに向けてそう言い放つ。


―― 変な誤解をしないでおくれよ。ボクの目的は最初から最後まで一貫して同じだ。君の器を直接この目で見定める。当然、ボクの力を使役できる君ならこの状況を止めることなんて造作もないだろう? ――


「たった……それだけのことで……。そのためだけに?」


 そのシルフのしょうもない理由に私は言葉を失った。

 私の力を試したいだけのために、この精霊は一国を危機に陥れようとしていたのか。


―― 君が失敗したところであんな紛い物どうなったって構いやしないよ。さぁ、この事状況、どう打開する? ――


 私の気持ちはシルフに届いていないのか、シルフはこの状況をまるで遊びのように楽しんでいる様だった。


―― あ、そうそう。君を騙したお詫びにこれを貸してあげるよ ――


 シルフが愉快そうな口調でそう言うと、私の目の前に突如大きな金属扇が姿を現す。

 私の胸元ほどまでの大きさもあるそれは、骨の一つ一つが緑がかった銀色に輝く平たい両刃の剣で構成され、剣柄の部分を要として扇の形を成していた。


―― 風の霊具『剣扇ノルスアーヴェ』。一扇ぎで嵐を巻き起こし、二扇ぎで稲妻を轟かせる、祖精霊と契約した巫女に与えられる武器だ。本当は巫女ではない君が使うのはご法度だけど、まぁ、細かいことはいいや。君がこれを使えるのなら、どうぞご自由に使ってもらって構わないよ ――


 尚も私を試すような口調で喋るシルフ。

 シルフの目的も判明した今、流石に感情を抑えられた状態であったとしても少し怒りを感じる。

 とはいえ、この申し出は今の私たちにとってはありがたい。

 私も精霊術士の端くれ、シルフの言う霊具がどういうものかは聞いたことがある。

 霊具とは、シルフも言っていたとおり祖精霊と契約した巫女と呼ばれる存在しか使用を許されていない伝説の武器のこと。

 ただその威力の強さ故、力に見合わぬ者が使えば使用者の命の保障はない、言わば諸刃の剣であるため、祖精霊が力を認めた、つまり契約した巫女しか使用が許されていない。

 纏儀にしても霊具にしても、精霊という、人間とは異なる生命の力を扱う精霊術士は何かと危険が多い。

 だからこそ、才のある者しか精霊術士にはなれないのだ。


「使ってみせる。じゃないとラグの隣には立てない」


 私の心の中にはあの日、あの時私を助けてくれた幼馴染の姿がいつもある。

 背丈は大きくなったけれど、その背中の大きさは昔から変わらない、私の大切な人。

 ラグが私を守ってくれたように、私もラグを守れる存在になる。

 祖精霊相手に纏儀ができたんだ、今更霊具ごとき恐れるに足りない。

 私は決心を固め、無言で剣扇に手を伸ばした。

 何かしらの力の奔流や、纏儀の時のような暴走を警戒する……が、意外と霊具はあっさりと私の手に収まった。

 重力は感じない、まるで私の身体の一部のように剣扇は手に馴染んだ。


―― へぇ、この程度は朝飯前ってこと ――


 シルフの声色は満足感を帯びている。

 終始上から目線な感じではあるが、不思議と今は嫌な思いはしない。


「皆、私の後ろに隠れて」

 

 私はラグやオリバー、そしてライカに向け少し大きめの声で言い放つ。

 皆にはシルフの声は聞こえていないみたいだったけれど、私とシルフのやり取り、そして突如現れた巨大な扇を見て、何か策があるのだろうと感じてくれたのだろう、黙ってコクリと頷いてくれた。


「お願い……。どうか私に力を貸して」


 扇に向かって祈りを捧げる。

 時間が刻一刻と過ぎるごとに魔物はグレナデへの侵攻の足を進める。

 呆けている時間は無い。私は意を決すると、目を大きく見開いた。


「風よ、雷よ、扇ぎに乗って自由に吹き荒れろ!」


 私は言の葉に願いを乗せ、その剣扇を大きく扇いだ。

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