第九十話 隠された名

 いつからだろうか、彼女を意識し始めたのは。

 いつだっただろうか、この胸の高鳴りを知ったのは。


 落ちていく中、脳裏を過ぎるのは幼い記憶。

 煌びやかな金色の髪に翡翠色の瞳。

 気品ある出で立ち、一抹の闇を背負った少女に出会ったあの日。

 僕は恋に落ちた。


 彼女は幻想だと知っていた。

 決して叶わぬ恋だと、僕は知っていた。

 だけど一度生まれた感情は僕の理性なんて押しのけて、どんどんと膨らんでいった。

 それほどまでに彼女は魅力的な人だった。


 だからこそ分かるんだ。

 同じ人に恋をした、ヴィヴロの気持ちが。


「オリバー、オリバー!」


 遠くで何度も僕の名前を呼ぶ声がする。

 あの人と同じ顔、同じ声の少女の叫ぶ声が聞こえる。

 その声は、混濁する脳に溶け込むように、とてもクリアに僕の耳を刺激する。

 意識は徐々に今へ呼び戻され、眼には茜色が映し出された。


「その声で……」


 僕の名前を呼ぶのは……。


「オリバー!」


 悲しさと、涙が混じった声。

 その瞬間、完全に僕の意識は覚醒した。


「ライラ!」


 僕はポケットからスキルクリスタルを取り出し、強く握る。

 僕に流れる王家の血よ、どうか勝利の導きを。


 ― ルーテットに、栄光あれ! ―


「ベルセルク!」


 僕の渾身の叫びと共に、自身のスキルを発動させた。


=======================


  ベルセルク

  自身の姿を巨大化させ、狂大な巨人族

  の力を得る


=======================


 世界に散らばる二十一の王族は、どのスキルクリスタルからスキルを得た場合だったとしても、必ず金色のスキルを手に入れることができる。

 それは我らが二十一の王家を束ねる二十二番目の王の力となるため、王家の血がスキルクリスタルと共鳴して起きる現象。昔父から聞いた話だ。

 僕のこの力は、我らが王のため使うもの。

 だけど、今だけはどうか許して欲しい。

 僕の大切な人の幻影を守るため。

 そしてどこの馬の骨とも分からない奴に良いようにつかわれた、ヴィヴロのため。


 僕の願いを受け継ぐように、体躯が肥大化していく。

 どんどんと体は膨らみ、服は破け散った。

 肥大化が止まったかと思うと、平原に足を付けた状態であるにも関わらず、僕の目線は野獣のようなヴィヴロと、顔をくしゃくしゃに歪めたライカを捕える。

 何度か変身したことはあるけれど、この姿は未だに慣れないな。


「ウガアアアァッ!」


 僕の姿を見たヴィヴロは一瞬慄きを見せたが、知ったことかと僕に向かって突進してくる。

 僕はその攻撃を左手で易々と受けると、そのままヴィヴロを握りこんだ。

 このスキルの力はただ図体がでかくなるだけではなく、巨人族の力をも得ること。

 今のヴィヴロ程度の力では恐るるに足りない。

 徐々に握りを強くし、ヴィヴロに圧力をかけていく。


「グギギギギギッ」


 ヴィヴロは何とか振りほどこうとするが、既に身体の骨が何本か折れているはずだ。

 僕は彼を殺すつもりはない。

 もう抵抗できないと判断し、僕はそっと彼を乗って来た船の上へ置いた。

 苦しみ悶えながら、彼は何かを呟いている。


「コロ……シテクレ……」


 何度もそう告げるヴィヴロ、縋るような目でこちらを見てくる。


「これは君が悪魔に魂を売った結果だ。どうかその報いを受け、生きて、生き続けてくれ」


 恐らくヴィヴロをこんな姿にした奴もヴィヴロを殺しまではしないだろう。

 僕は彼を唆した第三者の存在を確信していた。

 これも昔聞いたことがある話だ。

 スキルの中には、魂の性質を書き換え違う魂を精製するスキルが存在する。

 魂を書き換えられたものは、その魂の色に応じた悪魔に憑りつかれる代わりに、膨大な力を手に入れる。

 その悪魔を祓うことができるのは、スキルの使用者のみ。

 後はあのヴィヴロの姿を見たスキルの使用者の善意に託すしかない。

 僕は目の前の樹の手すりに手をかけ、スキルを解除した。

 徐々に足元から縮んでいく僕の身体。足元から解除した場合、どこかに掴まっていないと僕の身体は宙に投げ出されてしまうが、こうしていればそんな心配は必要ない。

 とはいっても少しばかりコツはいるけれど。


「オリバー……」


 よっこらせと元の場所へ戻る僕をライカは複雑そうな表情で見つめる。


「あんまりジロジロと見ないでくれるか。今は何も着ていないんだ」


「あっ、すみません」


 そう言うと、顔を赤らめたライカは慌てて顔を逸らした。


 ◇


「もういいぞ」


 スペアの服に着替えた僕は、ライカにそう声を掛ける。


「先ほどはすみませんでした」


 未だに顔が赤い彼女はペコリと頭を下げた。


「いいよ。気にしてないから」


 本当は少し気にしているけれど、変な見栄もあってそう僕はライカに告げた。

 それもそうだろう。いくらコピードールとはいえ、僕の憧れの人の生き写しのような見た目なのだ。

 気にするなと言う方が無理な話だ。


「もうダメかと思いました。でも私の声にあなたが反応してくれた時は嬉しくて……」


 涙の痕を拭きながらライカはそう告げる。


「別に君の声に反応した訳じゃないさ」


「……」


 僕の返しにライカは一瞬黙り込む。

 そしてゆっくりと口を開いた。


「オリバー・ルー……、いえ、オリバー・


「その名は口にしない約束だったはずだけど?」


「その想いは私たちが目指す先の重荷になります。ですから……」


「そんなことは分かってる!」


 僕の言葉を無視し、そう告げてくるライカの言葉に苛立ちを覚え、思い切り樹の手すりを殴りつけた。

 殴った箇所はバキィッという音を立てて、真二つに割れる。


「僕の役目はこの『偽りの国インステッド』に終わりを告げることだ。例えそれが僕の望まない結末だったとしても」


「出過ぎた発言でした。罰ならなんなりと」


「……、今はそんなことを言い争っている暇はない。いち早くロギメルの王女の元へ駆けつけ、黄金の宝珠を手に入れる必要がある。それが僕たちの目的なのだから」


 過去から紡がれた因果。

 脈々と受け継がれてきた儚い歴史。

 先祖の一途なその想いに共感を抱いたからこそ、僕は僕の想いを押し殺し、こうして協力をしてきた。

 全ての幻想を、幻影を打ち消しこの悪夢を終わらせるため、僕は大樹の頂点を目指す。

 このルーテットのスキルクリスタルに誓って、僕は成し遂げなければならない。

 それが監視者たる僕の役目なのだから。

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