第八十七話 調教師

「ここは俺がすぐに終わらせる! お前らは走ってルーシィの援護を頼む!」


 バークフェンさんが言い終わるのを待たず、俺は後方の二人へ向けてそう叫んだ。

 オリバーは俺の意図を汲んでくれたのか、ライカの手を取り、バークフェンさんの横を抜けて螺旋階段を登って行った。


「足止めさせていただきましょう……、と言い終わる前に行ってしまったみたいだ」


 バークフェンさんはちらりと後方の螺旋階段を一瞥すると、俺に向き直り不敵な笑みを浮かべる。


「あんたの相手は俺だ」


 俺はアイテムボックスから量産品の剣を取り出すと、バークフェンさん……、いや、バークフェンに向けて構えた。

 すぐに終わらせると言ったのは紛れもなく本音だ。

 なぜなら、俺には必殺のスキル天下無双がある。

 一分間ではあるものの、ステータスを最高値にまで引き上げてくれるこのスキルを使えば、人間であるバークフェンに負ける要素は皆無だ。

 それがいくらルーシィの中級魔法を片手で止めた相手だったとしても。


「なるほど。確かに私と互角に戦えるのは君しかいないかもしれない。だけど、本当にあの二人を行かせて良かったのかな?」


 バークフェンが静かにそう言って指をパチンと鳴らすと、彼の後方から一匹の魔物が姿を現す。

 ドシッドシッと地面を揺らしながら歩いてくるそいつは、バークフェンよりも巨体な熊だった。


「スティウルスか……」


 スティウルス。鋼のような毛に覆われた熊のような姿の魔物だ。


「私は調教師テイマーでね。どちらかというと使役する奴隷に戦わせるのが本職なんだよ」


 勝利を確信しているのか、バークフェンは余裕の姿勢を崩さない。

 辺りの気配を探ってみるが、どうも使役しているのはスティウルス一体だけのようだ。

 であればこいつも含めて一分間でどうにかなりそうなものの、念には念を入れておいた方がよさそうだ。


「こんな時のために道中で摘んでおいて良かった」


 俺はアイテムボックスから真っ赤な木の実を取り出すと、スティウルス目がけてそいつを投げつけた。


「それは!?」


 バークフェンが少し驚いた様子で俺の投げた木の実を見据える。


「カッコイの実だよ。スティウルスはこいつに目が無いんだろう」


 スティウルスはカッコイの実が大好物。

 こいつを投げればスティウルスはこの実に夢中になり、周りが見えなくなる。

 悪いがバークフェンの力量が分からない以上、敵は増やしたくない。

 案の定スティウルスはその木の実に即座に近づき、鼻を実に付けてひくひくとさせている。

 そうだ、そのまま実に夢中になって大人しくして……。


「グルルルルゥッ!」


 しかし次の瞬間、俺の予想とは裏腹に、スティウルスは大きな唸り声を上げると、俺を真っ赤にギラつく目で睨みつけてきた。


「クククク。カッコイの実がスティウルスの大好物か……。君は一体いつの時代の話をしているんだい?」


 見ればバークフェンが手を口元にやり、笑いをこらえていた。


「カッコイの実がスティウルスの好物だったのは昔の話。カッコイの実は微量な毒を含んでいて、少量食べる程度ではどうということはないが、大量に食べると死に至る。少し昔にスティウルス対策で大量のカッコイの実が投じられ、それによってスティウルスの個体数が大幅に激減したんだ。魔物とはいえスティウルスも理性ある生き物。原因がそれだと分かると、いくら今まで好物だったといえど嫌いにもなる」


 そこまで言ってバークフェンは「ほら」とスティウルスを示した。


「彼はお怒りだ」


「ウガアアアアアッ!」


 牙をむき出しに大きな口を開けて威嚇とばかりにスティウルスは吼える。

 くそっ、ライカのやつ俺にガセをつかませたのか。

 まともに彼女の言葉を信じてしまった自分の思慮の浅さにも苛立ちを覚えつつ、俺は剣をスティウルスに向けて構えた。

 もはやスキルを出し惜しみしている余裕はない。

 俺は天下無双を発動させた。

 見る見るうちに体は虹色のオーラに包まれ、体の中から力が湧き出てくる。

 この感覚は何度味わっても気持ちがいいものだった。

 ホント、ステータス値さえ半分にならなければ最高なんだけどな。

 まぁ、欲を言えば一日何度でも使えるようになればもっと最高だけど。


「ウオオオオオォォォッ!」


 大きな唸りを上げて俺に向かってスティウルスが突進してくる。

 俺は剣の腹でそのスティウルスの突進頭突きを受け止めた。

 これも何度味わっても不思議な感覚だけれど、本来なら体中の骨がバラバラになってもおかしくないほどの衝撃を易々と受け止められている。

 それもとてつもなく軽い。例えるなら小さい子供がぶつかってきたような、いやその方がもしかしたら強いかもしれない。


「悪いな。お前の相手をしている場合じゃないんだ」


 俺は剣の腹で軽くスティウルスを押し返すと、目にも取らぬスピードで剣を左から右へと薙いだ。

 刹那にスティウルスの頭は血飛沫をあげながら胴体から離れた。

 そして俺はなおも目の前でぐらつく胴体を蹴りで横に払いのける。

 胴体はものすごい勢いで大樹にぶつかり、馬鹿でかい衝撃音とともに大きくその樹全体を揺らした。

 時間にしてわずかに十秒程度。

 俺は力なく地に落ちたスティウルスの頭を拾うと、「返す」とだけ告げてバークフェンへ投げつけた。

 バークフェンは向かって来るそれを意にも介さず避ける。 

 頭は後方の大樹に叩きつけられ、赤い液体を出しながらグチャリとつぶれた。


「お見事。やはりスティウルスごときでは駄目か」


 バークフェンは羽織っていたマントを脱ぎ捨てると、今度は自分が相手だと言わんばかりに構えた。


「さぁ、機は熟した。今度は私が相手になろう」


 バークフェンは眼鏡をくいと上げ、不敵な笑みを浮かべる。

 俺も剣をアイテムボックスにしまい、バークフェンに向かって構えた。


「おや? 得物は使わないのかい?」


「あんたを殺す気はないからな」


 不思議そうに尋ねてくるバークフェンに向かって俺はそう言い返す。

 武器は手加減がし辛く、素手ならば誤って彼を殺してしまうこともないだろう。


「随分お優しいことで。その甘さが命取りにならなければいいが」


 そうやって俺を挑発できるところを見るに、天下無双を知らないバークフェンはまだ俺に勝てると踏んでいるのだろう。


「悪いがあんたも一瞬で終わらせてもらう」


 上ではルーシィが俺のことを待っているはずだ。

 残った天下無双の時間で螺旋階段を駆け上って行けばオリバーたちにも十分追いつける。

 俺は地面を力強く蹴りつけると、バークフェンとの距離を一瞬で詰めた。


「終わりだ」


 俺はその速度に乗せて拳を繰り出した。


「君がね」


 しかし、俺の渾身の一撃はバークフェンの左手の平で易々と受け止められた。


「なっ」


 驚きのせいかは分からないが、身体から一瞬力が抜ける感覚に襲われる。

 勢いのまま俺はバークフェンの後方に逸らされ、そしてそのままバークフェンから繰り出された蹴りを横腹にくらった。


「ぐっ……」


 迸る衝撃と痛みを感じながら身体は蹴り飛ばされ、大樹に背中から激突する。

 そして爆音とともにその衝撃が大樹全体を再び揺らした。

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