第八十六話 立ち塞がるもの

「そこをどいてくれないか」


「……」


 螺旋階段を上る途中。

踊り場のような、少し開けた場所で僕の前に立ちはだかったのはかつての親友、ヴィヴロだった。

 そいつは僕の言葉が聞こえているのか、いないのか。

 目を赤々とぎらつかせ、こちらを睨み付けるように凝視したまま何も言わない。


「ライカ。一人で上を目指せ」


 自分の知っているヴィヴロではない。

 直感でそう悟った僕は、ここからライカを離れさせるべく上へ目指すよう促した。

 ライカは僕の意図を察しこくりと頷くと、上へ続く螺旋階段へ向け駈け出した。


「ウガアアァッ!」


 獣のような声。

 刹那の後にそれをあげたのがヴィヴロだと気付いた僕は、ヴィヴロとライカの間に割って入った。

 ヴィヴロから無遠慮に繰り出される拳は空を切る。

僕はそれを右の手で受け止めると、全力を持って押し返した。

右手は電流が流れたようにビリビリと痺れ、手のひらは赤く腫れている。


「早く行け!」


 僕はライカにそう叫ぶと、止まっていたライカがハッと何かに気付いたように走り出した。

 今の彼女の力では、あの様子のおかしいヴィヴロの相手をさせるのは危険だ。

例えば元の一人に完全に戻っていれば、一緒に戦ってもらっていたところだけれど。

 僕はそう考えながら軽く息を吐き、改めてヴィヴロを見る。

 口元からは涎を垂らし目は燃え盛る炎のように赤い。

 額には青筋が浮き出ており髪は若干逆立っている。


「えらく凶暴になったじゃないか」


 会話を試みてみた。

 しかしヴィヴロは僕を睨み付けるだけで、その問いかけに答えようとはしない。

 僕の声に対して反応がある以上、聞こえていないと言う訳ではないようだ。


 誰かに操られている?


 その考えが頭をよぎる。

 明らかに僕の知っているヴィヴロとは豹変しすぎており、そうであるとしか逆に考えられない。


「グアアアァツ!」


 耳を劈く咆哮とともに、ヴィヴロが僕へと向かって来る。

 戦闘能力であれば今までのヴィヴロであれば皆無と言って良い。あまり強くは無いとは言っても、それでも僕の方が上だ。だけど……。


「くっ……」


 彼の右手から繰り出されたのは、幼馴染に対して出すとは思えないほどの力が込められた拳だった。

 僕はそれを両の手で受け止めるが、先ほど同様、刹那の痛みの後電流のような衝撃が手に伝わってくる。

 なんとか彼を押し返すと、痛む右手に喝を入れてギュッと握り、隙だらけの腹部へと拳を繰り出した。

 しかしヴィヴロは、まるでそれを見切っていたかのようにバックステップでそれを易々と避ける。


「本当に別人だね」


 開いた距離で動かず俺とヴィヴロは牽制しあう。

 僕がゴクリと唾を飲みこんだ瞬間、何やら不敵な笑みをヴィヴロが浮かべた。


「っ!?」


 瞬間、ヴィヴロの手に炎球が作られる。初級魔法『ファイアーボール』か!

 気づいた僕はそれを相殺すべく同じ魔法で対抗する。

 ほぼ同時に放たれた魔法はお互いの間でぶつかり合い、爆発音とともに灰色の煙へと変わった。


「おいおい。いつの間に魔法を使えるようになったんだ?」


 僕の記憶ではヴィヴロは魔法を使うことができなかったはずだ。

 大抵の人間が使える魔法だが、具現化力、すなわち魔法をそこに具現するイメージ力が足りない人間は使うことができない。

 たまに詠唱すれば魔法なんて簡単に使えるといった天才がいる一方で、そういったセンスに全く恵まれない人間もいる。

ヴィヴロはまさしくその恵まれていない内の一人だったはずだ。


「『サンダースピア』!」


 すると上空から雷の槍が、ヴィヴロに降り注いだ。

 見れば上から降ってきたライカが僕の目の前に着地する。


「一人では危険だと判断しました」


 振り返りライカは僕にそう告げた。


「何で戻って来たんだ! あいつは今正気じゃないんだぞ!」


「理由は先ほど述べましたよ」


 僕一人だとダメだということか……。まだお前は未熟だと……。


「そうやって……。君はまた僕を子ども扱いするんだね」


「何の話ですか?」


「いいさ。ヴィヴロを倒してそうじゃないことを証明してみせる。ライカは手を出すな!」


 僕はそう言い捨てると、一目散にヴィヴロへ突進した。



 『パワーエンハンス』、『スピードエンハンス』。

 力と素早さを微上昇させる初級魔法を密かに体に付与した。

 本当はスキルが発動できれば今のヴィヴロであっても敵ではないのだけれど、ここでは場所があまりにも悪すぎる。


「はあっ!」


 気合と共に、先ほどよりも早く、そして力強い拳をヴィヴロへ叩き込んだ。

 計算を読み違えたのか、避けきれなかったヴィヴロの頬に僕の拳は直撃し、数メートルヴィヴロは吹き飛ぶ。


「どうだ。僕一人でも大丈夫だろう」

 

 僕は振り返りライカにそう告げると、ライカが鬼気迫る表情で「危ないっ」と叫んだ。

 見ると鮮血を口から流したヴィヴロはスッと立ち上がり、僕の方へ先ほどよりも早いスピードで突進してきた。


「グアアアアッ!」


 三度目の咆哮。


「はあああっ!」


 僕も気合を入れると、突進してきたヴィヴロの拳に向け拳をぶつけた。

 ぶつかった瞬間、痛みで気が遠くなるが何とか耐え、軋む腕に喝を入れながらヴィヴロの攻撃を受け止める。

 それはヴィヴロも同じようで先ほどまで見せていた余裕の表情は全くない。

 そこからは考えよりも反射神経に身を任せるように、ヴィヴロの攻撃を受け、そして隙を見てはヴィヴロに拳を叩き込んだ。

 ノーガードで殴り合う僕とヴィヴロ。

 次第に目は霞みはじめ、攻撃のスピードも遅くなっていく。

 それはヴィヴロも同じで、お互い呼吸を乱しながらも、それでも相手へ向ける拳を止めない。


「……ラ」


「……?」


 ふとヴィヴロが何かをしきりに呟いていることに気付いた。

 彼が何を言っているのか、僕は拳を止めないまま、耳にも集中力を費やした。


「ライラ……ライラ……」


「っ!」


 ヴィヴロが呟いていたのはライラの名前だった。


 一瞬の油断だった。

 ライラと呟いていたヴィヴロに意識を取られ、彼の拳から意識が逸れていた。

 顔面に直撃するヴィヴロの拳。

 その一撃だけ、何故か強く、そして重かった。


 あっという間に僕の身体は彼の一撃で後方に吹き飛ばされる。

 見えるのは螺旋階段の裏面から、少し茜が射した青色へ変わった。

 どうやら僕はあの踊り場のような場所から外へ投げ出されたらしい。


「オリバー!!」


 遠くからライラの声が聞こえた。

 いや、あれはライカか。

 手を出すなと啖呵を切っておいて、この様か。

 僕の身体はそのまま重力に従い落下を始める。

 見れば雲海の大樹の地面が真前だった。

 落ちるにしても、あの黄金の花畑だったらまだと思っていたが、どうやらこのまま風鳴りの丘まで直行みたいだ。

 僕はゆっくりと目を瞑る。

 僕の身体は、下へ、下へ、落ちていく……。

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