第八十四話 エデンの間
「お任せしてよかったのですか?」
僕の傍ら、一緒に螺旋階段を駆け上がるライカが、不安そうな表情でそう尋ねてくる。
「僕や君では彼らと格が違い過ぎる。戦えるのはラグナス君だけだよ」
情けない話ではあるけれど、それが事実。
彼だってそう思ったからこそ、引き受けてくれたのだと思う。
「雇い主に足止めを頼まれていましてね。悪いですがここで御三方を――」
「ここは俺がすぐに終わらせる! お前らは走ってルーシィの援護を頼む!」
バークフェンが言い終わる前、ラグナス君は瞬時の判断であの時僕たちにそう告げた。
瞬時に僕は彼の意図を汲み取り、ライカの手を引いて螺旋階段へと向かった。
不思議とバークフェンは僕達を止めることなく不敵な笑みで見送っていたのは気になるけれど……。
「僕達はこのままエアリルシア王女に合流して、彼女の援護をしつつ戦った方が良い。少なくとも彼と一緒に居たのでは、僕たちは足手まといにしかならない。彼は一気に決着を付けるつもりだろうからね」
「一気に決着ですか」
「彼にはそれが可能なスキルがある。恐らくはあのバークフェンでさえ彼のスキルの前では手も足も出ない」
必殺のスキル『天下無双』。
太陽を司るスキルクリスタルよりもたらされた、ステータスを一時的に爆発的に引き上げるスキル。
あの本に書かれていたことが本当だとするならば、その力の前ではどんな武人でさえ無力も同然だ。
「ここがそのスキルの発動タイミングだと踏んだのだろう。何せ一日に一度しか使えない代物らしいからね」
その瞬間、階下からの爆音とともに大樹が大きく揺れた。
螺旋階段は大樹に沿って上に伸びているため、僕達もその衝撃で体勢を崩される。
「派手にやっているみたいだね。それとも終わったのかな」
恐らくはラグナス君とバークフェンの戦いだろう。
天下無双を使っていると考える以上、ラグナス君が恐らくバークフェンを圧倒しているのだろうが。
すると大樹がもう一度大きく揺れる。
螺旋階段を上っている身からすると、もう少し静かに戦って欲しいものではあるけれど……。
「ヴィヴロはああ見えて武の心得がある手練れだ。早く僕達も追いつこう」
僕がそうライカに投げかけると、彼女は分かっているとばかりにコクリと頷いた。
◇
「ここが最上階」
螺旋階段の行き止まり。
そこには大樹に向けて設えられた、大きな金色の扉があった。
錆びついているのか、ところどころ赤銅色が目立つ。
「そう。最上階、『エデンの間』だ」
シルフは嬉しそうにその扉を指差す。
その瞬間、まるで大きな地震でも起こったかのように、大樹が大きく揺れた。
かすかに下の方で何かの音も聞こえた。
「どうやら、下でドンパチやっているみたいだね」
シルフは下を覗き込むようにしてそう言う。
もしかしたらヴィヴロさんとラグ達が出くわして戦っているのかもしれない。
「急がないと」
するともう一度大樹が大きな揺れを起こす。
私はシルフの方を見てコクリと頷き、ゆっくりと金色の扉を開けた。
扉を開けた先、中に広がっていた光景は、まさに別世界と形容したいほど神秘的なものだった。
目の前には一面、仄かに青白い光を放つ花。中の薄暗さもあってか、よりその綺麗さが瞳に焼き付けられた。
その花の中、ここを通れと言わんばかりに一本、蛇のようにくねりながら木の根のようなものが道を作っており、まるで自分自身がどこか幻想的な森の中に迷い込んでしまったようだった。
私はごくりと一息飲みこみ、ゆっくりとその道を歩き始める。
少し進んだ先、やがて道は螺旋状のものとなり、まるでここに来るまでに登って来た螺旋階段のように上へ伸びていた。
支えのようなものはない螺旋状の道は、地下で見た木の根と同じようなものでできているようで、私は恐る恐る一歩、そして一歩と足を前へ進めてみる。
木の根は明らかに宙を螺旋状に浮かんでいるものの、私が踏みしめても折れたりするような気配はない。
しっかりと歩けることを確認した私はその螺旋状に伸びる木の根をゆっくりと進み始めた。
しばらくすると崖下の花の光が届かなくなり、その代わりに、同じように白く光る何かが周囲の壁に点々と灯っていることが分かった。
「蝶?」
それが蝶と分かったのは、壁に灯っていた白の点がこちらへ向って飛んできたからだった。
その蝶は、真っ白に羽を光らせて、踊るように宙を舞っている。
「ここはね、ウンディーネがお気に入りの場所を模しているのさ」
「ウンディーネ?」
ここに入っていてから口をつぐんでいたシルフが、自らの人差し指に蝶を止まらせて、何やら感慨深い表情でそう呟く。
ウンディーネと言えば、司る力は違えどシルフと同じ祖精霊の一人。
模しているということは、世界のどこかにこの幻想的な森のような場所があるということだろうか。
「ほら、見えてきた。ここが終着点だ」
螺旋の道も終わりに差し掛かった時、シルフは目の前の開けた空間を指差してそう告げた。
シルフの言う通りこれ以上上に螺旋の道は存在しない。代わりにあるのは円状に少し開けた空間。
その中央には、僅かに白色に光るオブジェが、自らの存在感を示すかのようにドンと構えていた。
水晶のようなものでできているのか、それ自体は向こう側が見通せるくらいの透明さで、その先に何やら果実のようなものが見える。
近づくと間違いなくそれは黄金に輝く林檎だった。
大きさは丁度私の身長より少し低いくらい。水晶のオブジェの先は、別れた十本の枝がまるで花弁のように黄金の林檎を覆っている。
「これが、黄金の宝珠」
確かに宝珠と形容されてもおかしくないくらいの美しさだった。
そう、ずっと見ていると取り込まれてしまいそうなくらい、それは悪魔的な魅力、蠱惑的な魔力に包まれていて……。
「はっ!」
ぼやけた思考を振り払うように私は首を横にブンブンと振った。
このままこれを見ているだけで我を失いそうになる。
妙な不安感に襲われた私は、早くラグ達の元へ戻るべく、その黄金の宝珠に手を伸ばした。
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