第八十三話 お友達②

「本当に雲海の大樹に来ていたんだ」


 浮島から少しばかり身を乗り出した俺は、崖下を見下ろし、真下に風鳴りの丘を確認することで改めて空に浮かぶこの場所へやってきたのだと実感する。

 ナノの案内で出口までやってきた俺達は、大樹の根元辺りから外へ出ることができた。

 そして本当にここが雲海の大樹なのか確認するためにも、こうして周りの景色を確認しにきたという次第だ。


「そうなの。ここが雲海の大樹なの」


 ナノがえへんと胸を張り、ドヤ顔をする。

 別にお前が偉い訳でもすごい訳でもないんだけどな。

 俺はナノを一瞥すると、目線を周囲に向けた。

 恐らくルーシィ達もまずは外を目指しているだろう。

 ここで待っていれば後から追いかけてくるか、――いや、シルフが居ることを考えると俺達より先行していると考える方が自然。

 であればそう時間もかからずに合流はできるはずだけど、如何せん二人の姿が確認できない。

 もしかしたらこの大樹の向こう側から出たのかもしれないし、少し探索してみる必要がある……か。


「道案内ありがとう。後は俺達だけでルーシィを探してみる」


 すぐに二人が見つからなそうだったので、ひとまず俺はナノに向けてそう言った。

 するとナノは寂しそうな表情で「あっ」と声を漏らす。


「もう少し、一緒に居たい……なの」


 先ほどよりも小さくなった声でナノはそう告げる。


「はぁ」


 俺は溜息をつくとその場でしゃがみ込み、できるだけナノに目線を近づけた。


「お前なぁ、この大樹の根っこから離れて活動していたらどんどん霊力とやらを消耗するんだろ」


 外へ向う道中、暇つぶしにと雑談に興じていた際にナノが言っていたことだ。

 自分達宿り木の精霊は、この大樹の根からエネルギーを吸い続け、体内で霊力という言わば精霊としての生命力に変換している。

 つまり根が無い外へ赴いてしまうと貯め込んでいた霊力を使い続けることになり、全て使い果たした精霊は消滅する。

 故に常に体の一部を根につけている必要があり、この制約から逃れることができない自分達は、この洞窟の中でしか生きることができないのだと。


「ちょ、ちょっとくらいなら平気なの。今までだって外を冒険したことは何回もあるなの」


「それでもダメだ」


 なおも食い下がってくるナノに、俺はピシャリとそう言いつけた。

 俺のことを友達だなんて嬉しそうな笑顔を浮かべて言っていた奴がそんなしょうもない理由で消滅された日には……、なんて言うか寝覚めが悪い。


「なの……」


 ナノはしょぼくれたような表情で肩を落とした。

 そんなに俺と離れるのが嫌なのか。ったく、どうしてこいつは……。

 どうしてこいつの境遇は――、こんなにも俺と似ているのだろうか。

 一人ぼっちの辛さは俺だってよく知っている。

 だけど今の俺にはニナという仲間ができた。ルーシィが帰ってきてくれた。ついでに、あの吸血鬼も知り合いにカウントしてもいい。

 だけどこいつはどうだ。仲間から疎外され、だけど他に生きていく場所なんてない。

 まるで昔の――、五年前の俺と同じじゃないか。いや、ここを離れられないという意味では俺よりもよっぽど酷い。

 それが、それがどんなに辛いことなのかを俺自身が理解できるからこそ、離れたくないというそんな単純で純粋な想いに胸が締め付けられる。


「なぁ、一つ聞いてもいいか?」


 俺はナノに向き合い、尋ねる。

 ナノは首を傾げ俺の次の言葉を待っていた。


「お前は――、世界を恨んだことはあるか?」


「世界を……、恨む?」


 意味が分からないとばかりにオウム返しをされた。

 まぁ、唐突な質問だったことは認める。


「なんで自分だけこんな扱いされなければならないのだと。どうして神様は自分をこんなに堕としたのだと……、そう思ったことはないか?」


 俺の問いに難しそうな表情でナノは考えるが、パッと顔を明るくして、そしてこう言った。


「神様とか、そんな難しいことはよく分からないなの。でも今のナノには、ナノという名前があって、ラグという友達が居るなの。それで十分幸せなの」


 屈託も、悲哀もないその言葉。しかし、ナノは、


「だからこんな気持ちは――、初めてなの」


 と、はにかむような笑顔で、恥ずかしそうに、そして少し悲しそうにそう告げた。


「そうか」


 純粋な気持ちを向けてくれたナノという精霊に、心の何かが少し解けていくのを感じる。


「でも、やっぱりダメだ」


 だからこそ、俺はもう一度拒絶した。

 俺の言葉にショックを受けたナノは、目に涙を溜めて俯く。


「わ、分かったなの。ここでサヨナラするなの」


 耐えきれなかったのか、ポロポロと涙は地面を濡らす。

 俺はそれを人差し指で拭うと、ナノの顔を両手で持ち上げ、こちらを無理矢理向かせた。

 ナノは驚きの表情のまま固まる。

 そんなのはお構いなしに、俺はナノに向けて、自分の純粋な想いをぶつけた。


「サヨナラじゃない」


 目を逸らさず、真っ直ぐ。


「今は無理かもしれないけど、いつか俺がお前を外に連れ出せる方法を見つけたら、そうしたら迎えに来る。その時は一緒に外の世界を見に行こう」


 伝えたい想いだけを俺は言葉に乗せる。

 いつかどこかに忘れてきたような感情。

 ニナと出会い、ルーシィと再会し、そしてナノと出会ったことで思い出させられた、言葉で言い表せないもの。

 よく分からないけど、なんだか懐かしい何か。


「だから、俺のことを待っていてくれないか?」


 ナノの涙はいつしか止まり、そして俺をしっかりと見据えたその精霊はこう言った。


「分かったなの。ナノは待っているなの。ずーっと、ずーっと、いつまでも待っているなの」


 ◇


「悪いな時間が無いっていうのに」


 ナノと別れた後、俺は傍で見ていたオリバーとライカに謝罪する。


「咎めるほど僕は野暮な性格じゃないよ」


「右に同じくですね」


 オリバーとライカは気にしていないと言った様子でそう言ってくれたので、一つ安心した。


「それより、ラグナス君があんなに熱い男だったなんてね。知らなかったよ」


「そうですね。もっとドライな方なのかと思っていました」


 二人にそう言われてはっと思い返すと、俺って相当恥ずかしいことをしていたんじゃないだろうか。

 今になって顔から火が出るほど恥ずかしいんだけど。


「いや、あれはだな」


「取り繕わなくてもいい。過去に何があったにせよ、多分それが本当の君なんだろう?」


「本当の俺……」


「少なくとも、僕は君への印象が変わったよ。とても良い方向にね」


「私も同じです」


 楽しそうに笑うオリバーを見て、なんだか茶化されているようで腑に落ちない。


「あー、もぅっ。そんなことより早くルーシィを探すぞ。多分俺達より先に進んでいるはずだ。さっさと追いついて黄金の宝珠を手に入れよう」


「ご歓談のところ恐縮ですが、一つ待ったをさせていただきましょう」


 俺が恥ずかしさから先に進むことを提案した次の瞬間、進行方向から聞き覚えのある声がした。

 そちらに目を向けると、そこには眼鏡をかけた痩せ型で長髪の男性。

 見覚えがある……、というよりも今朝方会ったばかりだな。


「バークフェン……さん」


 そこには、あの日ルーシィの中級魔法を易々と受け止めた男が、俺達の前に立ち塞がるようにして立っていた。

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