第六十五話 銀髪の男

 後ろを振り返ると何やら貴族のような服を着た男。

 綺麗にセットされた銀髪を掻きあげなら怪しげな笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「また、あなたですか……」


 その姿を見た店員が肩をすくめため息を吐く。知り合いなのか?


「リヴィアン。僕だってこんなことは言いたくないんだ」


 するとその男は俺たちの横をすっと通り過ぎ、店員の傍へ歩み寄ると、その手をおもむろに取った。


「でも、可憐な君がこんな紛い物を売らされていることが許せなくてね」


「営業妨害です」


 リヴィアンと呼ばれた店員は優男の手をはねのけ、ピシャリとそう言い放つ。


「このリラルーテットはギルバードさんが心血を注いで復元に成功した幻の香水。あなたのような人が紛い物呼ばわりしていいものではありません」


 リヴィアンと呼ばれた店員は、目つきを鋭くさせ銀髪の男を睨み付けた。

 ギルバードって確かリラルーテットを売り出しているブランドの創業者……だったか。

 ここに来る途中、ルーシィが目を輝かせながらそう言っていたから間違いない。


「やれやれ、そんな目をするとせっかくの美人が台無しだ。君もそう思うだろう?」


 男はくるりと振り返り、ニコリと微笑む。

 え、俺に聞いてる?


「すみません。この人のことは無視していいですから……」


「折角だ、君にこれをプレゼントしよう。連れのその子に君から吹きかけてあげると良い」


 男は唐突にこちらへ歩み寄り、懐から小さなガラスの小瓶を取り出した。

 思わず受け取ってしまった小瓶の中には、向こうが綺麗に見通せるほどクリアな液体が入っている。


「私が開発した香水。ライラ・ルーテットだ」


「……パクリか?」


「失敬な。これこそかつての幻の香水の復元さ。さぁ、その子に使ってみて」


 ぐいぐいと試してみるように銀髪の男は進めてくるけれど、如何せん気乗りがしない。

 あからさまに怪しい男からもらった、あからさまに怪しい香水をルーシィに使えるはずがないからな。


「折角で悪いけど……」


「ラグ」


 俺が断りを入れようとしたとき、背後からルーシィが俺の名を呼ぶ。


「この人、嘘は言ってない」


 振り返る俺に飛び込んでくるのは、微かに金色の光を帯びたルーシィの右の瞳。

 なるほど……な。


「むしろ……」


 すっと彼女は店員の女の子を指差す。


「その人の方が信じられない」


 ルーシィは俺にだけ聞こえる声で彼女はそう呟いた。

 店員の女の子は首を傾げながらこちらの様子を伺っている。


「分かった」


 その状態のルーシィが言うのなら間違いはないんだろう。

 俺は決心し、店員の女の子に向き直った。


「悪い。これをもらうことにする。時間をかけさせて悪かったな」


「えっ!? あっ!」


 何かを言いたそうにしている店員を尻目に、俺はルーシィを連れて出口へ向かう。

 タダとはいえ、香水は手に入れた。

 鼻が曲がりそうなこんな場所に長居する必要はないだろう。


「待ってくれ」


 そんな俺たちを引き留める男の声。


「効き目を試したい。ここで使ってみてくれないか」


「効き目?」


 香りのことだろうか?


「あぁ、頼む」


 銀髪の男は真剣そのものだった。

 分からないけど、タダで貰った以上は、要望の一つでも答えておかないと悪い……か。

 俺は、小瓶の吹き出し口をルーシィへ向ける。


「何か嫌だと思ったらすぐに言ってくれ」


 コクリと頷くルーシィを確認して、俺はシュッと彼女に香水を吹きかけた。

 ……。

 ……、……。

 特段香水の香りを感じない……。

 ここの臭気にやられて鼻がおかしくなったか?


「どんな香りだ? 気に入ったかルーシィ」


 俺はとりあえず尋ねてみる。

 結局はルーシィが気に入ったか気に入らなかったかだから。


「……?」


 しかしルーシィも?マークを浮かべたままこちらを不思議そうな顔で見つめている。

 あれ?


「どうだ?」


 銀髪の男は期待に満ちた目で俺を見ているけど……。


「どうだも何も無臭じゃないか? 普通の水か何かかこれは?」


 そう、無臭なんだ。

 全く香りがしない。強いて言えば、いつものルーシィの優しく甘い香りがするくらい。

 ルーシィも同意見のようでコクコクと頷いている。


「そうか……」


 そして彼は俺たちの方向へある程度歩み寄ってきたところでハタとその足を止めた。


「いや……、まさしくこれが僕の求めていた香水だよ! 成功だ、ありがとう!」


 そして目を輝かせながら、俺の両手を握りながら子供のような笑みで銀髪の男はお礼を言う。

 これが求めていた香水? は?


「僕はオリバー・ルー。君は?」


「え? ラ……、ロクスだ」


「ラロクス君だね」


「いや、そうじゃなくて……」


「こうしちゃいられない。ラロクス君、またどこかで会ったらよろしく頼むよ」


 銀髪の男は嬉々として店を飛び出すと、そのままどこかへ消えて行った。





「すごく汚い言葉だった」


 宿へ向かう途中、ポツリとルーシィが告げる。


「ルーシィ?」


「リヴィアン……とか言う人が心の中で言ってたこと」


「リヴィアン……ああ、あの店員か」


 急に何を言い出すのかと思えば、さっきの店での話か。

 確かこの人は信じられないって言っていたな。


「オリバーって人は一生懸命に、信じて欲しい……って言ってた」


「信じて欲しい……ね。とはいえ、結局これって香水なのか?」


 俺は懐から先ほど貰った小瓶を取り出した。

 中の液体は沈みゆく茜色に照らされ、キラキラと光る。


「ラグが言った通り香りは感じられないけど、確かにオリバーって人は成功だって言ってた。言葉でも、心でも」


「そうか」


 俺は彼女の言葉に頷きながら相槌を打つ。


「ねぇ、ラグ」


 するとルーシィははたと立ち止まり、不安を帯びた声で俺の名を呼んだ。

 俺は彼女の少し前で立ち止まり、振り返る。

 そこには不安そうな表情で、こちらを見つめるルーシィ。

 彼女の左眼は、少しの恐れを感じているかのように小さく揺れていた。


「どうした?」


 思わず聞き返す。

 すると、タタッとルーシィはこちらに駆け寄り、俺の胸に飛び込んできた。


「なんだか、すごく視線を感じる気がする」


「視線?」


 ルーシィのその言葉を受け、俺は周りを見回す。

 夕暮れの大通り、確かに道を行く人は少なくない。


「ん?」


 道行く人、特に男性。

 確かにルーシィの方を見ている人間が多い。

 そして俺に目を向け、訝しげな表情で去っていく。

 ……そういうことか。


「下品なやつが多いみたいだな。少し急ぐか」


 そう問いかけるとコクコクとルーシィは頷いた。

 俺は彼女の手を取り、足早に大通りを歩いていく。

 確かにルーシィは美少女だ。それは間違いなく断言する。

 今までニナやルリエルと行動していた時は気にも留めていなかったけれど、顔が整っている女性と言うものはどうしても目線を集めてしまう。

 ましてやルーシィは俺以外の人間をあまり得意としていない。

 早く気付いてあげるべきだったな。

 俺は少し後悔をしながら、宿までの道を急いだ。





「今日かい? 空いているよ」


「よかった……。どこも一杯で困っていたんだ」


 俺はホッと胸を撫で下ろした。

 どこも満室だと断られ続け、この宿がダメなら最悪野宿を考えていただけに、安心感は計り知れない。

 俺一人ならまだしも、不安感を抱いているルーシィを外に寝かせるなんてできないからな。


「本当かい? 花祭りの時期には早いし、何かあるのかねぇ?」


 恰幅の良い女将さんらしき女性は、不思議そうに首を傾げるが、こちらが尋ねたいくらいだ。

 普通に断られるならまだしも、厄介払いされるかの如く冷たくあしらわれたりもしたからな。


「で、部屋は一緒にするかい? それとも別に用意するかい? 一緒なら二人で60ティーロだけど、別々なら120ティーロだよ」


 一室60ティーロか。

 手持がもとない訳でもないし、ここは別々にしておくか。


「別々……」「一緒で!」


 俺が別々でと言おうとしたところで、被せるように後ろからルーシィがそう言った。

 今まで聞いたことが無いくらい大きな声で。

 俺はゆっくりと振り返る。


「何?」


 そこには「どうしたの?」とでも言わんばかりのルーシィ。

 声の大きさもいつもと同じくらいに戻っている。


「なぁ、別々でも……」


「お金がもったいない」


 ぴしゃりとルーシィに言い切られてしまう。

 それはそうなんだけれども。


「そうは言うけど、その……なんだ、俺もルーシィも年頃なわけだし……」


「私は気にしない」


 またもやぴしゃりと言い切られる。

 いや、俺が気にするんだけど……。

 しばらく俺とルーシィは見つめ合っていたけれど、根負けしたのは俺の方だった。


「一緒で頼む」


 俺は花が刻印されたティーロ銀貨を6枚取り出すと、机に置いた。


「あいよ」


 女将さんはそれを受け取ると、部屋の鍵を一つ取り出した。


「2階の一番奥の部屋だよ」


 俺は机に置かれた鍵を取ると、すごく嬉しそうなルーシィを連れて部屋へ向かった。

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