第六十六話 夜光蝶の思い出

「ラグ――」


 声が聞こえる。


「ラグ――」


 暗闇の中、俺を呼ぶ声が聞こえる。

 遠い、遠い、とても遠い場所。

 胸を一杯にさせるほどの嫌悪感と、一握りの懐かしさ。

 もう二度と聞くことのないと思っていた、耳障りな声。


「見て、すごく綺麗だよ!」


 暗闇の中僅かに光る一点の白い光。

 その光は徐々に大きくなり、俺の目の前で止まる。


「ねぇ、見てよラグ!」


 光を携えて現れたのは幼き日のフェリシア。

 閉じられた彼女の両の手が開かれた時、中から綺麗な光が溢れだす。

 そこには一匹の蝶。

 夜になると羽を白く光らせて飛ぶとされる夜光蝶が、フェリシアの手の中で小さな羽をゆっくりと動かしていた。

 確か、フェリシアにどうしても見に行きたいってお願いされたんだっけ。

 まぁ、夜光蝶が綺麗なのは俺も以前見て知っていたし、フェリシアにも見せてあげたい気持ちはその時からあったから、快く了承した。

 俺が付いていくなら大丈夫とフェリシアの両親も許可を出してくれたけれど、子供二人だけだとさすがに心配だということになったので、せめて森の入り口までは同行者をと、急遽空いている冒険者に護衛を依頼することに。

 折角だから森の中まで護衛をしてもらったらという提案をしてみたものの、フェリシアから即断で却下された。

 何故か理由は何度聞いても教えてくれなかったんだよな……。

 護衛を受け、森まで無事に到着した俺たちは散策を開始した。

 このナイライの森は、隣国だった土地まで続いているほど広く、そして迷いやすい構造となっている。

大人でも立ち寄ることを好まないこの森は、ボルガノフの格好の狩場だった。

曰く人があまり立ち寄らないから、野生動物がわんさかいるのだとか。

その狩りに頻繁に同行していた俺も、色々な道を教えてもらっていたからこの森の地理は大体分かる。

 いつ使うのか分からないけれど、森の向こう側へ最短で抜けられる方法なんかも教えてもらったくらいだ。

 その森を少し進んだ先の暗い川辺。

 本来ならその辺りに夜光蝶はいるはずだけれど、その日広がっていたのはただの真っ暗闇。

少しばかり待っていたけれど、現れる気配は全くなく、もう帰ろうかってなった時、急にフェリシアが走り出して――。


「羽が白く光るのはオスからメスへの求愛行動なんだって」


 辺りを見渡せば白くポツポツと同じような光。

 暗闇を照らすそれらは、まるで夜空に輝く星々のように思えた。

 やがてその蝶は彼女の手から離れ、暗闇を照らすように飛んでいく。

 後に残されたのは、暗闇の中少し寂しそうな表情で佇むフェリシアと……幼少期の俺。


「行っちゃったね」


「そうだね」


 二人を静寂が包む。

 闇に包まれ姿は見えないものの、辺りからは様々な虫の鳴く声が耳に届いた。

 やがて遠く、夜光蝶の行方を追っていた彼女の目が、ゆっくりとこちらへと向けられる。


「ねぇ、ラグ……」


 小さく呟いた彼女は、薄桃色の瞳をわずかに揺らしながら俺の目を見た。


「ラグも私に光を――」


「ん?」


 交錯する視線。


「ごめん、何でもない。行こっ!」


 フェリシアは恥ずかしそうに目を逸らすとそのまま駆け出す。


「ちょっ、待っ……」


 慌てて俺も追いかけようとして、地面から出ていた樹木の根に気付かず、そのまま横転してしまった。しかも運悪く尖った木の枝が足元に落ちていたらしく、膝が小さく裂ける。


「痛てて……」


「ラグ!」


 俺の異変に気付いたフェリシアが踵を返して戻ってきた。

 そして座り込んでいた俺の間にしゃがむと、俺の膝にゆっくりと手をあてがう。


「『ヒーリングエイド』」


 初級魔法『ヒーリングエイド』。

 フェリシアから放たれた癒しの魔法は、温かい光を生み出し、傷口を包み込む。

 程なくして裂けていた傷口はふさがり、痛みも消えた。


「ありがとう、シア」


「ラグって普段はすごく頼りになるけど、たまにドジだよね」


 フェリシアはそう言いながらクスクスと笑う。

 俺は何だか急に恥ずかしくなって、頭を掻きながら彼女から目を逸らした。


「そうか?」


「そうだよ。だから私、この魔法を初めに覚えたんだ。傷ついているラグをほっとけないから……」


 彼女は首から下げたお守りをギュっと握りながらつぶやく。

 瞬間、一匹の夜光蝶が光の線を残しながら、俺たちの間を通り過ぎた。

 一瞬だけ照らし出されたフェリシアの顔。

 わずかに頬を朱色に染めた少女が、はにかんでいた。


 景色は再び暗転する。

 今のは……。

 覚醒していく意識の中、はっきりと自覚する。

 あれは俺の記憶の一部。

 幼い頃のフェリシアとの思い出。


「ラグ――」


 声が聞こえる。

 先ほどよりも遥かに近い距離。

 まるで耳元で囁くように、彼女はそう言った。


「――て、ラグ」





「ラグ、起きてラグ」


「ん……?」


 目に飛び込んだのは、眩しい光。

 それが何かに遮られたかと思うと、目の前にはくりくりとした青と白の瞳。


「ルーシィ?」


「やっと起きた。そろそろ支度しないと……」


 ルーシィが安心した様子で俺を見つめる。

 俺はゆっくりと上半身を起こすと、顔に手をついた。


 いまさら――あんな夢を見るなんてな。


「ラグ?」


「あぁ、悪い。何でも……」


 何でもないと言いかけたところで俺はルーシィの異変に気付く。

 いや、正確にはこの状況の異常さ……だな。


「なぁ、ルーシィ」


「?」


 俺は顔をルーシィと反対側へ向けて尋ねた。


「何で俺のベッドに居るんだ? それと、何で裸なんだ?」


 そう、俺の瞬間的に目に飛び込んできた景色の記憶が正しければ、ルーシィは裸だった。

 それは何かを揶揄している訳でもなく、言葉通りの意味。

 さらに言えば、彼女が居たのは俺の真横。

 それも言葉通りの意味で、少し動けば肌と肌が当たるくらいの距離感。

 昨日の夜、ルーシィは間違いなく隣のベッドで寝てたはずだよな?

 寝ぼけて間違えたとか? それとも昨晩が寒かったからとかか?


「そんなに一杯聞かれても……。質問は一つにして欲しい」


 全く悪びれる素振りのないルーシィの声。

 一杯って、聞いたの二つだけだろ。


「オッケー分かった、じゃあ一つに絞る。何で俺のベッドに裸でいるんだ?」


 結果聞いているのは同じことなんだけどな。


「……」


 沈黙が流れる。

 少し考える素振りをしていると思われるルーシィ。

 如何せん、背を向けて会話しているから彼女の様子が分からない。


「何か変かな? 2年間ずっとこうやって寝てたと思うけど……」


「2年間……? あっ、いや、それはちょっと違うだろ!」


 恐らくルーシィが言っているのは俺が奴隷扱いで、彼女が馬だった時の頃の話だ。

 確かにそう言われればそうなのかもしれないけど、人間の頃の身体と馬の身体では気持ち的なものが違う。


「何も違わないよ」


 ルーシィがそう言った直後、背中に人肌の暖かさと仄かな柔らかさを感じる。


「ルーシィ!?」


「昔はこうして二人で居た。そのことは変わらないから」


 ルーシィの手のひらが俺の背中をゆっくりとなぞる。


「懐かしいね」


 少しのくすぐったさと恥ずかしさが俺の身体を駆け抜け、慌ててベッドから離れた。


「と、とにかくっ! 今後は一緒のベッドで寝るのは禁止だ! あと裸も!」


「えー」


 不満げな声をルーシィは漏らしているが、これに関しての異議は絶対に受け付けないからな。


「むぅ、ラグがそこまで言うなら……」


 尚も不満そうではあるが、一緒に旅をしていく以上、守るべきラインはやはり守ってもらいたい。

 ……っていうか、これって本来女の子側が持っておくべき気持ち的なものじゃないかと思うのは俺だけか?


 ルーシィはどう思う?


「うーん。良くわからないけど、それより守るべきラインって何?」


 屈託ないルーシィの声。

 そうだよな。とりあえずそういった二人の認識の差というか考え方の違いから埋めていかないとだよな。

 俺は溜息ひとつついて、ルーシィに向けて言った。


「ルーシィ、とりあえずスキルをオフにしようか」

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