第五十九話 黒き心臓

「グギャアアァァッ!」


 ヒュドラの首の一つ、それが血飛沫をまき散らしながら上空へ跳ね上がった。


「ふぅ」


 私は一息つき、さらに地面を蹴ってもう一つの首を狙う。


「虎龍四十連撃 ―斬切舞―」


 砥爪による斬舞。

 それが天ツ風により強化された力により、ヒュドラの固い鱗をいとも簡単に粉砕する。

 たちまち洞窟内に轟くヒュドラの悲鳴。

 胴体から切り離された二つ目の首が宙を舞う。

 その様子を見ながら、私は虹色の軌跡を残し、ヒュドラの目前へ着地した。


「グルルルルルル」


 残ったヒュドラの首達、それらが低い唸り声と共にこちらを睨み付けてくる。

 ギラギラと赤く輝くそれらは、明らかな怒気を纏っていた。

 残った首が一斉に私を捕えようと伸びてくる。

 それらを私は軽々とかわし、一つ、また一つと切断していった。

 度重なるヒュドラの甲高い悲鳴に辟易としながらも、着実に減っていくヒュドラの首に私は高揚感を覚えていた。


 天舞 ―天ツ風―。

 一時的に自身の身体能力を向上させるこの舞は、私の先祖である踊り子が編み出した、究極の舞の一つ。

 ヒュドラに対抗できるか不安はあったものの、効果は歴然だった。

 聖獣とてこの舞の前では赤子同前。

 あんなに苦労していたのがまるで嘘のように、圧倒できている。


 勝てる。

 並々ならぬ自信が湧いてくるものの、この力は時限的。

 勝負を早く決めなければ、再び劣勢に立たされてしまうことは明らかだ。

 私は全ての首を落とすべく、斬切舞の構えを――。


「う……そ……」


 ヒュドラを捕えようとした私の目には信じられない光景が映った。


「グギャアアアッ!」


 落としたはずの首は地に落ちたまま。

 だが、ヒュドラには確かに落としたはずの首が揃っていた。

 ヒュドラは改めて揃った全ての首で、私を捕えようと攻撃を再開する。

 私はそれを避けながら、何とか砥爪で首の一つを落とした。

 しかし、その首の切れ目、そこに何やら赤い泡のようなものが集まると、まるでトカゲの尻尾のように首が再生した。


「くっ!」


 私は奥歯を噛みしめる。

 何度も再生するのならば、何度でもその首を落として――。


「っ!?」


 刹那、全身から力が抜ける感覚。

 麻痺したように力が入らず、私はそのまま膝から崩れ落ちた。


「かはっ」


 口から鮮血が飛び出す。

 そして地に倒れこんだまま私は一つの結論に至る。


「時間……切れ……」


 天ツ風は自身の身体能力を引き上げる舞。

 その強すぎる効果故に、身体的に未熟な者がこの舞を舞った時にもたらされる反動。

 引き上げられた力との差が大きすぎることから、効果が切れた時、耐えきれなかった元の肉体が崩壊する。

 それを知っていながらこの舞を舞ったのは、自分がダメでも時間さえ稼げばきっとキースさんがヒュドラを退治してくれると信じていたから。

 しかし私は見てしまった。

 ユレーリスを担いでこの場から去っていく彼の後ろ姿を。


 なぜ助けてくれないんですか?

 どうして行ってしまうんですか?

 色々な思いが今になって頭の中を交錯するけれど、そんな感傷にすらヒュドラは浸らせてはくれないみたいだった。


「グガアアアアッ!」


 私に終わりを告げるかのように、意気揚々とヒュドラが大きく吼える。

 そんなにいきり立たなくても大丈夫だ。

 私には抵抗する力なんて残っていないのだから。


 ……。

 どれだけ過ぎただろう。

 時間にして恐らく数秒程度。

 だがヒュドラはいつまで経っても私を襲う気配、感触は無い。

 焦らしているのか?

 そうであるなら、なんてこの聖獣は利口で性悪なのだろう。

 いずれにせよ、死に逝く私には何もかも関係のない……。


「はああっ!」


「グギャアアアッ!」


 空気が破裂するような音。

 それとともにヒュドラの悲鳴が響き渡る。


 何が起こったのだろう?

 その疑問のまま、私は誰かに抱えあげられた。


 温かい……。

 微かな感覚が脳内へそんな思いを伝達させる。


 「悪い……。こんなにボロボロになるまで……」


 懐かしい声。

 僅かに開いた目でその声の主を見る。


「ロクス……さん」


 私の瞳には、虹色のオーラに包まれた英雄の顔が映っていた。



 ◇



 ルリエルの目から一筋の涙がこぼれる。

 なんて俺は情けないんだろう。

 自分の思慮の浅さでルリエルがこんなに傷ついてしまった。

 せめてもの救いは取り返しがつかなくなる前に日付が変わってくれたこと。

 石化はレベルリセットによる効果でリセットされる。


「後は任せろ」


 俺はルリエルにそう短く告げた。

 彼女は俺の言葉を聞き、僅かながら首を上下させる。


「さて……」


 俺はボロボロに傷ついたルリエルを彼女の姉の傍らに寝かせ、ヒュドラを睨み付けた。


「今度は俺と遊んでくれよ、化け蛇野郎!」


 俺はそう叫ぶと、地面を蹴りつけ、一瞬にしてヒュドラとの距離を縮める。


― 君に一つだけアドバイスだ ―


 何がアドバイスだ、肝心な時に姿をくらませやがって!

 俺を捕えようとする鈍い首たちを、尻目に俺はヒュドラの胸元へ潜りこむ。


― 魂を書き換えられたものは、皆一様に二つの心臓を持つ ―


 俺は右手に力を込め、思い切り胸元を殴りつけた。

 虹色のオーラを纏う俺の拳は、ヒュドラの鱗をいとも簡単に破砕、そのまま肉を抉り取り、内臓を露呈させる。


「あいつの言う通りか……」


 目の前にはドクンドクンと脈打つ二つの心臓。

 一方は肉体と同じ薄ピンク色のもの。

 もう一方は禍々しいほどの漆黒に染まったもの。


― その黒き心臓を破壊すれば、魂は浄化され再び元に戻る ―


 石化していた時、俺は灰色の世界で意識は保ったままだった。

 目は見えるし、声も聞こえた。

 キースやルリエルが戦っている姿も見えていた。

 そんな中、様子が一変したキースが放ったその言葉。


― あのヒュドラは聖獣だ。どうすれば良いかは聡明な君なら分かるだろう? ―


「目を覚ませ、ヒュドラ!」


 俺はヒュドラの黒い心臓に手を伸ばし、そのまま握りつぶす。

 俺の手の中で心臓は黒い靄へと変わり、宙へ溶けるように消えて無くなった。


「グルワアアアァッ!」


 先ほどから聞いていたものとは少し違った悲鳴をヒュドラが上げる。

 そのまま、ヒュドラの胸元が迫ってくるのを感じ、俺は慌ててその場から退散した。


 大きな音ともにヒュドラの胴体が着地し、大きく地面を揺らす。

 そして複数の首もまた、力無く四方八方の方向へ倒れこんだ。

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