第五十八話 凍氷の剣士
「はぁ、はぁ……」
ユレーリスは白く荒い息をつく。
そして何度たたき砕かれたか分からない石剣を再度精製し直し、前方へと構えた。
「つまらないなぁ」
前方、うっすらと白い靄に包まれた赤髪の青年は、まるで幽霊のようにゆらゆらとした足取りで彼女へと近づく。
その左手には青々と輝く凍てついた剣。
そこから放たれる冷気は、炎剣により熱気に包まれていたこの空間さえ一瞬で氷点下へと変えた。
「もっと僕を楽しませてくれないかな。せっかくこんなにハンデをあげているのにさ」
その言葉を聞き、ユレーリスは奥歯を強く噛む。
どんなにユレーリスが彼を睨んでも、彼女のスキルが発動することは無い。
「うっかり手を滑らせて殺しちゃいそうだ」
彼は両目を閉じたまま、口角を吊り上げる。
その卑しい笑みにユレーリスは戦慄を覚えた。
青年が使うは、ソードエンチャント『
真紅と対を成すそれは、もう一人の彼にしか使えない。
ユレーリスの額を汗がつたう。
一歩でも引けばユレーリスは氷の剣の餌食となることを理解していた。
彼が使う氷の剣は、斬った先から傷口を凍てつかせる。
凍った傷口から出血することは無く、斬られた相手は痛みすら感じない。
しかしその斬撃は傷口から徐々に肉体を凍結させていき、やがては完全に動かなくなる。
そして最期は、肉体の崩壊とともに命に終焉がもたらされる。
しかし恐れるはその効果ではなく、彼の残虐性。
凍結の速度は彼の意のままであり、あえてゆっくりと凍らせていくこともできる。
斬られた相手はそれを理解した時、まるで彼に命を握られているような感覚に陥る。
彼はわざとそのような状況を作り出し、死へと向かう相手の様子、その過程を愉しんでいるのだ。
そんな垂涎のショーを目の前にして、彼がうっかり手を滑らせることなどは、絶対にありえない。
フォーロック・アレクライト。
彼のもう一つの人格、『キース』と呼ばれる彼こそが、七星隊隊長に選任された本当の理由。
殺しへの絶対的な執着と純粋なまでの狂気性は、皮肉にも彼の本当の力量を引き出してしまった。
殺しを嫌うフォーロックには引き出すことのできない、剣聖と呼ばれるほどの実力を……。
ユレーリスは地を蹴り、石剣を心臓へ突き立てようと距離を詰める。
「はぁ」
しかしキースの深いため息とともに放たれた斬撃により、石剣は再度粉々に砕かれた。
ユレーリスはすぐさまバックステップで彼との距離を取る。
彼女が立っていた場所には数本の氷針、下級魔法『アイスニードル』が地面に突き刺さっていた。
フォーロックの時と違い、一太刀さえ入れることができない状況にユレーリスは強い苛立ちを感じる。
あまつさえ自分は、キースと同じ七星隊隊長。
『メドゥーサ』と恐れられた第三隊隊長が、まるで赤子の手を捻るかのように遊ばれている。
キースと剣を交えたことは今までに無かった。
確かな強さだけは風の噂で聞いていたものの、元があのフォーロックだからと完全に高を括っていた。
今になって自分の見識の甘さと驕りを後悔する。
「動きが単調。殺気が見え見え……。だけどもう十分だ」
キースはそう言うと、ゆらゆらと剣の切っ先をユレーリスへと向けた。
「終わりだよ」
何が起こったのか分からなかった。
ただ、今は目の前にキースが不敵な笑みを浮かべながら立っている。
そして彼の左手に握られた剣、その切っ先は自身の左胸に突き立てられていた。
ユレーリスの口から顎に向けて、一線、鮮血の雫が流れていく。
「またね。ユレーリス」
氷の剣はゆっくりと引き抜かれた。
ユレーリスに痛みは無い。
ただ胸につけられた剣傷はすぐさま凍り、瞬時に全身を蝕んでいく。
寒いという感覚すら無いままに、ユレーリスは地面に倒れた。
「今度は――」
いつになく優しい声色でキースが何かを言っているが、もうユレーリスの耳には届かない。
そのままユレーリスの意識は薄れていった。
◇
「様子を見ながら剣を交わしていたけれど、間違いは無かったみたいだね」
倒れたユレーリスをキースは睥睨していた。
キースの冷たい瞳が静かに揺らめく。
「忌々しい」
そして自分に代わる前、フォーロックが自分に対して言っていた言葉をゆっくりと思い出す。
「大事な妹なんだ、どうか殺してくれるな……か」
キースはふぅとため息をついた。
「そこまで馬鹿だとは思っていなかった」
彼は心底呆れたという声色でそう呟く。
そして倒れたユレーリスにそっと近づき、彼女を抱え上げた。
「君にとってそうだということは、僕にとってもそうなんだよ!」
キースの顔が醜く歪む。
瞬間、パキパキと凍った地面に亀裂が生じた。
「こんなことができる奴など一人しかいない。絶対に許しはしないよ」
彼は後ろを振り返ると、未だ戦い続けているルリエルへ目を向けながら、そっと石像になったラグナスへと歩み寄った。
「悪いけど、後は頼むね。僕はやることができた」
キースは続けて、ボソボソとラグナスの耳元で何かを囁くと、彼は戦場に背を向ける。
彼の足が向かうは、自分たちが飛び降りてきた穴の真下。
「勝利の神アルネツァックよ。どうか、我らに勝利を」
そして彼は、ゆっくりと地面を蹴ると、ユレーリスと共に闇へと消えて行った。
― 僕が生まれた意味、それを努々忘れないで ―
「今度は――、本当の君に会いたい」
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