第五十七話 天の舞

「グギャアアアァッ!」


 ヒュドラの複数の首、そのどれもが大きく咆哮し、私の分身に襲いかかる。

 闘舞 ―朧霞乱影―。

 この舞は、一時的に形ある分身を作り出し、本体である私自身が不可視の存在となる。

 その間私自身に攻撃は当たらないが、私自身も攻撃することはできない。

 ただ、分身が戦っている間に私自身が次の舞を舞うことはできる。


「闘舞 ―砥爪―」


 舞い終わった直後、私の手の爪が青白い爪でコーティングされた。

 瞬間、私の分身がヒュドラの首の一つに噛み千切られる。

 それと同時に私の不可視化も解けた。


「虎龍四十連撃 ―斬切舞―」


 私は間髪を入れず、ヒュドラの背後から連撃を浴びせる。


「硬い……」


 しかし私の爪による斬連撃は、硬いヒュドラの鱗鎧に阻まれ肉を裂くまでには至らない。

 軽く舌打ちをし、私はヒュドラの尾による攻撃を避けながら距離を取った。


「グルルルゥ」


 そんなものかとヒュドラは余裕を持った表情でこちらへ向き直る。

 私はすかさず手両手を右腰に辺りに構えた。

そして手中で気の塊を作り出すと、それを凝縮させて前方へと放つ。


「龍気弾!」


 私の手から放たれた小さな気弾は、宙を疾走し、ヒュドラへと向う。

 そしてヒュドラの胸元へ破砕音ともに着弾した。


「グガアアッ!」


 その攻撃に怒ったのか、ヒュドラの首の一つが、私を噛み殺すと言わんばんかりに伸びてくる。

 私がそれを右へ飛びながら避けると、即座に別の首が、避けると更に別の首が。

 計9つの首が私の着地点を予測し攻撃を加えてくる。

 私は何とかそれらを避けながら、龍気弾を胸元に集中的に当てていった。

 そうしながら徐々に距離を詰めていき、やがて胸元の鱗が視認できる位置までヒュドラに近づく。

 見れば胸元の、着弾したと思われる鱗の一枚にヒビが入っていた。

 

 よしっ。


 私は心の中でガッツポーズをしながら、また一歩ずつ攻撃を避けながらヒュドラとの距離を詰めた。

 ただでさえ硬い鱗だ。闇雲に攻撃を加えていてもダメージは与えられない。

 となれば、狙うは一点突破。

 一枚でも剥がしてしまえば私の攻撃は通るはず。

 そう信じながら私はヒュドラの攻撃を前転で避け、胸下へと滑り込んだ。


「龍気掌!」


 そして右の掌に作り出した気の塊ごと、その一枚へ掌底を見舞った。

 刹那、圧縮された気が私の掌と鱗の間で爆散し、ヒビ割れていたその鱗が粉々に砕け散る。

 そして私の右手にはまるで落雷したかのような衝撃が迸った。

 砕ける寸前だったとはいえ、やはり硬い。

 それはビリビリと麻痺する右腕が物語っていた。

 しばらく右腕は使い物にならない。

 ならばっ!

 そしてもう一度、今度は左の掌に溜めていた気を、守るものが無くなったヒュドラの肉体へと叩き込んだ。


「龍気掌!」


 再度ヒュドラの胸元で気が爆散する。

 だが今度は先ほどとは明らかに手応えが違った。


「ギヤアアアアアアアァツ!」


 ヒュドラが悲鳴のような叫びをあげた。

 その金切り声のような高音が耳を劈く。

 やっとダメージが入った。

 私はその事実に高揚しながら、態勢を立て直すべく、バックステップのモーションに入る。


「っ!?」


 昂った気持ちが油断を生んだ。

 目の前にはいつの間にか傷口ではなく、ヒュドラの大きな前足。

 気づいたときには私は大きく蹴飛ばされ、壁に激突していた。


「かはっ……」


 背中からの衝撃で一瞬呼吸が止まる。

 そしてそのまま地面へうつぶせのまま落下した。

 痛みで思考が回らない。

 何が起こったのかも整理できない。

 だけど立ち上がらなければ恐らく追撃が来る。

 動物的な直感が私にそう告げていた。

 すぐさま私はよろつく両足で立ち上がると、動かない右手を左手で庇いながら右側へと飛ぶ。

 私が立っていた場所には、ヒュドラの首。

 間一髪回避できたみたいだ。

 でもここに居ればまた別の首の攻撃が来る。

 避けないと……。


「グギャアアアッ!」


 しかし私の予測に反して別の首からの攻撃は無い。

 代わりに、先ほどの首が元の位置に戻らず横薙ぎする形で私に突進してきた。

 急な攻撃方法の転換に対処ができず、私はその攻撃をもろに受けてしまう。

 そのまま景色が横に流れていき、右肩から壁に激突していた。

 麻痺していたおかげか右腕には痛みは無い。

 パラパラと頭上に落ちてくる水晶の欠片を振り払い、ヒュドラを睥睨する。

 体中に走る痛みのせいで思考すら麻痺しているのか、戦闘前に感じていた恐怖は微塵もない。

 ただ、まるで勝ちを確信しているかのようなヒュドラの表情に心の底からの苛立ちを覚えた。

 脳に血が上るのが感覚で分かる。


「なめるなあああっ!」


 私はそう叫びながら、愚直にも真っ直ぐ、ヒュドラの前方から攻撃を仕掛けてしまった。

 そして首の一つが私の下へと潜りこみ、そのまま呆気なく私は宙へと弾き飛ばされた。


 瞬間、周囲の空気がまるで凍てついたかのような感覚に襲われる。

 寒い……。それが熱くなった私の頭を急激に冷やしていった。


 だめだ……、このままじゃ勝てない……。


 そして脳裏にそうよぎった。

 私は力を振り絞り何とか受け身を取る。

 そして思う。もう躊躇っている場合ではないと。

 このままでは攻撃を受け続けジリ貧。

 ならば、せめてこの舞に最後の望みをかけるしかない。

 私は未だに動く気配のない右腕の包帯を、左手で外した。


 私に虎龍拳と舞を教えてくれた師匠の言葉を思い出しながら……。


「見せてあげる。これが私の奥の手」


 ― 右腕に刻まれるは龍の紋、それが魅せるは幻惑へと誘う艶舞 ―


 かつてこの世界には神の力を携えた英雄が居た。


 ― 左腕に刻まれるは虎の紋、それが引き出すは己を昇華させる闘舞 ―


 その傍らには英雄に憧れる一人の踊り子。


 ― 虎の紋と龍の紋が交わるとき ―


 彼女は英雄への憧れから、彼の力の模倣をその踊りに宿したと言う。


 ― それらが導くは虹色の風を纏いし天の舞 ―



 思えば、私がロクスさんに協力して欲しいと願ったのは彼のそのスキルを目の当たりにしたから。

 

「グギャアアアッ!」


 寒さで硬直していたヒュドラが、何とか動けるようになり再び私に襲い掛かってくる。

 既に舞い終わっていた私は、軽々とそのヒュドラの攻撃をかわした。


 全てが似ていたんだ。

 ロクスさんが使うスキルの凄さ、私の舞で得られる力はそれに遠く及ばないことが。

 まるでかつての英雄と踊り子のように。


「天舞 ―天ツ風―」


 そして私の身体は虹色の光に包まれる。

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