第五十二話 もう一人の幼馴染

 何やら靄がかかった情景。

 ここはどこだ?

 辺りを見回してみる。

 石レンガで造られた建物に囲まれた、花畑に俺は居た。

 恐らくどこかの城の中庭らしき場所。

 そんな綺麗な花畑、その中心に寂しそうにポツンと一人たたずむ少女。

 俺はその少女へとゆっくり歩み寄っていく。

 そうだ、前にもここには来たことがある。 

 確か、以前行われた周辺国による王族の会議の付添。

 歳が一緒だったということもあり、俺がその少女の遊び相手にと連れてこられたんだっけ?

 やがて俺に気付いた少女は、太陽さえ見劣りするような眩しい笑顔で、サイドテールに結われた瑠璃色の髪を揺らしながら俺に走り寄ってくる。


「ラグ!」


 俺のことをラグと呼ぶ少女。

 あぁ、そうだ。確か俺のことはそう呼んでくださいと、以前に彼女に言ったんだったっけ?

 親しい友人は皆そう呼びますからって。


「見て。また私、新しい精霊さんとお友達になれたの……」


 そう言って彼女は左の手の平を上に向け、すっと目を閉じる。

 程なくして、彼女の手から青色の光を纏った可愛らしい精霊がピョコンと飛び出てきた。


「水の精霊ニンフちゃん」


 彼女はとても嬉しそうに俺にその精霊を見せてくる。

 そのくりくりとした目の精霊は、俺のことをとても不思議そうに見上げていた。

 以前にも彼女には精霊を見せてもらったことがあるが、その時は確か風の精霊だった。

精霊なんてものは初めて見たから、とても驚いたっけ。


「すごいです、エアリルシア様!」


 俺は思わず大きな声でそう叫んでしまった。

 それにびっくりしたのか、ニンフという名の精霊は、キュイッと可愛らしい鳴き声を上げて、彼女の手の中へ消えてしまった。


「あっ」


 しまったと思ったけれど、既に遅い。

 恐る恐る彼女の顔を見ると、ほっぺたを大きく膨らませて、ムスッとした表情でそっぽを向いてしまった。


「エアリルシア様?」


 様子を伺うように再度尋ねるが、目を併せてくれる素振りは感じられない。

 やってしまったと後悔する。


「……って呼んでって言ったのに」


 どうしたものかと俺が考えていると、消え入りそうな声で彼女が何かを呟いた。

 って呼んでって言ったのに……? あっ!

 確か前に会った時に、お互いのことを渾名で呼び合うことにしたんだっけ。

 どうやら彼女は精霊を驚かせたことではなく、その約束を守らなかったことを怒っていたらしい。


「それに敬語はいらない。と……友達だから……」


 そして頬を赤らめながら恥ずかしそうにそう言う。


「そ、それは無理ですよ」


 俺は慌てて否定をした。

 彼女は一国の王女。

 俺もツヴァイト侯爵家とはいえ、彼女は王族だ。

 そんな相手にタメ口で喋れと言われてもそんなことは……。


「えっ……」


 すると彼女はショックとでも言わんばかりに、目尻に涙を溜め、今にも泣きそうになっていた。


「いや、いやいやそう言うことじゃなくて……」


 その彼女の勘違いにいち早く気付いた俺は、慌てて訂正をする。


「分かった。俺たち友達だもんな。だからもう気を遣ったりするのはやめるよ、『ルーシィ』」


 頭を掻きながら俺が彼女にそう投げかけると、少しの間、彼女は俺の目を見つめてきた。

 そして徐に目をゴシゴシとこすると、ニパッと笑う。


「ラグっ!」


 優しい風に乗り、俺の頬を撫でた淡く甘い香り。

 彼女の顔が真横にあることに気づき、そして抱き着かれているという事実に気付いた。


「ル、ルーシィ!?」


「大好き……」





「ロクスさん? ロクスさん?」


「ん?」


 重たい瞼をゆっくりと開けていく。

 目の前には淡い桃色の髪の少女。

 夢……か。


「やっと起きましたね。そろそろ準備しないと」


 彼女のその声を受け、俺は気だるい上半身をゆっくりと持ち上げる。

 そして窓の外を見ると、空が茜色に変わり始めているのが確認できた。


「あー、だな。悪い、起こしてもらって」


「いえ、それじゃあ私は下で食事の用意をお願いしてきますので、準備が終わったら降りてきてくださいね」


 彼女はそれだけ告げると、足早に部屋を出て行ってしまった。

 

 俺は床からゆっくりと立ち上がると、ベッドに腰掛けた。


「懐かしい……夢だったな」


 遠い遠い、記憶だった。

 まだ俺が幸せだった頃、幼き日に出逢った彼女。

 今はもうこの世に居ない、そんな彼女の夢。


「なんで今になってこんな夢……」


 俺が最後に彼女に会ったのは7歳の頃。

 その翌年に彼女は戦禍に飲まれ命を落とした。

 それを聞かされた時、俺は一晩中泣き続けたっけか。

 顔を合わせた回数なんて片手で数える程度だったけれど……。

 でも……、とても……、とても大切な友達だったから。


 そんな彼女に、ルーシィは似ていたのかもしれない。

 俺を見つけてはすぐに近寄ってくるあの馬に、ルーシィの面影を感じたんだ。

 だからこそ、名付けようとした時、咄嗟に彼女の名前が頭に浮かんだ。

 既に忘れていたと思っていた、幼馴染の名前を。


「もうあんな思いはたくさんだ」


 例え命に関わることのない呪いだとしても、ルーシィが苦しめられているのは確かだ。

 あの時守れなかった、助けられなかったルーシィのためにも、今度こそ、俺は必ずルーシィを救ってみせる。

 俺はそう決意をし、立ち上がった。


「待ってろ……、ルーシィ!」


 誰にでもなく、ただ虚空にむけて俺は呟く。

 この言葉が、この思いが、彼女に届くことを信じて……。

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