第四十五話 もう、こんなのいらないよね


 ニナは歩いていた。

 たった一人、絶望を抱えて。


 彼女はどこへ行くでもなく、ただ南を目指した。

 理由はない。ただ、足がその方向を向いた。


 町から町へ転々と歩いていく。

 そのどれもが、リーゼベトの猛攻を受け、原型を留めていなかった。

 彼女は倉庫であったらしい場所からわずかばかりに残っていた食料を漁る。

 食べられそうなものを選定し、口へと運ぶ。

 僅かな焦げの香りが、彼女の胸を締め付けた。


 そんなことを繰り返すうち、かつてロギメルと呼ばれていた地を抜け、気が付けば彼女はアスアレフ王国へたどり着いていた。

 しかしここで誤算が生じる。

 いつの間にか待ち構えていたリーゼベトの兵士たちに見つかったのだ。

 ここで捕まってしまえば楽になるとも思う。

 が、憎きリーゼベトに良いようにされるのが何よりニナは気に食わない。

 そこからニナは必死で逃げた。

 気が付けばエキュートの森の奥まで逃げていた。

 大木の根本、そこに人一人が入れそうな穴が掘られている。

 ニナは躊躇うこともなく、そこへ歩を進めた。

 中はまるで灯りが無いため、トーチライトの魔法で照らしながら進んでいく。

 そしてニナは、鉄製の扉の前までたどり着いた。

 彼女は意を決してその扉を開ける。

 すると中は人一人が生活するには少し広い空間が広がっており、テーブルに椅子、そしてベッドまでも完備されていた。

 まるで誰かの隠れ家のような空間にニナは身を隠すことを決める。





 何日、何十日経過したか。

 食料は穴から出て木の実を取ったり、野生動物を狩ることで調達できていた。

 しかし、依然として生きることに対して前向きになれない。

 一つは家族を失ったこと、一つは大切な国を失ったこと、一つは大事な名前を失ったこと。


「生きて、私は何をすれば良いんだろう」


 毎日、鬱屈とした部屋の中でニナは思う。

 ただ生きる糧があるとすれば、それは憎しみだ。

 リーゼベトに対する、世界に対する憎しみ。

 自分から全てを奪い去っていったものに対する憎しみ。

 

 やがて彼女の脳裏に復讐の二文字が浮かぶ。

 そうだ、私はやらなければならない。

 大事な父と母と国を奪った奴らへの報復を。

 彼女に芽生えた黒い感情は日を追うごとに増幅していく。

 沸々と燃え上がっていく憎悪は、ニナの心を支配していった。


「ロネを……殺す」


 遂に彼女は決心する。

 明日、ここを発ち、リーゼベトを目指す。

 そして彼の国の全てを青い炎で焼き尽くしてやる。

 そう、ユーレシュがそうなったように……。

 ニナはそんな思いを抱きながら眠りについた。


『母の言葉を、約束を思い出しなさい』


 はっ、と目が覚める。何やら変な夢だった。

 何か女性のような人が自分の前に立ち、それだけ告げると消えていったのだ。

 なぜか不思議と、ただの夢として切り捨てられなかった。

 母の言葉、約束……。

 

―― 皆が幸せになる国を、誰も私たちのような思いをしない国を、笑顔で溢れる国を……作って ――


「私は……私は……」


 立ち上がり、ニナは頭を抱える。

 足元がおぼつかない。

 千鳥足で何とか壁際まで歩く。

 思い出されるのは母の笑顔と大好きな母と子供の頃の交わした約束。

 そして――、最期の時に交わした約束、くれた言葉。




―― 愛しているわ……いつまでも ――




「私はっ!」


 そしてニナは自分の頭を壁に打ち付けた。

 何度も、何度も。

 額からは赤い血が流れ、鼻筋を通り、口へと落ちる。

 独特な鉄の味が舌の上に広がった。

 瞬間、靄がかかっていた彼女の視界が開け、澄み渡る思考が徐々に彼女を冷静へと導く。

 

 私はなんて愚かなことを……。


 大事な人の願いを忘れ、衝動のまま行動しようとしていた。

 そんなのはただの裏切りだ。

 自分を信じて、死の間際でも希望の言葉をくれた人に対する、ただの裏切りじゃないか。


 ニナの目から熱いものが零れ落ちる。

 とうに枯れたと思っていた。

 しかし、光を取り戻した彼女の目からはどんどんとそれが溢れ出てくる。


 ニナはしばらく嗚咽を漏らした後、ゆっくりと袖口で涙を拭う。


 こんな運命を授けた神が憎いか?

 こんな運命に導いた世界が憎いか?


 憎い。そんなの憎いに決まっている。

 だからこそ、私は神の、世界の言う通りになんてなってやらない、やるものか。

 神が、世界が、私に憎しみのままに生きろというならば。

 私はそれに抗い、お母様の言葉を信じて生きていく。

 皆が幸せに、皆を笑顔になれる国――いや、世界にするために。

 こんな大嫌いな世界ごと私が変えてみせる。


「お母様、ニナは約束を果たしたます」


 そして約束が果たされた時、天に向かってこう言ってやる。


 『ざまぁ』。


 私の一世一代の復讐劇は、ここから始まる。




 

 大木の中の部屋を抜け、私は外に出た。

 まずは、仲間を見つけよう。

 協力してくれるかどうか分からないけれど、一歩ずつ踏み出すことが大事なはずだ。

 森の中を進み、出口を見つける。

 しかし、私は運悪く兵士に見つかってしまった。

 頑張ろうと思った矢先、世界はよほど私のことが気に食わないらしい。

 我武者羅に私は逃げる。


 逃げて、逃げて、逃げて――。


 そして、少女は一人の少年と出逢った。

 少年はスキルクリスタルを求め、少女は仲間を求め。

 己が目的を果たすため、二人は契約を交わす。

 その二人の出逢いが一つの核となり、その核は様々な人を繋ぎ、大きくなっていく。

 やがて、その者たちは世界をも揺るがす大きな事件を引き起こすのだが、それはもう少し先の話。





「これが私の全てです」


 話し終えたニナはすっきりとした顔で微笑んだ。


「ラグナスには悪いことをしたと思っています。私は、信頼できないからこそ奴隷契約という鎖であなたを縛ってしまった」


「一ついいかニナ?」


「なんです?」


「何で、その話を俺にしようと思ったんだ?」


 俺は素朴な疑問を投げかける。

 彼女は考えるまでもないといった表情で、間髪入れず答えた。


「最後まで、あなたが私の味方でいてくれたからです」


「味方?」


「はい。私がしたいことの理由はさっき説明した通りです。でも、私の過去を知らないラグナスにとって、私の行動は不愉快に感じることがあったと思うんです。それでも味方でいてくれたから」


 まぁ、不愉快に感じることは多々あったな。

 彼女の過去を知った今、少し見方も変わったけれど。


「でも俺は一度お前を見捨てたと思うが?」


 スカーレットでの屋敷のことだ。

 俺は彼女に付き合いきれないと言い放った。

 結果として彼女は俺と決別し、一人でウィッシュサイドへと向かったのだが、今思えば、俺を切り捨ててでもニナは信念を貫き通したかったのだと分かる。

 すると彼女は急に顔を下に向け、ボソボソと何かを呟いた。


「――じゃない」


「ん?」


 急に声が小さくなる彼女に俺は聞き返す。


「来てくれたじゃない。私のことを助けに」


 彼女は仄かに顔を赤らめながら目を逸らした。

 え、何だその反応。


「いや、あれはスカーレットに唆されてだな……」


 俺はバタバタと慌てながら説明する。

 そうだ、あれはスカーレットがニナを助けろと、そうでなければ世界を滅ぼすぞと脅すからであって……。

 というか何で俺はこんなに焦っているんだろうか。


「それでも最後はラグナスの意思……だよね?」


「まぁ……そうじゃないとは言い切れない」


「嬉しかった。また一人きりだと思うと心細かった。仕方なくだったとしても、ラグナスが傍に居てくれたことが心強かったから。でも……」


 ニナはそう言うと、きっと眉尻を上げこちらを睨む。


「そんな私の気持ち、ラグナスは分からないよね。鈍感だから。あとついでにデリカシーもない」


「はぁ?」


「だってそうでしょ! 勝手に私の服脱がすし、人の気も知らないで傷つくことばっかり言うし、あと私の服勝手に脱がすし!」


「いつまで根に持ってんだそれ。俺が変態みたいだろうが!」


 とうに昔に許してもらったと思っていたのに、こういう時に掘り返すのはずるいだろ。

 というか今はその話関係ないんじゃないか。


「変態でしょ! エッチ、スケベ!」


 ギャーギャーと捲し立ててくるニナに俺は嘆息する。

 そして散々人のことを罵った挙句、彼女はプイとそっぽを向いてしまった。

 何なのだろうかこの時間。もう帰って寝たい。

 俺がそんなことを考えながら頭を掻いていると、彼女は再びこちらに目を向けた。


「ねぇ、ラグナス」


「なんだよ」


「もう、こんなのいらないよね」


 彼女はそう言うと、すっと目を閉じる。

 すると、彼女の目の前に魔法陣が展開され始めた。


「我、ニナ・ユーレシュが命ずる。この者を我の名のもとから解放せよ!」


 瞬間、魔法陣が俺の首元に纏わりつき、焼けるような熱さを感じる。

 数秒後、俺の首元から痛みが引いていく。

 それは即ち、奴隷契約の解除を意味していた。


「どういう風の吹き回しだ?」


 俺は首元を触りながら彼女に尋ねる。

 すると彼女は恥ずかしそうに目を逸らした。


「それすごく意地悪な質問だと思う……」


 まぁ、そうかもしれない。

 何となくの意味は鈍感と言われた俺でも分かるから。

 

「明日からさようならってこともあり得るぞ?」


「ラグナスはそんなことしないよ」


 そしてニナは満面の笑顔を向けて俺に言った。


「信じてる」


「……、その言い方は意地悪だな」


「おかえし。それに本当のことだから」


 ニナはずっとニコニコしてこちらを見つめている。

 なんだろう、ニナってこんなに強かだっただろうか?

 心なしか俺に対する喋り方もいつの間にか変わってるし。


「ラグナスの前では、もう猫を被る必要ないかなと思って」


 ……、唐突に俺の心を読むのやめてもらえませんかね。


「だから」


 返す言葉もなく、黙ったままの俺に対してニナが歩み寄る。


「これからもよろしくお願いします。ロクス!」


 そしてペコリと頭を下げた。


「……、あーもう! 分かったよ。よろしく頼むなアールヴ」


 俺は頭を掻きながら彼女にそう言う。

 これでひとまずの仲直りってことになるのか。

 だが、ニナとの問題は解決したとしても、未だに問題は山積みだ。

 リュオンは未だに俺たちのことを探しているだろうし、フォーロックもこの先協力し続けてくれるとは限らない。


「どうしたの?」


 色々なことを考える俺に、無邪気に彼女は微笑みかけてくる。

 ……まぁ、今日はそれだけで良しとするか。


「何でもない。じゃあ俺は自分の部屋に戻るからな」


「うん。おやすみ」


 彼女の見送りを受けて俺は部屋へと帰る。

 明日にはスカーレットの屋敷に向けここを発つ。

 少なくとも道中で今後の方針について結論を出しておかなければな。

 俺はそう考えベッドに潜ると、うんうんとうなされているフォーロックを横目に眠りについた。

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