第四十話 ユーレシュの厄日―青き終焉―①
ゆらめく情景。
思いだされるのは微かな記憶。
「ねえねえ、お母様? どうしてお父様はいつも遅くまでお仕事をしているの?」
幼い少女の問いかけ。
「それはねニナ。みんなの幸せのためなのよ」
母は少女の頭を撫でながらそう答えた。
「みんなの幸せ?」
少女の頭には?マークが何個も浮かぶ。
「そう」
母は優しい声音で続けた。
「私達王族は、国のみんなが幸せで楽しく過ごせるための国を作ることが仕事なの」
「ふむふむ」
「お父様はねそのリーダーなの」
「リーダー?」
少女の頭には新しい?が浮かぶ。
「そうね……、一番頑張らないといけない人ってことよ」
「そっかー!」
少女はなるほどと大きく頷いた。
「だからねニナ。ニナも大きくなったら、お父様のように、国のみんなが幸せに暮らせるような、笑顔で溢れる国を作ってね」
「うん! 私はおーぞくだからみんなのために頑張る!」
少女が張り切ってそう言うと、母はフフッと笑みを浮かべ、すっと小指を出す。
「じゃあお母様と約束」
「うん、約束する!」
そして少女は一回り小さなその指を母のそれに絡ませた。
◇
――夢か。
少女は少し重たい身体をゆっくりと起こし、まだ醒めきらない頭で回想する。
「何度目かな」
誰にでもなく、ただポツリとそう呟いた。
幼き日に母としたこの約束。
17年生きていた中で一度たりとも忘れたことは無い。
自分の中で唯一信条としているものがこの母との約束なのだから。
「よしっ」
ニナは十分に時間をかけ、身支度を済ませる。
そして最後にキュッと胸元のリボンを締め、魔法師団の制服に乱れが無いかを軽く確認すると、自室を後にした。
◇
「隊長に敬礼!」
ニナが魔法修練場へ足を運ぶと、副隊長であるモニカの号令にあわせて、団員がニナへ向けて敬礼をする。
そしてニナが軽く頷くと、全員が敬礼の姿勢を解除した。
「モニカ。戦況は?」
「はい。依然リーゼベト軍の侵攻は激しく、サンタミーシアも既に敵軍の手に落ちました」
「そう」
ニナはすっと表情に影を落とす。
雪灯の町サンタミーシアは、王都スノーデンから馬車で1日ほどの距離だ。
いつリーゼベトの手が王都に伸びてもおかしくないと言った状況にニナは頭痛を抑えられない。
「いつかのロギメルを彷彿とさせるわね。このままではリーゼベトが陥落するのも時間の問題……」
「どうしてこうなったのでしょうか」
モニカもニナと同様、表情に影を落としそう呟く。
本当に、どうしてこうなってしまったのだろうか。
まるで、数年前に自分が恐れていたことがそのまま現実になってしまったみたいだ。
事の始まりは一年前。
ロギメル侵略後、それまで沈黙を続けていたリーゼベトが突如としてユーレシュに宣戦布告を行ってきたのだ。
父であるユリウス王は、何か思うところがあったようで「たったそれだけのことで!」と激昂していたのを覚えている。
「ううん。憂いていてもしょうがないわ。私達ユーレシュ魔法師団に与えられた任務は王城の守護。ユーレシュの騎士団が前線でほぼ壊滅した今、残された戦力はごくわずか。私達もここから忙しくなる。気合を入れなおすわよ!」
「「「「「「はいっ!」」」」」」
ニナの檄に全員が襟を正す。
そして、ニナを筆頭に王都スノーデンへと一団は繰り出していった。
◇
「敵襲、ありませんでしたね」
「ええ、そうね」
ニナは高台の上からサンタミーシアの方を見る。
今日一日、王都スノーデン中を魔法師団で警備していたが、結局リーゼベトの侵攻はなかった。
いや、無い方がいいに越したことはないが、構えていた分何だか肩透かしを食らった気分だ。
「隊長。もしかしたら少し盛り返したのかもしれませんよ?」
隣でモニカがはしゃぐようにそう言う。
確かにそう考えればスノーデンまで手が伸びなかったのも頷ける。
「あーあ。何だか私達見てるだけで複雑です。ここまでの状況なんですから、私達も前線で戦うべきだと思うんですけど」
モニカは残念そうな顔でそう呟く。
確かに自分もそう思う。だけど、そうならない理由は他ならない自分自身にあることを理解しているニナは言葉を返せない。
王は娘であるニナを溺愛している。故に、ニナが隊長を務める魔法師団は、前線へは赴かず、こうして王城の守護に回されているのだから。
「ねえ、隊長。隊長からユリウス王へ直訴してみたらいかがですか?」
「直訴?」
「はい。現前線であるサンタミーシアへ援軍として向かわせて欲しいとお願いするんです。押し返しているかもしれない今なら許可が出るかもしれません!」
ニナは顎に手をやり考える。
確かにモニカの言う通りかもしれない。
この数年間ニナは魔法を磨くことにいそしんできた。
其れはひとえにこの国の戦力となりたかったから。
リーゼベトの脅威に抗うために研いできたこの力は、まさに今使うべきではないのだろうか。
「そうね。少し話をしてみる」
ニナがそう答えると、モニカは満面の笑みで大きく頷いた。
◇
「ならん」
謁見の間。
王、ユリウスは額に青筋を浮かべながら少し怒鳴るようにそう言った。
「どうしてっ!」
納得のいかないニナは食い下がる。
「ならんと言ったらならん。魔法師団はこの国を守護する最後の砦だ。それが国を離れるなどもってのほか。少しは考えてから物を言うんだ!」
強い言葉がニナの心を刺す。
だが、ここで引いてはせっかくのチャンスが水の泡だ。
「なら、私とモニカ二人で向かいます。他の隊員はここの守護で残ってもらう。それなら問題は……」
「隊の指揮は誰が執る? 隊長と副隊長の居ない隊が、いざという時に正確な動きができるとは思わないが?」
「っ……」
いつもは甘々なのに、今日は的確に痛いところを突いてくる。
やはり無理なのだろうか。
「私が残ります」
ニナが諦めかけた時背後から声がした。
慌てて振り向くと、そこにはモニカの姿があった。
「私が残って魔法師団の指揮を執ります」
「モニカ……」
「……。ニナ一人では前線は危険だ」
「では師団員を数名隊長のお供に。魔法師団は百余名から成る隊ですから、数名居なくなっても問題ありません。それにニナ様はこの国随一の魔法の使い手。リーゼベトの軍勢を蹴散らすなど造作もないことであると私は信じています。王はニナ様の力を信用できないのですか?」
王の一言に対して、捲し立てるようにモニカは言葉を並べた。
ユリウス王もそれを受けて少したじろいでしまう。
「信じられない訳ではないが……」
「では問題はないということで。隊長、出陣の準備です!」
モニカは呆気にとられているニナの手を掴み、出口へ歩を進める。
「ま、待て。話はまだ――」
後ろから王が何かを言っていたが聞こえないふりをして、モニカは困惑するニナを強引に連れ、謁見の間を後にした。
◇
「モニカ、その……」
「これで隊長の晴れ舞台は整ったわけです」
ニナの私室。
そこまで無言だったニナが意を決してモニカに話しかけると、彼女は満面の笑みをニナへ向けた。
「ニナ様のメイド兼護衛となってから数年。魔法師団の副隊長に命じられてからも大分時が経ちました。その間、ニナ様がどれほど鍛練を積んできたのかを一番知っているのは私であると自負しています」
「モニカ?」
ニナは尚も整理できない頭で彼女の言葉を待つ。
「そんなニナ様がこんなところで燻っていて良い訳がありません。だから少しニナ様を焚き付けさせていただきました」
てへっ、とモニカは舌を出した。
そこでニナもだんだんと話の内容を理解し始める。
「別に私自身はどうでもよかったんです。ただ、あんなにも我武者羅に頑張っていたニナ様が、王女というだけで庇護下に置かれている状況に納得がいかなかったんですよ。さっきも言いましたが、ニナ様はこの国の誰よりも強いお方であると私は信じていますから!」
モニカはそう言うと、ニナの手を取り彼女の目を見つめる。
「ですからニナ様、この国を……、お救い下さい! 民を代表してお願い申し上げます」
「モニカ……」
ニナはモニカのこの声、言葉を噛みしめる。
今朝も夢に見た母の言葉。
王族は国のみんなが幸せになるために頑張らなければならない。
それは王である父だけではない。
王女たる自分もまた、だ。
大きくなったら父のように幸せな国づくりをすると母に約束した。
それが今なのではないだろうか?
ニナはその母との約束を胸に抱き、モニカの手を握り返した。
「ええ。任せて!」
「ニナ様――」
「それとごめんね、色々気を遣わせてしまって。いえ、ここはありがとうと言うべきかな?」
「勿体ないお言葉です」
モニカはゆっくりと膝をつき、ニナへの忠義を示す。
ニナはそれを受け取ると、彼女は改めて心に誓った。
鍛えてきたこの力を、リーゼベトの軍勢に示してみせると。
この国の幸せを守るために……。
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