第三十八話 ニナ・ユーレシュ④
「ラオツァディ―から良い茶葉が手に入りましてね。どうぞ」
彼は満面の笑みで、椅子に座るニナにお茶の入ったカップを手渡す。
ニナはそれを受け取るとゆっくり口をつけた。
口の中にやわらかい苦みが広がったかと思うと、仄かな甘みが舌の上をくすぐる。
お茶がのどを通るのを確認し、一息つくと、鼻から茶葉の良い香りが抜けていった。
「――おいしい」
意図せず声が漏れる。
ルードは柔らかな笑みを浮かべると、テーブルを挟んでニナの対面の椅子へ腰かけた。
「それで、何があったのですか?」
ルードは優しい声でニナに尋ねる。
ニナはカップをゆっくりと置くと、ルードの顔を見てポツポツと話し始めた。
◇
「なるほど」
ルードは黙ってニナの話を聞き終えると、そう一言つぶやいた。
「私、お父様に酷いことを……」
「なーにも、気になさる必要はありませんよ」
「え……」
ニナが驚いてルードを見ると、ルードはやれやれと言った表情で自分のお茶に口をつける。
「こういっちゃなんですが、王は馬鹿なんです」
「はあ」
一応だが、この国で一番偉い人物に対して馬鹿と言い放ったルードにニナは目を点にする。
「ですから、ニナ様がどんなことを言おうと、『お父様ごめんなさい』と可愛く言えば何でも許してくれますよ」
そしてハハハと笑いながらルードはそう言った。
「そうかな?」
「そうですとも」
少し不安が残るが、ルードがそう言うのなら問題はないのかもしれない。
「分かった。ルードの言うとおりにしてみる」
グッと自分の前で手を握るとよしっと気合を入れなおした。
「しかしニナ様。その件よりももっと気がかりなことが一つあるのですが?」
「なに?」
「どうしてニナ様はそんなに焦っておられるのですか? 既にそのご年齢で上級魔法も使えるようになったらしいじゃないですか。他国のことは抜きにしても、非凡な才であることは間違いないとこのルードも思いますが?」
ルードは不思議そうな顔でニナに尋ねる。
「……ロギメルの噂は聞いてる?」
「ロギメル……ですか?」
「うん。リーゼベトと戦争をしてて、かなり劣勢になっているっていう話」
「ええ。存じ上げております」
「仮にだけど、ロギメルが負けちゃったら、次は隣国であるうちがリーゼベトの標的になっちゃうんじゃないかな……って思って。そしたら王族である私が国の皆を守らなくちゃいけないでしょ! だから……」
ニナは思いつめたように、カップを握りしめうつむく。
緊張感が二人を包み込んだ。
「……ぷっ。あはははは」
しかしそんな張りつめた空気を、ルードの笑い声が一蹴する。
「ああ。すみません。でもあまりに突飛な話でつい……」
「ルード! 私は真面目に」
「ええ。分かっております。ですがニナ様、考えても見てください。リーゼベト王とあなたの母君、オリヴィア様は旧知の仲。つまりリーゼベトとユーレシュは友好国なんです。確かにリーゼベト王は新しいロネ王に変わり、次々と戦争を起こす好戦的な国となりました。が、いくらなんでも友好国に対して戦争を仕掛けるほど愚王ではありませんよ」
「そうかな?」
「考えすぎですよ。それに仮に戦争になったからといって、8歳であるあなたを戦場に出す許可が降りる訳がありません」
「……」
確かにそれはニナも思っていたことだ。
いくら自分が研鑽をつもうと、子供であることに変わりはない。
父からは絶対に許可されないだろう。
「ですから、焦らなくても良いのです」
ルードはニナに諭すようにそう語りかけてくる。
「焦らず、ゆっくり、ニナ様のペースで歩めばよろしいのです。焦りすぎてしまうことが、かえって遠回りになるということもあるのですから」
そしてルードは自身のお茶を全て飲みほした。
いつもそうだ。
自分が落ち込んでいると、まるで超能力者のように目の前に現れ、そして自分の心を落ち着かせる言葉をくれる。
言われている内容は父から言われたものと変わりない。
だけど、何故だかルードから言われると素直に聞いてしまう自分がいる。
「ねぇ、ルード。聞いてもいい?」
「何でしょう?」
「ルードはいつも私が落ち込んでいるとこうやってお茶に誘ってくれて、話を聞いてくれる。ねぇ、どうしてそれが分かるの?」
数年前から思っていた疑問だ。
「ふむ。何でと言われると、ニナ様の顔にそう書いてあるからです」
「私の顔?」
「ええ。『どうしよう。やっちゃったな』って」
ニナは慌ててルードの部屋の鏡を覗き込んでみる。
しかしそこには至って普通の、いつもの自分が自分を見つめ返していた。
「ルード。そんなのどこにも書いてないじゃない!」
「今のは物の例えですよニナ様」
ルードはアハハと笑いながらニナの元へ歩み寄る。
「ニナ様のお顔の表情、それを見ていれば心の内は分かるということです」
「私の……、表情」
「ええ。私も宰相という立場上、人の感情の機微に疎くては仕事が務まりませんからね。人の顔色を見ながら動くのは得意分野なのですよ。それに……」
「それに?」
「ニナ様のことは、産まれた頃からずっとお傍で見ておりましたから特に良く分かるのです。こう言っては王に怒られるかもしれませんが、ニナ様のことは我が娘のように思っております。自分の娘が何を思っているか、親であれば分かるのは当然ですよ」
「ルード……」
「少し話が長くなってしまいましたね。明日も朝から勉学と修練があるのでしょう? 今日はもうお休みになってください。でないと、私が怒られてしまいますので」
ルードは苦笑いを浮かべると、テーブルの上のカップを片付け始めた。
「うん。分かった! 今日はありがとうルード」
ニナはすっきりとした顔でルードにそう告げると、彼の部屋を後にし、弾むような足取りで自分の部屋へと帰っていった。
◇
「少し、邪魔をする」
数分の後、ニナが出て行ったドアを何者かが開ける。
「何用ですかな。馬鹿王殿」
「馬鹿とは酷い言い草だなルード」
そこには気まずそうな表情を浮かべながらユリウスが立っていた。
「いや、なに。少し茶でも馳走になろうと思ってな」
「あなたもですか……」
やれやれとルードは先ほどとは別のカップを用意し始める。
「ラオツァディ―から、特別な茶葉を手に入れていましてね」
「さすがはルードだな。気が利く」
「お褒めにあずかり、至極光栄ですよ」
覇気のこもらない声でルードはそう返すと、お茶をカップに注ぎ、王の前に出した。
丁度もう一人分用意しておいて正解だった。
「実は……、娘と……その……色々あってだな……」
ユリウスは椅子に座るなり俯きながらポツポツと話し始める。
全くこの王にしてあの娘ありだ。
そう思いながらルードは溜息一つ着くと、王の対面の椅子へと腰をかけるのだった。
◇
二ヶ月後。
「ほ、報告申し上げます! 先刻、ロギメルの王都マクベシアが陥落しました」
白氷の青殿内、玉座の間。
客人との謁見に用いられるその一室は、息絶え絶えに飛び込んできた若き兵士の一言によって重苦しい空気に包まれた。
「そうか……」
ユリウス・ユーレシュは少し頭を垂れると、短くそう呟く。
「それで、ルーデンスの奴……王族はどうなったか分かるか?」
「は、はい!」
王のため息交じりの問いに、兵士は背筋を伸ばしながら返事をする。
「ルーデンス王並びにレレシィ王妃は捕縛。王女は戦乱の最中消息不明だそうです。恐らくは燃え盛る王城とともに……」
「もういい」
ユリウスはそれ以上聞きたくないといった様子で兵士の言葉を止めた。
「ご苦労だった」
そして彼に労いの言葉をかける。
「はい! し、失礼します!」
兵士はその言葉を受け、王に対して敬礼をすると早い足取りで謁見の間を後にした。
謁見の間に残されたのは王ユリウス、王妃オリヴィア、宰相ルード――。
そして、顔を真っ青に染めたニナの4人だった。
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