第三十七話 ニナ・ユーレシュ③
白氷の青殿の地下。
王城のどの部屋よりも広いその一室に、鉄が交じりあう音が響いていた。
「はぁっ!」
細身の剣を構えた少女は、鋭い突きを目の前の老紳士に向け突き出す。
だが老紳士は身体を捻り、簡単にそれを避ける。
そして、右手に持っていた同じく細身の剣で彼女の剣を跳ね上げた。
再び剣が交じる音が部屋に響く。
そして彼女の手から離れたそれは、回転しながら空中へと投げ出され力無く地面に落ちた。
「くっ!」
少女は悔しそうに自分の拳を握る。
二年。
彼女が老紳士から手ほどきを受け始め、二年という年月が経過していた。
最初は剣を持つ、振るうといった基礎訓練からスタートした。
細身とはいえ鉄製の剣。
幼い少女には構えることで精一杯だった。
その基礎訓練は一年続いた。
ある程度剣が振れるようになって、初めて手合せすることを許された。
手合せが始まり、最初に出された課題は老紳士が描いた小さな円の中から彼を出すというものだった。
彼女は曲がりなりにも老紳士の言うとおり地味な基礎訓練を真面目にこなしてきた。
最初に比べて普通に剣は振れるようにはなった。剣の型も構えも教わった。
まだ敵わないものの、ある程度の剣術は会得できているという自負があった。
故に彼女は高を括っていた。そんな課題簡単に終わらせてみせると。
「はぁ、はぁ」
結果は惨敗だった。
どんな刺突も一撃も当たらない。
絶対に当たると踏んで放った薙ぎ払いは、彼の指二本で挟まれ止められた。
たった一歩足を動かす。それさえ彼女にはできなかった。
そこから一年。
彼女は課題をクリアできずにいた。
一つ進歩があったとするならば、老紳士に剣を使わせることができたこと。
最初は素手で受け止められていた剣閃も、今は彼の剣によって弾かれている。
少しずつ前には進んでいる。が、あまりにもゆっくりとした足取りに彼女は焦燥感を覚えていた。
剣の才が無いというのは最初に聞いていた。それは自分でも咀嚼し、理解し、それでも彼に乞うたのだ。
私に剣を教えて欲しいと。
初めて誰かから何かを学びたいと思った感情を大事にしたかったから。
「ニナ様。もう日も落ちます。今日はそろそろ」
少女をニナと呼ぶ老紳士マルビス・ハウゼンは、数年前と変わらない笑顔で、少女にそう投げかけた。
訓練は勉学が終わった昼過ぎから開始し、休憩も取らず現在にまで至っている。
剣に対する真摯な姿勢は評価するが、無理はよろしくない。
ましてや彼女はまだ8歳。自分に剣を使わせたことでも十分に凄いのだ。
「――ます」
切れた息とともに吐き出されるか細い声。
齢を重ね、少し遠くなった耳に少し寂しさを覚える。
「まだ、できます!」
あえて聞こえないふりをしていたにも関わらず、彼女は再度その言葉を口にした。
こちらを見つめる彼女の瞳は、この国中を覆う雪ですら一瞬で溶かすかのような熱い炎が灯っていた。
やれやれとマルビスは嘆息した。
この我武者羅な性格。これは王に似たのか王妃に似たのか……。
いずれにしてもこれ以上の訓練は体に毒だ。
「いえ、今日はここまでです」
少し厳しめの口調でそう告げる。
すると彼女も理解したのか、ふっと瞳の炎が消えた。
「分かりました。マルビスがそう言うのなら」
彼女はそのまま地面の剣を拾い、腰元の鞘に納める。
マルビスはそれを見届けると、自らの剣、『シルヴェーラ』を鞘に納めた。
◇
「ニナ、聞いたぞ。今日はついに上級魔法を使えるようになったそうだな」
王の執務室に呼ばれたニナは、父であるユリウス・ユーレシュ王に満面の笑みで出迎えられた。
「はい」
しかしニナは複雑な表情で短く返事をする。
「どうした? 何か不満でもあるのか?」
父の心配そうな声。少し憤りを感じながらニナは口を開く。
「お言葉ですがお父様。隣国ロギメルの王家には、精霊召喚に成功した同い年の女の子が居ると聞きました。そしてそのまた隣国リーゼベトには、神童と呼ばれる騎士をも凌駕する力を持った男の子が居ると聞いております」
「ああ、まあ。そうだな」
「比べて私は上級魔法を使えただけ。まだまだ遠く及びません」
ニナは自分で言って自分に腹が立っていた。
ニナはこれからユーレシュを背負う運命を持った王女。
であるにも関わらず、他国の同い年の少年少女に比べてのこの体たらく。
彼女が剣の習得を焦る理由の一つはここにもあった。
「なに、よそはよそだ。ニナはニナでゆっくりやっていけばいいさ」
そんなニナに王は優しく言葉を投げかける。
自分を気遣ってくれた一言。だが、今のニナにはその一言さえ彼女の焦燥感を刺激する。
「ゆっくりでは駄目なんです!」
思わず声を荒らげてしまう。
はっ、として父の顔を見ると、まるで鳩が豆鉄砲を喰ったかのような顔で、ニナを見つめていた。
「失礼します」
ニナはバツが悪くなり、父から逃げるようにしてその場を後にした。
「ニナ!」
後ろから父の呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、それを無視して自分の部屋へ駈け出す。
なんて自分は矮小な人間なのだろうか。
せっかく自分の頑張ったところを褒めてくれた父の言葉を無下にしてしまった。
自分の愚かさに嫌気がさす。
「ニナさまー!」
自身の部屋に着いたニナがドアに手を掛けたところで、背後から誰かに名前を呼ばれる。
「ルード?」
振り返るとそこには息を切らした一人の男性。
「はぁはぁ。はい、ルードにございます」
少し恰幅の良い、父の側近。
宰相ルード・レイアーが居た。
「何か用?」
複雑な心境から少し険のある物言いをしてしまう。
「たまたま王の執務室の前を通りかかったら、飛び出していくニナ様を……。どうなされました?」
ルードは自身の顔を見て驚いたようにそう言った。
そんなにひどい顔をしているのだろうか。
「何でも……ないです」
「何でもないことないでしょう」
ルードは、はぁと溜息をつくとニナの手を取る。
「ルード?」
「東方から珍しい茶葉が手に入ったのです。ご一緒しましょう」
「でも……」
「ニナ様、息を抜くことも時には大事ですよ。ささ」
ニナはそのままルードに手を引かれ、彼についていく。
恐らくはルードの部屋に連れて行かれるのだろう。
ルードは昔から、ニナが落ち込んでいる時に図ったかのように目の前に現れ、こうやってお茶に誘ってくれる。
そしていつもニナを励ましてくれるのだ。
「さぁ、つきましたよ」
気づくとルードの部屋の前。
今日はどんなお茶を淹れてくれるのだろう。
ニナは少し心が跳ねるのを感じながら、彼の後に続いて部屋に入った。
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