第三十五話 ニナ・ユーレシュ①

「すみませんでした」


「全くです」


 可憐な妖精亭の一室。

 俺はニナの部屋で頭を地面に擦り付けて謝罪をしていた。

 混乱していたとはいえ、一生の不覚だ。


「ステータス異常なら仕方ないとはいえ……。次からは気を付けてくださいね」


 そう言うとニナははぁとため息をついた。

 故意でなかったという点で何とか許しを貰えたみたいだ。

 俺はその言葉を聞き、立ち上がると、自分の部屋に帰るべく部屋の出口に向かう。

 今日は疲れたし、もう寝よう。


「あっ、待ってください」


 すると後ろから慌てた様子でニナが俺を呼び止める。

 何事かと後ろを振り返ると、ニナは立ち上がりこちらへ駆け寄ってきた。


「少し……、お話をしませんか?」


「お話?」


「はい。先ほど部屋に伺ったのも、実はそちらが本題でして」


 少しニナは表情に影を落としながらそう言った。


 俺は部屋に戻ると、ニナに進められるまま椅子に座る。

 その対面の椅子にニナは腰を下ろした。


「んで? 話とは?」


 俺は早く話せとばかりにニナに催促する。

 ニナは仄かな暗さを顔に残したまま、ポツリポツリと話し始めた。


「私の生まれた国……。ユーレシュに起こった出来事についてお話します」





 魔法王国リーゼベト。

 その北方、ロギメルという名の国を更に北に進んだ先に、リーゼベトと同じく魔法王国という名を冠する国が在った。

 魔法王国ユーレシュ。

 魔法研究においてはリーゼベトと双璧をなし、特に炎系統の魔法についてはどの国よりも研究を進めていた大国だった。


 魔法王国ユーレシュの首都スノーデン。

 万年雪に包まれた青き壁を持つ王城。

 その美しさから『白氷の青殿』と呼ばれた城の一室。

 凍てつく空気をも溶かすかのように、力強く熱い産声が響いた。


「王妃様、おめでとうございます。玉のような女の子にございます」


 産婆は赤子を大事に抱え、王妃と呼ぶ女性にその子を見せる。


「そう。これが私の……」


 王妃は大事に赤子を受け取ると、改めて顔を覗き込む。

 赤子は泣き疲れたのか、スヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。

 不意に湧いた悪戯心でその頬をツンと突っついてみる。

 柔らかな反発が人差し指に先に返ってくる。

 王妃は、形容しがたい感情が胸の中に込み上げてくるのを感じた。


「オリヴィア! 無事に! 無事に産まれたのか!?」


 すると、血相を変えた一人の男がその一室に飛び込んでくる。


「王よ。王妃様は出産で体力を消耗しております。あまり大きな声を出されませぬよう」


「そ、そうか。それは済まなかった」


 王は産婆に注意を受け、シュンとした表情を浮かべるが、すぐに自分の妻と、彼女が抱きかかえる赤子を見るやいなや、パッと表情を明るくした。


「この子か? この子がそうなのか?」


 王は、ゆっくりと王妃へ歩み寄る。


「ええ。私達の宝物。女の子だそうですよ」


「そうか。女の子か」


「残念ですか?」


「う、うむ。跡継ぎのことを考えるとやはり男の子……」


 その瞬間、産婆から凍てついたオーラを感じた。

 それ以上軽口を叩くようならば、どうなるか分かっているかと言わんばかりに。


「いや、なんでもない」


「くすくす。本当に分かり易い人」


 完全に委縮してしまった王を笑う王妃は、目尻の涙を拭いながら再び我が子に目を向ける。

 そしてゆっくりと語りかけた。


「大丈夫ですよ。父とは娘の方がかわいいもの。何も心配はいりません。私の父もそうだったのですから」


 すると赤子の顔が少し晴れやかになったように見えた。

 王妃はそれを見て満足したような笑みを浮かべる。


「して、王よ。名前はお決めになられたのですか?」


「いや……それなのだがな」


 産婆から促された王は少し動揺しつつ、懐から一枚の紙を取り出し、王妃に手渡した。

 王妃は手渡された紙に目を通していく。


「まぁ。どれもこれも男の子ような名前ばかりですね」


「すまん。どうも俺の願いばかりが先走ってしまった」


「まったくこの人は……」


 産婆は呆れたように溜息をついた。

 王妃はどうしたものかとうーんと考える。


「あら? 一つだけ……」


「どうした?」


 羅列された赤子の名前の候補の中。

 一つキラリと光る文字が見えた。


「これでしたら、女の子でも大丈夫ですわ」


 王妃はその名前を指差しながら、夫へ見せる。


「おお。確かにこれなら」


「どれどれ。まぁ、素敵なお名前ではございませんか!」


 産婆もそれを覗き込み、パッと顔を明るくする。


「古い言葉で『解放』という意味と記憶しております。どこでこのような言葉をお知りに?」


「いや、なに。名前を考えるにあたって書物庫に閉じこもって居ったのでな。古い書物も何冊か読み漁っておったから、そこから拝借させてもらったのだ」


 二人から褒められ、急に調子づいたのか自信満々に王は言った。

 それが王妃はとてもおかしかった。

 そう言えば、彼のこんな子供っぽいところに惹かれたのだ。

 そう思いだし、再び笑みがこぼれてしまう。


「ですが、少し呼びにくいですね。正式な名はこれでいいとして、普段は愛称で呼ぶことにしませんか?」


「愛称とな?」


「例えば……。そう、ニナなんてどうでしょうか? 縮めてニナ。ニナ・ユーレシュ」


「ニナ……。ニナ・ユーレシュか! 女の子らしい名前になったな。俺は気に入ったぞ!」


「ええ。私も賛成にございます。よき名を授かりましたね。ニナ様」


 王、王妃、産婆。

 3人から覗き込まれた赤子は、ゆっくりと目を開ける。

 そしてそれぞれの顔をじーっと見たかと思うと、だあだあと笑い始めた。


「オ、オリヴィア。今俺の顔を見て笑ったぞ!」


「自惚れが過ぎますよ、王。私の顔を見て笑ったのでございます」


「な、何を言っている。俺だ!」


「私にございます!」


「俺だ!」


「私です!」


 王と産婆がギリギリと睨みあい、不毛な争いをする中、母の腕に抱かれたニナはその顔をじっと見つめる。


「どうしたの? ニナ?」


「だあっ!」


 オリヴィアが優しく笑いかけると、それに呼応するようにニナも再び笑顔を見せた。


「ニナの独り占めはずるいぞオリヴィア!」


「独り占めなんてしてませんよ。ねぇ、ニナ?」


「だあだあ」


「あっ! またお前はそうやって!」


 氷に閉ざされた大地に、力強く繁栄した国、魔法王国ユーレシュ。

 その凍てついた国の凍てついた城の一室は、まるで春の訪れを感じさせるかのような暖かい空気に満たされていた。

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