第三話 堕ちて堕ちて堕ちていく
「シア……」
「すみません父上。婚約者の前で少し舞い上がってしまいました」
兄ゲオルグは父であるボルガノフに向けて跪く。
婚約者……ってどういうことだ?
俺が、怪訝な表情で伺っていると、ニヤッと笑った顔のゲオルグがこちらへ振り返る。
「何を言っているんだという顔だなラグナス。実はな……」
「よい、ゲオルグ。私から説明しよう」
兄が楽しそうな声色で話し始めたところを父が少し厳しめの口調で制する。
ゲオルグは短く返事を返すと、立ち上がり父の後ろへ下がった。
「ここにいるノトスの娘とお前の婚約はつい先ほど破談となった」
「どういう……ことですか?」
「お前ではこの子と釣り合わないということだ。レベルが下がって理解する知能も落ちたか!」
「ゲオルグ!」
父は先ほどよりもさらに厳しめの口調で兄を制した。
兄はチッと舌打ちすると、おずおずと引っ込む。
「ノトスと私は昔からの親友だ。そんな親友の大事な令嬢を出来損ないの息子へ嫁がせるわけにはいくまい。だからこそ、私の方からこの話を提案させてもらった。ノトスも快く了承してくれたよ。当然ながらここにいるフェリシアもな」
「嘘……だろ、シア」
俺はふらつく足でシアの下へ駆け寄ろうとする。
しかし先ほどのダメージが大きいのか、思うように動くことができない。
思わず地面につまずき、派手に顔面を打ち付けてしまう。
「無様だなラグナス! これが神の申し子とは笑わせる」
尚も楽しそうに俺を罵る兄の声色に心底腸が煮えくり返る。
父ももう止めても無駄だと悟ったのか、ため息を一つ吐き何も言わない。
「ほら、フェリシアも言ってあげたらどうだい? お前のような屑と結婚しなくなって本当に良かったとな」
その言葉を聞いて、フェリシアは無表情のまま、俺の下へ歩いてくる。
そしてフェリシアは倒れる俺の前にしゃがみ、両手をあてがった。
「『ヒーリングエイド』」
彼女がそう唱えると、体の痛みが少しずつ引いていくのが分かった。
初期の回復術、ヒーリングエイド。あまり魔法が得意でない俺でも唱えることのできる簡単なものだ。レベルが下がる前の話ではあるけれど。
「ありがとうシア。君のおかげで……」
「触らないで」
手を伸ばそうとした瞬間、今までの彼女からは到底聞いたこともないような、棘だらけの声を投げつけられる。
「あまりにも哀れだから、最低限動けるようにしてあげただけ。勘違いしないで」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「シア?」
いや――、理解したくなかっただけなんだろうな。
「お別れを言いに来たの」
そう告げる、彼女の冷たい目を見て、俺は確信した。
あぁ、お前もかと。
そこからはシアが何かを言っていたが、聞こえなかった。微かに残っている生存本能が、その言葉たちを俺の脳から遠ざけてくれたのかもしれない。
もともと神の申し子と言われていた俺を兄たちが疎んでいたのは知っていた。父の手前それを押し殺していたことも。
だけどシアはどうだ? 少なくとも昔からいつも一緒に居てくれた彼女がなんでこんなに変貌してしったのか。
その答えは、現実に戻った俺の耳に突き刺さった。
「今のあなたは邪魔なのよ」
邪魔……って。そこまで俺のことを嫌っているんだな。
今までのシアとの日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
思い返せば楽しかった思い出しかない。笑っているシアの顔しか俺は知らない。
「シア、俺は――、お前のことが好きだった」
意図はない。ただ、思い出を漁るうち、不意に口から飛び出しただけ。
当たり前の毎日の中に隠してきた想いが、ただ、飛び出しただけだった。
「私のことは忘れて。さようならラグナス」
彼女は俺の最期の気力を振り絞った告白に、返答さえしてくれなかった。
俺の言葉など聞こえないかのように、飾り気のない別れの言葉だけを告げ、彼女は背を向ける。
その瞬間、俺は心の中で何かが崩れていくのが分かった。
あんなに俺のことを認め、厳しくも可愛がってくれていた父。
いつも俺の心配をし、ちょっとでもケガをしようものなら卒倒していた母。
そして、いつも一緒に笑い、一緒に育ってきた、優しくて可愛らしい初恋の相手。
誰も、俺の味方なんていない。
「どうしたラグナス? ショックで言葉も出ないか?」
兄が俺を嘲笑する。
何とでも言うがいい。今さらお前に何を言われたところでもう何も感じやしないのだから。
「ふん。レベルが下がって精神も腑抜けてしまうとはな。もはやこいつにこれ以上の価値はないか」
そう言う父親はパチンと指を鳴らした。途端にどこからか父の執事が姿を現す。
「旦那様。お呼びでしょうか?」
「うむ。今からラグナスを奴隷と同様に扱うこととする。食事も最低限、寝る場所は馬小屋で十分であろう。屋敷の全員にそう通達しておけ」
「仰せのままに」
執事は恭しく一礼をすると、スッと姿を隠した。
「奴隷だなんて、父上もなかなかのご趣味じゃないですか」
「ふん。屋敷に置いてやるだけありがたいと思って欲しいがな。本来ならその辺に捨て置き、野犬の餌にでもしたいところだが、一応これでもツヴァイトの人間だ」
「父上はお優しい。こんな愚弟に温情をくださるとは。兄として言葉を知らぬ弟に変わってお礼を申し上げさせていただきます」
「よいよい。それにツヴァイトが野犬を餌付けしているなどと噂を立てられてはたまったものではないしな」
「ハハハ。父上はご冗談もお上手だ!」
そう言いながら、父と兄は笑いながら屋敷の方へ戻っていった。そしてシアもその後を粛々とついていく。
やがて、先ほどの執事に命令されたのか、屋敷に居た使用人数人が俺を迎えに来た。
「来るんだ。お前にはたっぷりと仕事をしてもらうんだからな!」
こいつは使用人のベルベド。昔からよく俺の世話を焼いてくれていた祖父のような存在だった。
俺は黙ってベルベドに従うことにした。
何も期待などしない。もう、何もかもがどうでもいいのだから。
そして二年の月日が流れる――。
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