第3話「願い星エメラルド」前編

 月が眠り、かわりに3つの星が瞬く”スームーン”の日。

 外はもうどっぷりと夜に浸かりきって、塔の入り口にある古時計は夜中の1時を指しています。

 建物の奥へと続く扉の向こうに、静かな足音が響いていました。

 古いレンガの壁は青色です。床は茶色の、これまたずいぶんと古い板が交互に並べられています。歩く度にキシキシと音を立てるので、もしかすると、うっかり板を踏み落としてしまうかもしれません。

 真っ暗の通路を三角の炎が灯るランタン1つ持ちながら、慣れたように歩く人影があります。そばには小さな四本足。

 頬を撫でる風が背中から吹いてきます。

 少女はこの日、この時を待っていました。

「光の網よ!星を捕まえて!」

 声と共に少女の持つ杖から無数の十字の光が噴き出ます。

 それと同時に少女の背中側から大きな緑の光の塊が向かってきました。

 十字の光がお互いに繋がって網になり、床から壁、天井までをいっきに覆います。そこに突っ込んできた緑の光の玉。すかさず網が絡みついて、少女の足元に落ちました。

「捕まえた。」

 少女の声と同時に光の網は消えました。

 緑の光の正体は、星です。世間では”願い星エメラルド”と呼ばれています。

「やっと、やっと、やっと捕まえた。」

 両手の中に大人しくしている星が壁や少女の瞳を緑に染めました。

「ずっとあなたに憧れていたわ。会いたくて、髪もあなたと同じ色に染めたし、いつもエメラルドのペンダントを着けていた。去年は追いかけるために箒を使ったけど、さすがに追いつけなかったわね。お婆ちゃんの帽子のご利益もあったんだけど。だから今年は網を張ってみたのよ。」

 息を切らしながら星を見つめる横で、小さな相棒の猫が心配そうに見上げていました。

「捕まえた者にそのたび願いを1つだけ叶えてくれる話が本当なら、叶えてほしいの。」

 ゆっくりと手を離れる緑の星に杖を向けます。

「願い星エメラルド。私を誰にも負けないすごい魔法使いにして!」

 星が虹色にきらめきました。

 少女は願いながら目をつむりました。

 これで願いが叶う。

 どうしても敵わないあの子の、あの子に注目する皆の目を、私に、私に、私に。

 ぐらり、と地面が揺れて少女は意識を失いました。

 まるで足を踏み外した時のような焦りと共に。


 緑の髪を揺らして、少女が1人、”林檎の塔”へと向かいました。

 この塔はその昔、とても栄えた林檎農園の真ん中にあった貯蔵庫でした。”魔法葉っぱ喰い虫”が大発生した年に葉を全部食べられて、木が枯れてしまってからは誰も近寄りません。クラスの中で「少し変わっている」と言われる彼女が秘密基地にするには、持ってこいの場所でした。

 彼女の名前はエメラルド。誰よりも魔法に詳しく、学校を卒業した後もずっとこの塔で研究をしていました。その末、彼女は気づいたのです。もっとも自分がなるべき姿を。

 誰にも負けない魔法使いとして、なんでも願いを叶えることのできる姿。

 誰の願いも叶えられる、すごい魔法使いと呼ばれるために。

 彼女は、流れ星になりました。


「そんな…。」

 真っ暗な塔の底で、小さな声が響きました。

「私は…こんな姿になりたかったわけじゃ…。」

 足元には涙が光となって落ちます。足はありません。手も、顔も。当たり前です。彼女は星になったのですから。

「これじゃ…皆と…。」

 確かにこの姿なら、誰もが注目するでしょう。ぴかぴか緑に光って辺りを照らす星。誰の願いでも叶えられるすごい魔法使いの姿。けれども、1つだけ彼女が見誤っていたことがあるのです。

「願い…。」

 誰の願いでも叶えることのできる星は、自分で願うことはできないのです。

 緑に光る星は塔の天井を見上げます。そこには窓があり、3つの星がきらめく夜空が見えました。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る