第2話『霧嶋先生にお見舞い-後編-』

 シンクに置いてあった食器を洗い終わり、棚からレトルトの玉子粥を取り出したとき、霧嶋先生達が部屋に戻ってきた。ちゃんと着替えもしたようで、先生は桃色の寝間着を着ている。


「一佳先生、おかえりなさい。そのピンクの寝間着も似合っていますね」

「ありがとう、白鳥さん。……部屋の中、綺麗になってる。今回もありがとう」

「いえいえ。ところで、瑠衣ちゃんと風花ちゃんに汗を拭いてもらったら、少しはスッキリできましたか?」

「ええ。気分が良くなったわ。タオルで拭かれるのも気持ち良かった。ただ、至近距離から体を見つめられたり、汗の匂いがいいと言われたりしたのはちょっと恥ずかしかったけれど……」

「そ、そうでしたか」


 たまに、霧嶋先生の可愛い声が聞こえてきたからなぁ。

 犯人である風花と花柳先輩は「汗拭きとお着替え楽しかった!」と言わんばかりのいい表情を見せている。もし、今後も先生のお見舞いに来たら、2人は率先して汗拭きと着替えを担当しそうだ。


「霧嶋先生。すぐにお粥を温めますね。それまではゆっくりしていてください」

「分かったわ」


 お茶碗にレトルトの玉子粥を出し、電子レンジで温めていく。

 再び部屋の中を見ると、霧嶋先生はベッドボードを背もたれにして座っており、俺達が買ってきたスポーツドリンクを飲んでいる。汗拭きや着替えを頼むほどに汗を掻いていたから、きっと喉が渇いていたのだろう。


「あぁ、冷たくて美味しい。体に染み渡っていくのが分かるわ」


 霧嶋先生は爽やかな笑顔でそう言った。熱が出たときに飲む冷たい飲み物って凄く美味しいよなぁ。今の先生を見ると、俺もあのスポーツドリンクを買って飲みたくなってくる。


「みんな、買ってきてくれてありがとう」

「いえいえ! 一佳先生に喜んでもらえて嬉しいです!」


 とても喜んだ様子で言う風花。あのスポーツドリンクは、都大会で応援してくれたお礼も兼ねて風花がお金を出したからかな。風花と霧嶋先生のことを、先輩方は優しい笑顔で見守っている。

 ――ピーッ、ピーッ。

 電子レンジからそんな音が聞こえた。お粥が温め終わったのだろう。

 レンジからお茶碗を取り出すと、玉子粥は湯気が立っており、出汁のいい匂いが香ってくる。美味しそうだ。スポーツドリンクを美味しく飲んでいるほどだから、お粥は完食できるんじゃないだろうか。あと、ちょっと熱いけど、息を吹きかけて冷ませば大丈夫だろう。

 引き出しから、掬う部分が少し深めのスプーンを取り出し、俺はお粥を霧嶋先生のところに持っていく。


「霧嶋先生。玉子粥を持ってきましたよ」

「ありがとう、桐生君」

「お粥は自分で食べますか? それとも、俺達が食べさせてあげましょうか? これは看病の一環ですから」

「由弦の言う通りですよ。あたし達に遠慮なく甘えてください」

「そ、そうね……」


 呟くようにしてそう言うと、霧嶋先生は頬を赤くして俺のことをチラチラと見てくる。


「……き、桐生君に食べさせてほしいわ。桐生君はお粥担当だし。もちろん、恋人の白鳥さんが良ければだけど」


 霧嶋先生は頬の赤みが強くなり、俺と美優先輩と交互に視線を向けるように。風花と花柳先輩に着替えを手伝ってもらったから、俺にも何かしてほしくなったのかな。俺に食べさせてほしいと言ったこともあり、凄く可愛く見える。


「私はかまいませんよ。一佳先生は病人ですし、お粥を食べさせることですから」

「ありがとう、白鳥さん。……ということで、お願いしていいかしら、桐生君」

「分かりました」


 霧嶋先生からのご指名を受けたし、お粥担当でもあるから、しっかり務めを果たそう。

 お粥を食べさせやすいようにと、美優先輩が仕事机の椅子をベッドの近くまで動かしてくれた。俺はその椅子に腰を下ろす。

 スプーンで玉子粥を掬い、ふーっ……と何度か息を吹きかける。


「これで、食べられる熱さになりましたかね。はい、霧嶋先生」

「あ、あ~ん」


 霧嶋先生は口を大きめに開ける。こういう姿も可愛いな。

 あと、美優先輩達がこちらをじっと見つめているから、何だか緊張する。そんな心境の中で、俺は霧嶋先生に玉子粥を食べさせる。


「……美味しい」


 優しい笑顔を浮かべて、霧嶋先生はそう言う。今の先生を見ていると、俺の姉妹や先日、風邪を引いたときの美優先輩を思い出す。


「良かったです。お粥の熱さは大丈夫でしたか?」

「ええ。ちょうど良かったわ」

「そうですか」


 ちょうどいい熱さになっていて良かった。

 再びスプーンで玉子粥を掬い、さっきと同じくらいに息を吹きかける。そして、霧嶋先生に食べさせる。


「この前、美優にお粥を食べさせているのを見たときにも思ったけど、桐生君ってこういうことに慣れている感じがするわ」

「落ち着いていて、優しい笑顔で食べさせていますもんね」

「そういえば、私が風邪を引いたときも、由弦君は今みたいに息を吹きかけてお粥を食べやすい熱さにしてくれたよね。食べさせてくれるときの顔も優しかったのを覚えてる」

「実家に住んでいた頃、しずく姉さんと心愛ここあが風邪を引いたときは、俺がお粥を食べさせることが多かったですからね。花柳先輩の言う通り……慣れでしょうね」


 お茶碗を持ったときの熱さや湯気の立ち方で、どのくらい息を吹きかければ食べやすい熱さになるかだいたい分かる。

 あと、笑顔なのは……相手が少しでも安心して食べられるようにするため。体調を崩しているときだと、気持ちが不安定になりやすいし。あと、手作りでも既製品でも美味しいって言ってもらえると嬉しくなるのもある。

 時間が経ってきたので、お粥は少しずつ冷めてきている。息を吹きかける回数や強さを調整して、霧嶋先生にお粥を食べさせる。


「本当に美味しいわ。この玉子粥は今までに何度も食べたことがあるけど、みんなに看病してもらって、桐生君に食べさせてもらっているから、今回が一番美味しい」

「嬉しいですね」


 お粥を食べさせている甲斐があるな。霧嶋先生からご褒美をもらった気分だ。

 霧嶋先生は俺を見ながら「ふふっ」と声に出して笑う。


「どうしました?」

「……中学時代に読んだ恋愛系の少女漫画を思い出してね。ある日、主人公の女子が風邪を引いて学校を休んだの。そうしたら、放課後に片想い中の男子を含めたクラスメイトの友人数人がお見舞いに来てくれて。意中の男子がレトルトのお粥を食べさせてくれるのよ。そうしたら、主人公が『何度も食べたことがあるけど、これが一番美味しい……』って呟くの」

「今の由弦君と一佳先生みたいですね」

「ええ。そのシーンにキュンとなって、少し憧れたのも思い出して。だから、思い出し笑いをしたの。桐生君は教え子だけど、そのシーンに似た体験できてちょっと嬉しいわ」


 穏やかな口調でそう話すと、霧嶋先生は俺に可愛らしい笑顔を見せてくれる。そのことにちょっとキュンとなって。例のシーンを読んだとき、霧嶋先生は今のような笑みを浮かべていたんじゃないだろうか。


「一佳先生可愛いですっ!」

「漫画のシーンに憧れることってありますよね」

「あたしもあるわ、美優。それにしても、一佳先生はとても可愛いことを考えるんですねぇ」


 風花と美優先輩は純粋な笑顔を見せるけど、花柳先輩は厭らしさを感じさせるニヤニヤとした笑みを見せる。そんな3人の反応を見て、霧嶋先生はほんのり頬を赤くして恥ずかしそうにする。


「そ、そういうことを考えるときもあるわ。ただ、今の漫画の話は言いふらさないように。何だか恥ずかしいから……」

『はーい』


 美優先輩達3人はしっかりとお返事した。そのことで霧嶋先生は安心した様子に。

 美優先輩と風花はもちろんのこと、花柳先輩も大丈夫だろう。今みたいにからかうことはあるけど、嫌だと言われたらしない人だから。

 それからも、俺が玉子粥を食べさせ、霧嶋先生は完食することができた。

 玉子粥はずっと俺が食べさせたので、デザートのヨーグルトについては美優先輩達3人で霧嶋先生に食べさせることに。先生がヨーグルトを美味しそうに食べるので、先輩達は楽しそうで。

 美優先輩達が食べさせたのもあり、霧嶋先生はヨーグルトも難なく完食することができた。これだけ食べられるんだし、この後もゆっくりと休めば、明日からは学校で霧嶋先生と会える可能性は高いだろう。

 お粥を食べるのに使った食器を片付け、俺達は霧嶋先生の家から帰ることに。


「今日はお見舞いに来てくれてありがとう。看病してくれて、部屋やキッチンの掃除までしてくれて。本当にありがとう」


 霧嶋先生は微笑みながら、俺達にお礼を言った。


「いえいえ。霧嶋先生の体調が結構良くなっていて安心しました」

「お粥とヨーグルトも完食したもんね」

「一佳先生の汗拭きとお着替えをするの楽しかったですよ!」

「楽しかったよね、風花ちゃん」

「あなた達が来てくれたおかげで元気が出たわ。また明日……できれば学校で会いましょう」


 霧嶋先生はそう言うと、さっきよりも口角を上げた。そんな先生の顔色は、俺達がここに来たときよりも良くなっていて。明日は学校で会えるといいな。

 お大事に、と霧嶋先生に伝え、俺達は先生の家を後にするのであった。

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