第1話『霧嶋先生にお見舞い-前編-』
小学校のように、大半の教科を担任教師が教えるわけではない。
それでも、朝礼に霧嶋先生が教室に来ないことや現代文の授業が自習になったことで、普段とは違う学校の時間を過ごしているのだと実感している。霧嶋先生の存在が大きいことも。風花も寂しそうにしていた。
また、当の本人である霧嶋先生からは、1時間目と2時間目の間の10分休みに、
『風邪を引いてしまいました。心配かけてごめんなさい。』
というメッセージが、ゴールデンウィークに旅行に行った霧嶋先生、俺、美優先輩、風花、花柳先輩、先輩方のクラスの担任・
俺達が『お大事に』とメッセージを送る中、美優先輩が霧嶋先生にどんな症状が出ているのかと問いかける。朝礼を担当した教師は体調不良としか言わなかったから、どう具合が悪いのかは俺も気になる。
すると、すぐに霧嶋先生から返信が。38度を越える発熱と体のだるさ。あとは、一昨日と昨日の都大会では大声で応援しまくったから、喉が痛いのだそうだ。風花など知っている生徒が泳いでいるとき、先生は力を込めて応援していたからなぁ。そのことで疲れが溜まり、今日になって体調を崩してしまったのかもしれない。
美優先輩や風花が『放課後にお見舞いに行きますね!』とメッセージを送ると、霧嶋先生は『ありがとう』と返信をくれた。今日の放課後は期末試験対策の勉強会ではなく、先生のお見舞いになりそうだ。
放課後。
霧嶋先生のお見舞いには俺と美優先輩、風花、花柳先輩の4人で行くことに。
お昼をいつも一緒に食べ、勉強会に参加することも多い加藤と橋本さんも誘ったけど、「行きたいけど、6人も行ったら先生の迷惑になるかもしれない」という理由で辞退した。2人は橋本さんの家で一緒に課題を片付けて、試験勉強をするとのこと。また、明日の放課後は6人で勉強会をしようと約束した。
6人で陽出学院高校を後にし、徒歩数分のところにある最寄り駅の
「じゃあ、霧嶋先生のところへお見舞いに行きましょうか」
「そうだね、由弦君。その途中で、一佳先生のマンション近くのスーパーで先生に何か買っていかない?」
「それがいいわね、美優。確か、一佳先生の症状は発熱とだるさと喉の痛みだよね」
「グループトークにそうメッセージを送っていましたね。お腹を壊していないようですし、ヨーグルトがいいと思います。この前、美優先輩のお見舞いに来てくれたとき、お腹が大丈夫ならヨーグルトを食べることが多かったと言っていましたし」
「それ覚えているわ、桐生君」
「あとはスポーツドリンクも買っていきましょう! 部屋を涼しくして休んでいると思いますが、きっと汗を掻いているでしょうから」
「そうだね、風花ちゃん。じゃあ、ヨーグルトとスポーツドリンクを買っていこう」
それから、俺達は霧嶋先生が住むマンション近くにあるスーパーに立ち寄り、ヨーグルトとスポーツドリンクを購入。お会計は風花が持った。都大会で応援してくれたことのお礼という理由で。
買い物を済ませた俺達は霧嶋先生の住んでいるマンション『メゾン・ド・伯分寺』へ。
これまでに、このマンションには数回来たことがあるけど、ここに来るとほぼ毎回「立派なマンションだなぁ」と思う。
エントランスに入り、オートロックの扉の前にあるインターホンで、霧嶋先生の部屋である1111号室を呼び出す。先生は起きているだろうか。もしくは、この呼び出し音で先生は起きるだろうか。
呼び出してから30秒ほどして、
『……はい』
インターホンのスピーカーから霧嶋先生の声が聞こえた。体調を崩し、喉が痛いと言っていただけあって、いつものようなしっかりとした声ではない。
『姫宮さん達、来てくれたのね』
「風花です。由弦達と一緒にお見舞いに来ました」
『ありがとう。今、開けるわ』
霧嶋先生がそう言った次の瞬間、マンションの中に繋がるオートロックの扉が開く。こういう場面を見るのは今日が初めてじゃないけど、ちょっと興奮する。実家は一軒家だし、今住んでいるあけぼの荘にはこういう扉はないから。
「開きました。一佳先生の部屋に行きますね」
『ええ、待っているわ』
そして、プツッと通話が切れる音がした。
俺達はオートロックの扉を通って、マンションの中に入る。エレベーターで11階まで上がり、霧嶋先生の住まいである1111号室の前まで向かう。
風花が部屋のインターホンを押す。エントランスのインターホンとは異なる呼び出し音が鳴った直後、
「……みんな、こんにちは」
玄関の扉が開き、水色の寝間着に身を包む霧嶋先生が姿を現した。髪型も普段とは違ったストレートヘアである。欠勤するだけあって、顔色は普段よりもちょっと悪いな。
霧嶋先生は俺達の顔を見ると微笑んだ。
「来てくれて嬉しいわ。さあ、中に入って。少しちらかっているけれど」
『お邪魔します』
俺達は霧嶋先生のご自宅にお邪魔する。
あと、家の中……少し散らかっているのか。初めてお邪魔したときはかなり散らかっていたからな。あのときの部屋の中の光景を覚えているから、どのくらい散らかっているのか不安だ。部屋に来る度に俺達と掃除したり、美優先輩の指導もあったりして、段々まともになってきているけど。
インターホンを鳴らされるまで寝ていたのだろうか。先生の部屋の中は薄暗い。あと、エアコンがかかっているのか涼しいな。途中、スーパーにも寄ったけど、蒸し暑い中歩いてきたから凄く快適に感じる。
「さあ、どうぞ。適当なところにくつろいで。荷物も適当なところに置いて」
そう言い、霧嶋先生は部屋の照明を点けた。
仕事机やローテーブルに書籍やお菓子の袋が乱雑に置かれているけど、床の上にはあまりゴミは落ちていない。俺達がくつろげそうなスペースはある。キッチンの方も、シンクに食器が水につけた状態で置かれているくらいで。少し散らかっているという先生の言葉は本当だったようだ。先生の成長を感じる。
俺達4人はバッグを部屋の端に置いて、ローテーブルの周りに腰を下ろす。霧嶋先生は俺達の方を向いてベッドに横になる。
「一佳先生。近所のスーパーでヨーグルトとスポーツドリンクを買ってきました」
「都大会の応援のお礼ということで、風花ちゃんの奢りです」
「そうなのね、花柳さん。……姫宮さん、ありがとう」
風花にお礼を言うと、霧嶋先生は柔らかな笑顔を見せてくれる。顔色もさっきよりちょっと良くなったように思える。そんな先生に風花は「いえいえっ」と言い、ヨーグルトとスポーツドリンクの入った袋をローテーブルに置いた。
「一佳先生、体調はどうですか? 朝、私が訊いたときには熱とだるさと喉の痛みがあると返信をくれましたが」
「そのときに比べればだいぶ良くなったわ。だるさがあまり感じなくなったからかしら。喉も……まだちょっと痛みはあるけど、今朝よりはマシになったわ。市販のものだけど風邪薬を飲んで、10分くらい前までぐっすり眠ったし」
「それは良かったです」
そう言う美優先輩は安堵の笑みを浮かべている。風花と花柳先輩もほっとした様子だ。
俺も今の先生の話を聞いてほっとしている。風邪薬の力もあるだろうけど、ぐっすり眠れたのは大きい。先月、風邪を引いたとき、俺も薬を飲んで眠ったことで体調がかなり良くなったから。
その後、霧嶋先生は今の体温が知りたいということで、体温計で熱を測ることに。
「ところで、桐生君と姫宮さん。うちのクラスの様子はどうだった?」
「あまり変わらなかったですね。現代文は霧嶋先生がお休みだったので自習でしたが……みんな黙々と勉強していましたね。期末試験が近いからかもしれませんが」
「そうだったの。現代文でもそれ以外の教科でも、試験に向けた勉強をしたのならそれでいいわ」
「あと、一佳先生が来なくて寂しいって言う子やがっかりしている子が何人もいました。あたし達も寂しいと思った2人です。先生を気遣って奏ちゃんと加藤君は来ませんでしたが、お見舞いに行きたがっていました」
「……そうだったのね」
そう言う霧嶋先生はちょっと嬉しそうに見える。寂しいと思われたり、がっかりされたりするってことは、霧嶋先生と会いたかったと言われているようなものだもんな。
それから程なくして、ピピッと体温計が鳴る。さあ、今の体温はどのくらいか。
「……37度1分ね」
「だいぶ下がりましたね。朝は38度を越えていると言っていましたし」
「そうね、白鳥さん。このままゆっくりしていれば、明日からまた学校に行けると思うわ」
穏やかな口調でそう話す霧嶋先生。朝よりも体調が結構良くなっているし、先生の言う通り、明日からはまた学校で会えるだろう。
「一佳先生。何かあたし達にしてほしいことはありますか? 病人なんですから、遠慮なくあたし達を頼ってください!」
元気よくそう言うと、風花は右手で胸元をポンと叩く。風花、看病する気満々だな。風花は霧嶋先生のことが大好きだし、都大会でたくさん応援してくれた恩返しをしたいのかもしれない。
そうね……と、霧嶋先生は呟き、
「……あ、汗を拭いてほしいわ。朝からずっと寝ていたから汗掻いちゃって。着替えもしたいわ。ただ、これは女子3人の誰かにお願いすることになるわね」
霧嶋先生はほんのり頬を赤くしながらそう言う。チラッと俺の方を見ると、先生の頬の赤みが強まったように見える。さすがに汗拭きや着替えは、男の俺には頼めないよな。
――ぐううっ。
ベッドの方から、お腹の音がはっきりと聞こえてくる。方向的に霧嶋先生の可能性が高そうだ。その推理は当たったようで、先生の頬の赤みが顔全体に広がっていく。
「……お、お腹が空いたわね。今朝は食欲がなくて、ゼリー飲料しか口にしなかったから」
「じゃあ、俺が何か作りましょうか? あと、キッチンのシンクにある食器も洗います」
「ありがとう。では、お粥を用意してくれるかしら。キッチンの棚に、レンジで温めて食べられる玉子粥があるから」
「分かりました」
自分に役割ができたことが嬉しい。
「玉子粥を食べて、デザートに買ってきてくれたヨーグルトを食べましょう」
「そうですか。一佳先生、あたしが先生の汗を拭きますっ」
「あたしも手伝うわ、風花ちゃん。それに、普段ほどの体調じゃないし、体を支える人もいた方がいいでしょう」
「2人いるとより安心だわ」
「じゃあ、一佳先生の汗拭きと着替えの担当は瑠衣ちゃんと風花ちゃんだね。私は部屋の中の掃除をしますね。ローテーブルや仕事机に色々と物が置かれていますし、多少ですが床にゴミが落ちていますから」
「お願いするわ、白鳥さん。あと、毎度ここに来たら掃除してもらってごめんなさい」
「いえいえ。お掃除は好きですから。それに、初めて来たときと比べて、部屋の中が綺麗になってきていますね。それがとても嬉しいです」
持ち前の優しい笑顔を浮かべながら、美優先輩は霧嶋先生にそう言った。先輩も俺と同じことを考えていたか。
美優先輩に褒められたからか、霧嶋先生は口角を上げて小さく頷いた。寝間着姿なのも相まって、今の先生が子供のように見えて可愛らしい。
「じゃあ、それぞれの担当も決まったから、一佳先生のために頑張りましょう!」
美優先輩のそんな言葉に、風花と花柳先輩は拳にした右手を突き上げ、元気いっぱいに「おー!」と答えていた。俺も「はい」と答えた。
俺の担当はお粥の用意とシンクにある食器の片付け。なので、俺はキッチンへ向かう。
汗拭きと着替えがどのくらいかかるか分からないので、まずはシンクにある食器の片付けを行うことに。そういえば、俺は霧嶋先生の家に来ると、キッチンで掃除をすることが多いなぁ。
食器を洗いながら部屋の中を見ると、美優先輩は床に落ちているゴミの片付け。
風花は霧嶋先生に肩を貸して、洗面所へ向かっていった。花柳先輩も替えの寝間着と思われるものを持って、2人の後に続く。俺のいる前では汗拭きや着替えはできないもんな。
「一佳先生、変わらずスタイルがいいですよね」
「肌も綺麗だよね、風花ちゃん。羨ましい」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、何だか恥ずかしいわ。……ひゃあっ。花柳さん、お尻掴まないで。もう少し別の場所で支えて……」
部屋の外からそんな会話が聞こえてくる。風花と花柳先輩に着替えと汗拭きを任せて良かったのだろうか。いざとなったら、美優先輩に行ってもらおう。
「落ちているゴミもちょっとだし、テーブルとか仕事机に置いてある本もそこまで多くないからすぐに終わりそうだよ」
「こっちも食器は水に浸してあったので、あまり時間はかからなそうです。霧嶋先生、成長しましたよね」
「そうだね」
いつかは掃除しなくてもいいようになるのだろうか。霧嶋先生のことを考えれば、それは喜ばしい。だけど、何度も掃除しているので、ちょっと寂しくもなってしまう自分もいるのであった。
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