第12話『水泳少女』

 美優先輩が眠り、俺は花柳先輩と霧嶋先生と3人でリビングに戻る。

 特にしなければならないこともないので、Blu-rayを観ることに。

 テレビ台の収納スペースには、美優先輩が録画したBlu-rayがたくさんある。花柳先輩と霧嶋先生はそこを見て何にしようか考えている。さて、2人は何を選ぶのかな? 2人が考えている間に、俺は3人分のホットコーヒーを淹れた。

 2人が選んだBlu-rayは、『きっとあなたになる』という去年TV放送されたガールズラブのアニメーション作品。2人とも、放送前から原作の漫画を何度も読むほどのファンなのだという。

 花柳先輩曰く、美優先輩も好きらしい。そういえば、寝室にある本棚に原作の漫画があったような。

 俺も雫姉さんの勧めで原作漫画を読み、アニメは受験勉強の気分転換に観ていた。なので、内容は分かっている。

 ソファーには花柳先輩と霧嶋先生が座り、俺は食卓の椅子に座ることに。椅子をソファーの近くまで動かし、霧嶋先生の隣に座る。

 コーヒーの香りに包まれながら、俺達は『きっとあなたになる』のTVアニメを第1話から観始める。東京に来てからは初めてだけど、まさか花柳先輩と霧嶋先生の2人と一緒に観ることになるとは思わなかったな。

 この作品の魅力は個性溢れるキャラクター達と、繊細な心理描写。アニメでは声優さんの演技も魅力だと思う。花柳先輩と霧嶋先生も同じような感想を持っていることも分かり、アニメを観ながら作品について語り合う。結構盛り上がって楽しいけど、美優先輩もいたらもっと楽しかっただろうな。

 また、何度かキスシーンがあり、そのときは花柳先輩と霧嶋先生は興奮した様子に。特に最初のキスシーンのときに先輩の手を握り、


「キスしたわっ!」


 と言った霧嶋先生がとても可愛かった。その姿は担任教師ではなく、花柳先輩のクラスメイトで友人のように見えて。

 たまに、お手洗いなどでリビングを出たときは、寝室にいる美優先輩の様子を見るようにした。薬がよく効いているのか、それとも俺の寝間着の匂いがいいのか、はたまたBL朗読で楽しい気分になれたのか、先輩はぐっすりと眠っている。

 3人とも好きなアニメを観ているから、あっという間に時間が過ぎていった。




 ――ピンポーン。


 『きっとあなたになる』のアニメも終盤に差し掛ろうとしていたとき、インターホンが鳴った。壁に掛かっている時計を見ると、今は午後4時過ぎか。誰だろう? 宅配便かな。それとも、あけぼの荘の住人だろうか。この時間だけど、今日は朝から水泳部の活動があったし、風花が帰ってきたのかな。

 インターホンのモニターを見ると、制服姿の風花が映っていた。今日は肌寒いからか、風花はカーディガンを着ている。


「風花か。部活お疲れ様」

『ありがとう、由弦。美優先輩のお見舞いに来たよ』

「今行くよ。……風花がお見舞いに来てくれました。玄関へ行ってきますね」

「りょーかい」

「いってらっしゃい、桐生君」


 俺は1人で玄関へ向かう。

 玄関を開けると、そこには制服姿の風花が立っていた。彼女は右手にコンビニのレジ袋を持っている。風花は俺と目が合うと、明るい笑顔を浮かべ、俺に向かって小さく手を振ってくれる。


「こんにちは、由弦」

「こんにちは。今日は肌寒いな」


 暖房をかけている暖かい部屋にずっといたから、外の空気の肌寒さに体が震えてしまう。この寒さでは、美優先輩のように体調を崩してしまう人もいるだろう。

 ただ、風花はカーディガンを着て温かいのか、明るい笑顔のまま頷く。


「そうだね。普通、梅雨ってジメジメして暑いのにね。今日は温かい方が心地よく感じられるもん」

「そうだよな。プールが屋内で良かったね」

「そうだね。中は全然寒くなかったし、体を動かしているのもあってか、プールの水もそんなに冷たく感じなかったな。練習後は温かいシャワーで汗を流したし」

「そっか。泳ぎの調子はどうだ?」

「安定していいタイムを出せているよ。大会に参加するための基準タイムがあるんだけど、それは問題なく越えられてる」

「おぉ、それは良かった」

「目標は上位に入って関東大会に行くことだから、これからもっと頑張るよ。……はい、美優先輩にベビーカステラ。甘いし、一口サイズだから体調を崩していても食べやすいかと思って。由弦と2人で食べてもいいよ」

「ありがとう」


 風花からコンビニのレジ袋を受け取る。中身を確認するとベビーカステラが入っている。このカステラ、結構美味しいんだよな。カステラを食べるとき、美優先輩にお願いして1つ分けてもらおうかな。


「ところで、美優先輩の具合はどう?」

「朝よりは熱が下がってきたよ。お粥や玉子焼きは食べられたし、病院から処方された薬を飲んだ後はぐっすりと眠っている時間が多いから、大丈夫だと思う」

「そっか。薬の作用があっても眠れるのはいいね」

「俺もそう思ってる。さあ、中に入って。花柳先輩と霧嶋先生もお見舞いに来ているから」

「先生もなんだ! おじゃましまーす」


 霧嶋先生がいることが嬉しいのか風花はより元気な様子になって、101号室の中に入る。

 リビングへ行く途中、静かに寝室の扉を開け、風花と一緒に美優先輩の様子を見る。依然として、美優先輩は俺の寝間着を抱きしめながら、すやすやと眠っている。


「気持ちよさそうに眠っているね」


 俺にしか聞こえないような小さな声でそう呟くと、風花はほっと胸を撫で下ろしていた。

 テーブルに『風花からです』と書いたメモと一緒に、彼女が買ってきたベビーカステラを置いておいた。


「どうもです! 瑠衣先輩、一佳先生」

「風花ちゃん、部活お疲れ様」

「お疲れ様、姫宮さん」

「ありがとうございます。2人とも私服姿可愛いですね!」

「ありがとう、風花ちゃん」

「そう言ってもらえて嬉しいわ。姫宮さんのカーディガン姿もよく似合っているわね。色やデザインは違うけど、カーディガン姿という意味ではお揃いね」

「そうですね!」


 おそろい~、と可愛らしく言って、風花は霧嶋先生の左肩に頭をスリスリさせる。先生は微笑みながら風花の頭を優しく撫でる。何とも心温まる光景だ。


「あっ、このアニメ……『きっとあなたになる』ですね」

「風花、観たことあるのか?」

「アニメは観たことないけど、中学時代に友達の勧めで原作漫画を読んだよ。勧められたのはアニメが放送されてるときだったし、他に好きな漫画もあるから3巻までしか読んでいないんだけど」

「そうなのか。アニメも結構いいぞ。風花、何か飲むか?」

「ホットティー! 砂糖多めで!」

「了解。適当な場所に座って待ってて」

「はーい」


 何か、風花が来たら家の中の雰囲気がより明るくなった気がする。美優先輩が起きたら、きっと喜ぶだろうな。

 俺はキッチンに行き、風花のために砂糖多めのホットティーを作る。部活の後で疲れもあるだろうから、たっぷり入れておいてやろう。

 ホットティーの入ったマグカップを持ってリビングに戻ると、風花は花柳先輩と霧嶋先生の間に座っていた。親しい先輩と担任教師に挟まれているからか、風花は楽しそうにしている。彼女にとって、そこが特等席だと言わんばかりに。


「風花、ホットティーだよ。砂糖たっぷり入れておいた」

「ありがとー」


 風花にマグカップを渡して、俺はさっきまで座っていた食卓の椅子に座る。

 ふーっ、ふーっ、と風花はマグカップに息を吹きかけて、ホットティーを一口飲む。すると、風花は柔らかな笑みを浮かべる。


「あぁ、美味しい。結構甘いけど、紅茶の味もちゃんとしてる。由弦は淹れるのが上手だね」

「ありがとう」


 砂糖をたっぷりと入れたけど、風花の口に合って良かった。

 それからは風花を加え4人でアニメを観る。アニメは終盤だけど、原作漫画を途中まで読んでいたこともあってか、風花は楽しんでいる様子。キスシーンになると、2人以上に黄色い声を出して興奮している。

 風花が来てから30分ほど経ったときだった。


「あっ、風花ちゃん。風花ちゃんもいるから、お昼よりもにぎやかなんだね」


 寝間着の上に桃色のカーディガンを着た美優先輩がリビングに入ってきた。顔色は普段と変わりない感じになっており、そんな顔には優しい笑みが浮かんでいる。


「美優先輩!」


 大きな声で先輩の名前を口にすると、風花は急にソファーから立ち上がり、美優先輩のところへ駆け寄る。


「先輩、体調の方はどうですか?」

「さっき測ったら、36度6分まで下がっていたよ。頭のクラクラも全然ないし。喉にちょっと違和感が残っているだけだよ」

「そうなんですか! 良かったですっ!」


 風花はとても嬉しそうに美優先輩を抱きしめる。

 そんな風花に美優先輩は「ふふっ」と優しく笑い、風花の頭を撫でた。病院で処方された薬が効いたからか、俺が風邪を引いたときと同じように、その日の夕方にはだいぶ体調が良くなっていたか。ほっとした。

 花柳先輩と霧嶋先生も目の前にいる美優先輩の様子を見て、安堵の笑みを浮かべているのであった。

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