エピローグ『優しさを受け取った。』

 病院で処方された薬が効いたからか、美優先輩の体調はだいぶ良くなっていた。先輩はいつもの優しい笑顔を見せてくれ、落ち着いた雰囲気を醸し出している。


「風花ちゃん、お見舞いに来てくれてありがとう。あと、部活お疲れ様」

「ありがとうございます!」

「屋内だけど、プールでたくさん体を動かしただろうし……体の調子は大丈夫?」

「はいっ! たくさん泳いで疲れはありますけど、元気ですっ!」

「それなら良かった。2週間後には都大会もあるし、体調を崩さないように気をつけてね」

「今の先輩が言うと結構な重みがありますね。肝に銘じておきます!」


 美優先輩への抱擁を解き、先輩に向かって敬礼ポーズをする風花。俺絡みのことで悩んでいたのが原因とはいえ、風花は以前に水泳の練習中に倒れた経験があるから。都大会の重要さはここにいる誰よりも本人が一番分かっていると思うので、きっと大丈夫だろう。


「あと、お腹が空いたから、風花ちゃんが買ってきてくれたベビーカステラを3つ食べたよ。甘くて美味しいね。元気出たよ」

「そうですか! 良かったです!」


 自分の買ってきたお菓子で元気が出たことが嬉しいのか、風花は今日一番の明るい笑顔を見せてくれる。


「カステラを食べたからか、いつも以上に美優先輩から甘い匂いがしますね」

「ふふっ。……あっ、『きっとあなたになる』を観ているんだね。由弦君には話していなかったかもしれないけど、私、原作漫画もアニメも好きなんだ」

「さっき、花柳先輩が話してくれて知りました。寝室の本棚に漫画があったと、朧気な記憶はありましたけど。俺は雫姉さんの勧めで好きになりました」

「そうだったんだ! 嬉しいな」


 美優先輩の笑顔を見る限り、結構なファンであると窺える。いつか、先輩と2人きりでも、この作品のアニメを全話観てみたい。


「あと、由弦君。さっそくなんだけど、肩を揉んでもらってもいいかな? 昨日からの肌寒さからなのか、それとも風邪を引いたからなのか、起きたら両肩が凝ってて」

「分かりました。いつもは食卓の椅子に座ってもらってますけど、それでも大丈夫ですか?」

「うん! クラクラしないからね。ただ、万が一何かあったときは……由弦君に後ろから支えてもらおうかな」

「分かりました」

「あたし達もいるので安心してくださいっ!」


 風花が威勢良くそう言うと、花柳先輩と霧嶋先生も頷いた。確かに、俺一人よりも心強いだろうな。

 揉みやすいように、美優先輩はカーディガンを脱ぐ。それを花柳先輩が率先して受け取り、幸せそうに抱きしめている。絶対に美優先輩の目を盗んで匂いを嗅ぐと思う。先輩の下着の匂いを嗅ぎたいと言った人だし。

 俺と入れ替わる形で、美優先輩は食卓の椅子に座る。

 俺は美優先輩の後ろに立って、さっそく両肩を揉み始める。俺に頼むだけあって、肩がかなり凝っているな。あと、今日はずっと熱が出ていて、さっきまで寝ていたからなのか、普段よりも強い熱を感じる。


「あぁ、気持ちいい……」

「良かったです。この調子で揉んでいきますね」

「よろしく……んっ」


 そういう甘い声を出されると、昨日の夜に「梅雨寒ぬっくり」をしたときのことを思い出してしまう。あのときの先輩はとても艶やかだったな。段々と体が熱くなってきた。


「美優先輩。由弦の寝間着を抱きしめて寝ていましたね。可愛かったですよ」

「ふふっ。由弦君の寝間着のおかげでよく眠れたよ。これからも体調を崩したら、由弦君の匂いがついている服を抱きしめることにするよ」

「そのときは言ってくださいね。ちなみに……何か夢を見ましたか? たとえば、小さい頃の俺に会ったとか」

「ううん、そういう夢は見なかったなぁ。夢に由弦君達が出てきたけど、みんな今の姿だったよ」

「そうですか……」


 ということは、美優先輩はタイムスリップをしなかったと思われる。

 今日の美優先輩は俺がタイムスリップをしたときと同じように、風邪を引いて、伯分寺佐藤クリニックで処方された薬を飲んで、恋人の寝間着を抱きしめて寝た。だから、先輩のタイムスリップしたのかと思ったんだけどな。


「桐生君。どうして、美優にそんなにピンポイントの質問をするの?」


 首を傾げながら問いかけてくる花柳先輩。風花と霧嶋先生も「確かに……」と呟き、不思議そうな様子で俺を見てくる。

 タイムスリップの話をしたら、何か状況が変わってしまうかもしれない。適当にごまかしておくか。


「実は俺が風邪を引いたとき、小さい頃の美優先輩が夢に出てきたんですよ。ゴールデンウィークに見たアルバムに幼少期の美優先輩の写真が貼ってあったじゃないですか。その写真に写っている先輩がとっても可愛くて。その影響なんじゃないかと思います」

「そう言われると何だか照れちゃうな」

「桐生君らしいね」


 幼少期の美優先輩がとても可愛いと思ったのは本当だ。それが伝わったのか、花柳先輩達は納得したみたい。

 夢のことを話している間も揉み続けていたからか、気づけば美優先輩の肩がかなりほぐれていた。


「美優先輩。結構ほぐれましたが、どうでしょうか」

「……うん! 軽くなったよ。ありがとう、由弦君」


 ゆっくりと俺の方に振り返ると、美優先輩はいつもの優しい笑みを見せてくれる。これで少しでも体が楽になって、気分が良くなったのなら幸いだ。


「今の白鳥さんを見ていると、体調が良くなってきていると思うわ。熱が出ていたときは普段よりも声色が甘くて、子供っぽい言動をとっていたから」

「そのときの美優もとても可愛かったわ!」

「花柳先輩の言う通り、熱が出ている美優先輩も可愛かったですね」

「熱が出ると雰囲気とか性格が変わる人っていますよね。中学までの友達にも、そんな子がいました。熱が出ていたときの美優先輩、あたし見てみたかったです!」

「好意的な感想をや見たいって言ってくれるのは嬉しいけど、風邪をぶり返したくはないなぁ……」


 と、美優先輩は苦笑い。先輩の言うことはごもっとも。


「ちなみに、美優先輩は熱が出たときのことは覚えているんですか?」

「鮮明ではないけど、一応は覚えてるよ。今回も甘えたり、色々と言っちゃったりしたね。由弦君には……ちょっと厭らしい感じのことも。気をつけたいとは思っているんだけど、熱が出るとどうもね……」


 依然として苦笑する美優先輩の顔が赤くなっていく。

 今のようにプライベートな場所で、親しい人だけがいる空間だったらまだしも、病院などの場所ではTPOとかを考えた言動をとるようにしてほしいかな。俺が一緒にいるときは注意していかないといけないな。


「ただ、今日は土曜日で学校もお休みだから、由弦君がずっと側にいてくれて嬉しかった。瑠衣ちゃんと一佳先生は午前中からお見舞いに来てくれましたし、部活終わりに風花ちゃんも来てくれて。ここに住み始めてから、何かあったときに側にいてくれたり、気にかけたりしてくれる人の有り難みを凄く感じようになったんです。あと、由弦君っていう恋人と一緒に住んでいる私は幸せ者だな……って改めて思いました」

「そう言ってくれて俺も幸せ者です。先輩の体調が早く良くなって良かったです」


 優しく美優先輩の頭を撫でると、先輩はにっこりとした笑みを見せ、「ちゅっ」と唇を重ねてくる。触れたのは一瞬だったけど、先輩の温もりがはっきりと伝わってきて。幸せ者だと言ってくれ、キスもしてくれたからか、いつも以上に彼女の笑顔が素敵に思える。


「今回もみんなの優しさを受け取りました。特に、看病全般をして病院に連れて行ってくれた由弦君からは。瑠衣ちゃんは玉子焼きを作ってくれて。一佳先生は私の好きなBL小説を由弦君と朗読してくれて。風花ちゃんは部活終わりで疲れている中、お見舞いに来てくれて。3人は私の好きなものを買ってきてくれましたね。メッセージをくれたあけぼの荘の住人もいて。みんなのおかげで、こんなにも早く体調が良くなったんだと思います。ありがとうございました」


 優しい声色でお礼の言葉を言うと、美優先輩はゆっくりと頭を下げた。だからか、風花と花柳先輩は美優先輩のような優しい笑顔に、霧嶋先生は照れくさそうにする。


「いえいえ。美優先輩が元気になって良かったですよ」

「風花ちゃんの言う通りね。ここに来たときも言ったけど、親友のお見舞いは朝飯前だから。風邪だけじゃなくて、何かあったら遠慮なく言ってきて」

「教師として、大人としてできることもあるから……私にも遠慮なく相談しなさい。今回は早めに体調が良くなって本当に良かったわ」

「俺も一緒に住む恋人として、美優先輩のことを支えていきますね」

「……ありがとうございます」


 きっと、これからも美優先輩に何かあったら、何か助けになりたいと思って、みんなが先輩のところに来るんじゃないだろうか。そう思えるのは、美優先輩の普段から周りの人を大切に想う優しさがあるからだと思う。


「ところで、一つ気になったことがあるんだけど、由弦」

「何かな?」

「一佳先生とBL小説を朗読したっていうのは……」

「美優先輩、花柳先輩から教えてもらったBLのネット短編小説に感動したみたいで。それを朗読すれば、少しでも元気になるんじゃないかって話になって。霧嶋先生も読んだことがある小説だったから、一緒に読んだんだよ。風花は知ってるか? 朝生美沙っていう女性が書いた『薔薇色モーメント』っていう作品なんだけど」

「その作品なら、水泳部で何人かの部員の間で話題になってたよ。感動系BL短編小説だって。まだ読んだことないし、あたしも2人の朗読を聞きたい!」

「私ももう一度聞きたいですね」

「2人の朗読は思いの外上手だったから、あたしももう一度聞きたいです。できれば、スマホで録音したいです」


 まだやるとは言っていないのに、女子高生3人から期待の眼差しを向けられてしまう。録音はともかく、再度の朗読は断れない空気に。凄く感情を込めるし、BL作品に全然触れていないからか体力使うんだよなぁ。


「生徒のお願いを叶えるのも教師の役目。やりましょう、桐生君」 


 霧嶋先生、凄くやる気になっているぞ。さっきはとても生き生きとした様子で朗読していたし、本人も感動したと言っていたので、朗読したいのが本音なのだろう。


「まあ、上手だと言ってくれていますし、風花は一度も聞いていませんからね。やりましょうか」

「決まりね。では、配役は前回と同様に。あと、録音はしてもいいけど、ネットにアップしたりしないように。いいわね、花柳さん」

「了解です!」


 それから、俺は霧嶋先生と一緒に、ソファーに座る美優先輩、風花、花柳先輩の前で『薔薇色モーメント』の2度目の朗読。

 俺はさっき以上に感情を込めて、鈴木君のセリフを朗読した。2度目なのもあって、さっきよりもセリフが言いやすい。あと、霧嶋先生のイケメンボイスの精度が上がっているような。だからか、告白シーンのときは思わずドキッとしてしまった。

 朗読が終わると、3人とも絶賛してくれ、初めて内容に触れた風花は涙を流していて。そんな風花の頭を、美優先輩が柔らかな笑みを浮かべながら撫でているのが印象的だった。



 日が暮れた頃になると、友人とのお出かけから帰ってきた松本杏まつもとあんず先輩とバイト帰りの佐竹莉帆さたけりほ先輩が一緒にお見舞いに来てくれた。美優先輩がある程度体調が良くなったと分かると、2人ともほっとしていた。

 今回の風邪で、美優先輩は多くの人に愛されているのだと再確認できた。一緒に住む恋人として、一番近くで先輩を支えていきたいと改めて思う。




 そして、翌日の日曜日になると、美優先輩は普段と変わりない状態まで体調が回復。そのことを嬉しく思いつつ、俺は美優先輩と2人きりで平穏な日曜日を過ごすのであった。




特別編5 おわり

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