第6話『お粥と玉子焼き』

 強火で熱したお粥が沸騰したので、あとは弱火で煮ていくだけだ。

 IHの火力を弱めにし、俺は玉子焼きを作る花柳先輩の様子を見ることに。花柳先輩はボウルで卵を溶いており、そこに醤油を少々、砂糖をたくさん入れている。


「砂糖を結構入れましたね」

「甘めの玉子焼きを作るからね。今までに何度も作ったことあるし、甘さ加減は大丈夫だと思う」

「そうですか」


 何度も作ったことがあるなら安心かな。

 卵液を作り終わると、花柳先輩は土鍋の隣のIHコンロに置いてある玉子焼き器で、サラダ油を熱する。

 卵液を玉子焼き器に一滴垂らすと『ジュッ』という音が聞こえた。十分に熱せられているな。


「さてと、焼きますか」


 独り言のように呟くと、花柳先輩はボウルにある4分の1ほどの卵液を玉子焼き器に流し込んでいく。そのことで、卵の甘い匂いが香ってきた。

 ――ぐぅぅっ。

 結構大きくお腹が鳴ってしまった。今日はまだ何も食べていないからなぁ。いい匂いだから、食欲がそそられる。

 今の腹の音が聞こえていたようで、花柳先輩は「あははっ」と楽しそうに笑う。


「お腹空いたの?」

「ええ。実は今日はまだ何も食べていないんです」

「そうなんだ。じゃあ、これから作る玉子焼きを桐生君も食べなさい。美優が一度に食べきれる量じゃないだろうし。冷蔵庫に入れて、昼食とか夕食に食べてもらえばいいと思っていたんだけど。ちょうどいい朝食のおかずになるんじゃない?」

「そうですね。ありがとうございます」


 俺も甘い玉子焼きは好きだし、楽しみにしておこう。

 何度も作った経験があると言っていただけあって、玉子を焼く手つきは慣れている感じだ。花柳先輩も常に落ちついた笑顔だし。

 特に破れたり、焦げてしまったりすることもなく、黄色くふんわりとした玉子焼きが形作られていく。


「桐生君。もうすぐできるから、まな板と包丁を出してくれる?」

「分かりました」


 花柳先輩の指示通り、IHコンロの横にまな板と包丁を出す。玉子焼きを落ち着いて作っているのもあって、今までで一番料理部の先輩らしく感じる。

 花柳先輩は焼き上がった玉子焼きをまな板の上にそっと乗せる。多少の焦げ目がついている程度で、黄色くてふんわりとした出来上がりとなっていた。これには思わず拍手。


「おおっ、凄いですね、花柳先輩」

「まさか、料理のことで桐生君に拍手されるとは思わなかったわ。桐生君も美優と同じくらいに料理が上手だから」

「こんなに美味しそうな玉子焼きを作るのを見たら、拍手してしまいますって。玉子焼きって巻くのに失敗して崩れたり、焦げたりして失敗もする料理ですし。ですから、正直ちょっと不安もありました」

「おいおい。これでも料理部に1年以上在籍しているんだよ? まあ、入部した直後は料理があんまりできなかったけど。美優が入部するから、美優についていく形であたしも入ったし。美優や料理部の先輩、両親とかに教えてもらって、いくつかの料理は作れるようになったの。まあ、普通に食べられるレベルだけど」

「そうだったんですね」


 頑張り屋さんな一面もあるんだな。この美味しそうな玉子焼きは花柳先輩の努力の結晶とも言えそうだ。

 花柳先輩は玉子焼きの端の方を包丁で薄く切る。切った玉子焼きを菜箸で掴み「ふーっ」と息をかけ、俺の口元に持って行く。


「桐生君、味見をしてくれる? 大丈夫だとは思うけど、一応。美優には美味しいものを食べさせたいから」

「分かりました」

「……あ、あ~ん……」


 頬をほんのりと赤くして、恥ずかしそうに言ってくる花柳先輩が可愛らしい。こんな先輩、滅多に見られないからこのまま見ておきたい。ただ、近くに包丁があるし何をされるか分からないので止めておこう。

 俺はゆっくりと口を開けて、花柳先輩に玉子焼きを食べさせてもらう。


「……うん。甘くて美味しいですね」


 砂糖の甘ったるさもなく、玉子の甘さもちゃんと感じられる。あと、作りたてだからなのか食感が柔らかい。美優先輩の作った玉子焼きと遜色ない玉子焼きだと思う。

 俺が美味しいと言ったからか、花柳先輩はほっと胸を撫で下ろし、微笑む。


「良かった。じゃあ、この玉子焼きを美優にも食べてもらいましょう」

「そうですね。お粥も……いい感じに煮えました」

「……Theお粥って感じね」


 炊いたご飯にお水を入れて煮たシンプルなお粥だからな。

 美優先輩のお茶碗にお粥をよそう。そこに塩を一振り。これでご飯の甘味をよく感じられて美味しくなるのだ。この前、俺が風邪を引いたときに美優先輩が作ってくれたお粥がそうだった。

 お粥がよそられたお茶碗と、玉子焼きを二切れ乗せたお皿、温かい緑茶の入ったマグカップ、スプーンと美優先輩の箸をお盆に乗せる。それを俺が持ち、花柳先輩一緒に寝室へと向かう。

 ――コンコン。

 花柳先輩が寝室の扉をノックすると、中から「はーい」と美優先輩からの返事が聞こえてきた。

 花柳先輩がゆっくりと寝室の扉を開け、寝室の中に入る。美優先輩はこちらを向きながらベッドに横になっていた。顔だけ出しているのが可愛らしい。


「美優先輩。お粥と玉子焼きを持ってきましたよ」

「玉子焼きはちゃんと甘く作ったわ」

「……ありがとう」


 そうお礼を言うと、美優先輩は柔らかな笑みを浮かべる。

 お粥と玉子焼きを食べやすくするため、体温を測ったときと同じ体勢にする。


「体調を崩しているし、まずはお粥から食べた方がいいんじゃない?」

「そうですね。美優先輩、お粥を食べましょうか」

「……うん。できれば、食べさせてほしいな」

「もちろんですよ」


 元々食べさせるつもりだけどね。

 スプーンで一口分のお粥を救うと、湯気が凄く立っている。冷ますためにふーっ、ふーっ……と何度か息を吹きかける。そういえば、俺にお粥を食べさせてくれたとき、美優先輩が同じことをしていたな。


「はーい、美優先輩。あーん」

「……あーん」


 頑張って口を開ける美優先輩。そんな先輩の姿が可愛らしいなと思いつつ、俺はゆっくりと先輩にお粥を食べさせる。


「どうですか?」

「……お米の甘味が感じられて美味しい。今まで食べたお粥の中で一番美味しい」

「それは嬉しいですね。ありがとうございます」

「良かったわね、桐生君」

「ええ」


 体調を崩しているのを忘れてしまうほどに、美味しいと言ってくれたときの美優先輩の笑顔が可愛らしかった。

 その後も、何度か美優先輩にお粥を食べさせていく。お粥の味が気に入ったのか先輩は常に笑顔を浮かべている。


「お粥が美味しいから、段々と食欲が出てきた。次はその玉子焼きを食べたいな」

「じゃあ、あたしが食べさせてあげるわ!」

「うんっ」


 花柳先輩、とても張り切っているな。ただ、そんな彼女の顔からは緊張も感じられる。美味しいと言ってもらえるかとか、口に合うかとか思っているのかな。

 美優先輩の箸を使って、花柳先輩は玉子焼きを一口サイズに切り分ける。その玉子焼きを掴み、美優先輩の口元まで持っていく。


「はい、美優。あ~ん」

「あーん」


 美優先輩は花柳先輩に玉子焼きを食べさせてもらう。

 玉子焼きが口の中に入り、一度、咀嚼した瞬間に美優先輩は「ふふっ」と声に出して笑う。


「甘くて凄く美味しいよ。瑠衣ちゃん」


 優しい声でそう言うと、美優先輩は花柳先輩の頭を優しく撫でた。そのことで緊張がほぐれたのか、花柳先輩は柔らかな笑みを浮かべる。


「良かったぁ、美優に美味しいって言ってもらえて」

「良かったですね、花柳先輩」

「本当に良かったよ! 嬉しい!」


 花柳先輩は今までの中で一番と言っていいほどの可愛らしい笑顔を俺にも向けてくれた。自分の玉子焼きを美味しいと言ってくれ、頭を撫でられたのがよほど嬉しかったのだろう。

 それからも俺と花柳先輩の2人で、美優先輩にお粥と玉子焼きを食べさせていく。自分で食べさせるのもいいけど、花柳先輩が食べさせるところを見るのもいいなと思う。

 玉子焼きを食べる直前に食欲が出てきたと言っていただけあってか、美優先輩はここに持ってきたお粥と玉子焼きを完食してくれた。


「あぁ、美味しかった。ごちそうさまでした」

「全部食べてくれて嬉しいです」

「そうね。これだけ食べられるのだから、ベッドの中でゆっくりとしていれば週末の間に治るんじゃないかしら」


 俺も同じ考えだ。お粥と玉子焼きを完食できるほどなので、温かくしてゆっくりと過ごせば、月曜日に学校へ行けるようになると思う。


「そうなるといいな。由弦君、瑠衣ちゃん、こっち来て」


 そう言って美優先輩が手招きしてくるので、俺と花柳先輩は美優先輩の側に行く。いったいどうしたんだろう? 花柳先輩の方を見るけど、彼女も見当がつかないのか俺を見て首を傾げた。


「由弦君、瑠衣ちゃん、ありがとう」

 ――ちゅっ。

 ――ちゅっ。


 お礼を言うと、美優先輩は俺と花柳先輩の頬にキスしてくれた。頬に唇が触れたのは一瞬だったけど、予想していなかったからかなりドキッとする。

 美優先輩は頬を紅潮させ、嬉しそうな笑顔を見せてくれる、


「あぁ、幸せ!」


 不意打ちのキスに心を鷲掴みされたのか、花柳先輩は真っ赤になった顔に至福の笑みを浮かべる。ただ、力が抜けてしまったようで、花柳先輩は膝立ちした状態でベッドに突っ伏す。そんな花柳先輩を見て美優先輩は楽しそうに笑う。


「瑠衣ちゃん可愛い。いつもはこんなことしないからドキドキしちゃったのかなぁ」

「……きっとそうだと思います」


 俺にならともかく、花柳先輩の頬にキスするのは高熱を出して頭がうかされているからこそした行動だと思う。

 今の出来事で、今後も美優先輩が体調を崩したら、きっと花柳先輩はすぐに駆けつけるだろうと思った。

 その後、美優先輩は病院で処方された薬を飲み、再びベッドに横になる。彼女が気持ちよさそうな寝息を立てるまで、俺と花柳先輩は側に居続けるのであった。

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