特別編5
プロローグ『梅雨寒』
特別編5
6月7日、金曜日。
朝からずっと雨がシトシトと降っている。明日以降も雨が降る日が多い予報となっている。そのため、関東地方は今日、梅雨入りしたと発表された。俺・
梅雨入りすると、空気がジメジメして蒸し暑くなるのが普通だ。しかし、今日の最高気温は20度で蒸し暑いどころか肌寒く感じるほど。今日から急に寒くなった。週間予報でも、雨が降る日は最高気温が20度前後の日が多い。
例年通りであれば、1ヶ月半ほど続く雨の季節を経て夏本番がやってくる。夏本番になっても、雨が降っている日は今日のように涼しくなってほしいものだ。
「美優先輩。コーヒーを淹れますね。冷たい方と温かい方……どちらがいいですか?」
夕食の後片付けがもう少しで終わりそうなので、
美優先輩は俺の方にゆっくりと振り向く。先輩の顔には、いつも通りの優しい笑みを浮かんでいた。その笑顔を見ると、俺の恋人はとても可愛いと思えることが多い。そんな人と同棲している自分は幸せ者だとも思う。
「温かい方がいいな。結構涼しいから」
「温かい方ですね。分かりました」
俺も今日は温かいコーヒーを飲もう。
「いつものティースプーンで、砂糖を1杯入れてくれる?」
「はい」
俺は自分と美優先輩のマグカップに温かいコーヒーを淹れる。先輩の言う通り、先輩のマグカップにはいつも使っているティースプーン1杯分の砂糖を入れた。
2人分のマグカップを持って、俺はテレビの前にあるテーブルに持っていく。美優先輩のマグカップをテーブルに置き、ソファーに腰を下ろし、温かいブラックコーヒーを一口飲んだ。
「……美味しい」
コーヒーの温かさが体に染み渡っていく。窓を少し開けて、涼しい空気がリビングに流れているからか、その温かさがとても心地良く感じられる。ホットにして正解だったな。
「あぁ、コーヒーのいい匂い」
背後から美優先輩の声が聞こえたので振り返ると、そこにはこちらに向かって歩いてくる先輩の姿が。
「夕ご飯の後片付け終わったよ」
「お疲れ様です、先輩。お風呂もあと10分もすれば入れるかと」
「分かった。ありがとう」
笑顔でそう言うと、美優先輩は俺の隣に腰を下ろす。その際に「よいしょっ」と呟くところが可愛らしい。
美優先輩は自分のマグカップを持って、俺の淹れたホットコーヒーを一口飲む。先輩のためにコーヒーを淹れたのは何度もあるけど、ちょっと緊張してしまう。
ゴクッ、と音がすると、美優先輩はニッコリと笑う。
「……うん、美味しい。ほどよく苦くて、ほんのりと甘くて」
「良かったです」
「由弦君はコーヒーを淹れるのが本当に上手だよね。あと、温かいコーヒーにしてもらって正解だよ。温かいのが心地いい」
「俺もさっき飲んだときに思いました。今日から梅雨入りしたとは思えないくらいに涼しいですよね」
「ふふっ、そうだね。梅雨っていえば、ジメジメしていて蒸し暑いのが普通だもんね。こんなに涼しいと、まだ4月くらいじゃないかって思えるよ」
「そうですねぇ」
「ちなみに、梅雨の時期の寒い日のことを『梅雨寒』って言うんだよ」
「梅雨寒……ですか。前に天気予報とかで聞いたことがあります」
梅雨の間はずっと梅雨寒であってほしいな。個人的にはジメジメして暑いよりかは肌寒い方がマシだし。
「由弦君って梅雨の時期は好き?」
「好きな方ではありますね。この時期って水泳の授業が始まるじゃないですか。でも、梅雨の間は雨が降って中止になることが多いんで。去年までは全然泳げなかったですからね」
「なるほどね」
ただ、ゴールデンウィークの旅行のときに、隣に住んでおり、水泳部所属のクラスメイトの
「気候も蒸し暑くなるよりも、今日みたいに涼しいのがスタンダードになってほしいですね。そうなればもっと好きになれそうです。美優先輩は梅雨の時期って好きなんですか?」
「私はあんまり好きじゃないかな。ジメジメして蒸し暑いのは嫌だし。蒸し暑いなら晴れてくれた方がいいっていうか」
「それは俺も同じ意見です。雨が降るくらいなら、暑くてもいいので梅雨が明けてほしいです」
「それ分かる。ただ、ジメジメして暑いから水泳の授業は楽しみだな。この時期のプールの水は冷たくて気持ちいいことが多いし。あとは、クロール中心にそれなりに泳げるから」
「ああ……確かにプールの水は気持ちいいですね。それだけは、去年までも水泳の授業でいいなと思えるポイントでした」
「ふふっ、そっか」
美優先輩はコーヒーをもう一口飲むと、マグカップをテーブルの上に置き、俺に寄りかかってきた。そのことで先輩から優しい温もりと甘い匂いが感じられて。さっき、美優先輩が言っていたように温かいのが心地よく思える。
美優先輩と目が合うと、先輩は「えへへっ」と可愛らしく笑う。そのことで心も温かくなって、凄く幸せ気持ちになれる。気づけば、俺は彼女の頭を優しく撫でていた。
俺に頭を撫でられて嬉しいのか、美優先輩は俺にキスをしてきた。一瞬、唇を重ねただけだけど、それでも先輩の温もりはしっかりと感じられた。
「今週の学校生活も無事に終わって、由弦君とこうしてゆっくりとした時間を過ごせて幸せだなぁ」
「俺もです。今週は水泳の初回の授業もありましたけど、美優先輩や風花のおかげで何とか泳げましたし」
「昨日、泳いでいる由弦君の動画を見たけど、ちゃんと泳げていたよね」
えらいえらい、と俺の頭を撫でてくれる。水泳の動画を見せたときも今のような感じで頭を撫でてくれたけど、こういうことは何度されても嬉しい気持ちになれる。来週以降の水泳の授業を頑張れそう。
「そういえば、由弦君。週末はどうやって過ごそうか? 期末試験まではまだまだ日にちもあるから、課題以外はやることないし。あと、普段と違って、風花ちゃんは水泳部の練習があるもんね」
「都大会が近いですからね」
普段、水泳部は週末の活動がないため、風花は俺達の家に来て過ごすことが多い。思えば、あけぼの荘に引っ越してきてから毎週、少なくとも土日のどちらかは家に遊びに来ている。
ただ、2週間後に高校水泳の都大会が開催される。風花は大会に参加する予定なので、今週と来週は週末も水泳部の活動があるのだ。風花の話だと、土日とも朝から夕方まで練習するらしい。
「土日とも雨が降ったり止んだりですから、家でゆっくり過ごしたり、駅前のショッピングセンターへ行ったりするのがいいんじゃないでしょうか。あとはスーパーのチラシを見て、何か買いたいものがあれば買いに行くとか」
「私も同じようなことを考えてた。食材が減ってきたから、週末の間に買い物には行きたいな。ただ、基本的にはゆっくり過ごそうか」
「そうですね」
美優先輩と一緒に、ゆったりとした週末を過ごせたらいいなと思う。
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