エピローグ『みんな褒めてくれた。』

 昼休み。

 高校生になってから一番だと言っていいくらいに、この時間が待ち遠しかった。3時間目に水泳の授業でたくさん泳いで、お腹が空いたからかな。それに、今日のお昼ご飯も、美優先輩が腕によりを掛けて作ってくれたお弁当だし。

 今日も1年3組の教室で、6人でお昼ご飯を食べることになっている。昼休みになるとすぐに、風花は購買部にパンやサンドウィッチを買いに行き、俺は加藤と橋本さんと一緒に俺の近くにある机と椅子を動かした。


「みんな、午前中お疲れ様」

「おつかれ~」


 机と椅子を動かし終わり、それぞれがいつもと同じ場所の席に座ったとき、ランチバッグを持った美優先輩と花柳先輩が教室に入ってきた。俺達3人が声を揃えて『お疲れ様です』と言うと、先輩方は笑顔で手を振ってくれる。それだけで午前の疲れが少し取れた。

 先輩方もいつもの席に座り、風花が帰ってくるのを待つことに。


「由弦君達のクラス、今日が水泳の初授業だったんだよね」

「そうです。先輩方のクラスと同じで、男女共に自由時間でした」

「なので、私が桐生君の練習成果をスマホで撮影しました!」

「旅行で風花から教えてもらったクロールと背泳ぎ、バタフライ、平泳ぎの4つを泳ぎました。どれも25mずつ」

「中学生まではあまり泳げなかったって聞いていましたけど、それが嘘じゃないかと思うくらいに泳いでいました。凄かったよね、潤」

「そうだな。桐生はよく泳いでいました。きっと、旅行での姫宮の教え方や白鳥先輩のサポートが良かったんでしょうね。あと、旅行から帰ってきた後も、桐生はフォームの確認をしたり、イメージトレーニングをしたりしたそうで」

「たまにしていたよ。昨日の夜はベッドの上で入念にフォームの確認をしてた」


 昨晩のことを思い出しているのか、美優先輩は「ふふっ」と声に出して笑う。そういえば、あのときも美優先輩は勉強机の椅子に座って、今のように微笑みながら見てくれていたっけ。


「風花ちゃんが戻ってきたら、奏ちゃんが撮ってくれた動画を観ようか。桐生君がどれだけ泳げたのか楽しみだわぁ~」


 意地悪そうな笑みを浮かべてそう言う花柳先輩。元々泳げなかったから、面白い動画になっているんじゃないかって期待していそう。平泳ぎはとても遅かったけど、それを観ても先輩方が笑うことはないんじゃないだろうか。


「お待たせしました。購買部はちょっと混んでいました。美優先輩、瑠衣先輩、お疲れ様です」

「お疲れ様、風花ちゃん」

「おつかれ~」


 購買部から戻ってきた風花は俺の正面の席に座る。レジ袋から、サラダサンドにチョココロネ、ペットボトルのストレートティーを取り出す。どれも美味しそうだ。


「3人から聞いたよ。今日の水泳の授業は自由時間だったから、桐生君の泳ぎを奏ちゃんが撮影したって」

「そうです! 由弦が今も泳げているかどうか確認したかったですし。それに、先輩方も授業で動画を撮影していましたからね。由弦はいい泳ぎをしていましたよ」

「風花ちゃんの話を聞いて、より由弦君の動画が楽しみになったよ。ただ、その前に全員が揃ったから、いただきますをしようか。いただきます!」

『いただきまーす』

「……じゃあ、さっそく由弦君の動画を見せてくれるかな、奏ちゃん」

「あたしも観たい!」

「了解です! もちろん、後で送りますね!」


 さっそく、女子4人は橋本さんのスマホで、彼女の撮影した俺の水泳動画を観始める。そんな彼女達の様子を見て、加藤は微笑みながらお弁当を食べ始めている。

 一緒に観ると恥ずかしい気分になりそうなので、俺もお弁当を食べ始めよう。……おっ、今日も美味しそうだ。さすがは美優先輩。今日は水泳の授業があったからか、玉子焼きとかミートボールとか、俺の好物がたくさん入ってる。嬉しいなぁ。……美味しい。普段よりもお腹が空いているし、食が進む。


「あら、クロールはちゃんと泳いでいるじゃない。凄いわ」

「そうだね、瑠衣ちゃん。スイスイ泳いでる。由弦君が泳いでいる姿を見ると、ホテルの温水プールでのことを思い出すね」

「思い出しますねぇ。あのときに比べると、由弦はかなり成長しましたよ」

「私はそのときの桐生君を見ていませんからね。クロールを泳いでいる姿を見たとき、去年まであまり泳げないというのが嘘のようでしたよ」

「俺も同じことを思いましたね」


 すぐ近くで自分の泳ぎを褒めてくれているから、いつもよりお弁当が美味しく思えるな。玉子焼きを食べると……いつもより甘く感じる。


『美優先輩、サポートしてくれてありがとうございます。まず、クロールは25mをちゃんと泳ぐことができました』

「ふふっ、まさかお礼の言葉を言ってくれていたなんて。嬉しいなぁ。クロールを25m泳げた一番の理由は、由弦君が頑張ったからだよ」


 美優先輩はとっても嬉しそうな表情で俺の頭を撫でて、右の頬にキスしてくる。


「頑張って25m泳いだご褒美だよ」

「ありがとうございます」


 練習してから1ヶ月以上経っていたけど、今もちゃんと泳げていて本当に良かったな。


「みなさんこんにちは~」

「午前中の授業お疲れ様。……やはり、うちのクラスの子も、水泳の授業中に動画を撮っていましたね、成実さん」

「そうね~」


 気付けば、霧嶋先生と大宮先生が俺達のところにやってきていた。


「どうしたんですか? 霧嶋先生、大宮先生」

「一佳ちゃんから、今日の1年3組は水泳の授業があるって聞いて。もしかしたら、桐生君の動画を誰かが撮っているかなって。うちのクラスも、初回は自由時間で、瑠衣ちゃんが美優ちゃんの様子を撮影していたから。あたし、旅行であまり泳げていない桐生君を実際に見ていたから、今はどうなっているのか気になってね」

「私はそのとき、花柳さんと一緒にウォータースライダーで遊んでいたから見ていなかったけれど、担任教師として教え子がどのくらい泳げるようになっているのか気になって。それで、成実さんと一緒にここに来たのよ」


 俺達が6人で1年3組の教室でお昼ご飯を食べることが多いのは、先生方も知っているからなぁ。美優先輩や花柳先輩ならまだしも、先生方まで俺の泳ぎについて興味を持っていたとは。まあ、一緒に旅行に行ったし、それは自然なことなのかな。


「そうだったんですか。クロール、背泳ぎ、バタフライ、平泳ぎをそれぞれ25m泳ぐことができました。その様子を橋本さんがスマホで撮ってくれました」

「先生達も一緒に観ましょうよ!」

「分かったわ、姫宮さん」

「どんな感じなのか楽しみだわ~」


 霧嶋先生は風花と橋本さんの間、大宮先生は美優先輩と花柳先輩の間に立つ。

 そして、先生方も加わって女性6人で俺がクロールを泳ぐところから、再び動画を観始める。

 クロール、背泳ぎ、バタフライはスイスイと泳げたので、6人とも「すご―い」と言ってくれた。美優先輩も「よく泳げたね」と頭を撫でてくれる。

 最後に、25m泳ぐのにかなり時間のかかった平泳ぎ。どんな風に見えるのか確かめたくて、平泳ぎについては俺も一緒に観ることに。


「……こんな感じだったのか」


 時間がかかっただけあって、進みがかなり遅いな。人によっては、俺が溺れていると勘違いするんじゃないだろうか。


「風花が、25mを泳げたのを奇跡だって言った意味が分かったよ」

「進みが遅かったのはもちろんだけど、クロール、背泳ぎ、バタフライと合わせて75m泳いだ後だったからね。しかも、ゴールデンウィークまで泳ぐのが苦手だったんだし」


 あのときは、風花に奇跡と言われて馬鹿にされたようにも思えたけど。今はとても納得ができた。


「ふふっ……何か面白いわね。フォームが綺麗なのにとてもゆっくりだから……」

「もう、瑠衣ちゃんったら。由弦君は一生懸命なんだから、笑うのはちょっと……」

「……ご、ごめんなさい」


 あははっ、と花柳先輩は声に出して笑う。花柳先輩だったら笑うと思ったよ。

 あと、先輩につられてなのか、霧嶋先生と大宮先生は口に手を当てて、声には出さないけど笑っている。地味に傷付くなぁ。俺の平泳ぎって、そんなにコメディ要素が強いのか。

 窓から外の様子を見ると、シトシトと雨が降っている。今の俺の心境を表しているかのような空模様だ。ちなみに、今日、関東地方は梅雨入りをしたそうで。

 背後から「もう先生達まで……」という美優先輩の声が聞こえ、後頭部に温かい感触が。先輩が撫でてくれているのかな。


「25m脚をつかずに泳げたわね。あのときの桐生君を見ているから、よくここまで泳げるようになったって思うよ。笑っちゃってごめんなさい」

「私もごめんなさい。泳げなかったときの桐生君を見ていたら、あなたの成長をより実感していたと思う。今までできなかったことをできるようにするのは、凄いことよ。頑張ったわね、桐生君」


 大宮先生と霧嶋先生はとても優しい笑顔で、そんな褒め言葉を言ってくださった。特に大宮先生は旅行で、練習前に泳いだ俺の姿を見て『美優ちゃんや風花ちゃんが側にいなかったら、溺れていると勘違いして誰かが駆けつけたかも』と言っていたから。だから、とても嬉しい。


「由弦君、今もちゃんと25m泳げていて偉いね。あれからも家でフォーム確認とかしていたもんね。……スマホに映っている風花ちゃんみたいに、私も感動したよ」

「は、恥ずかしいですね。涙を浮かべている自分の姿を見られるのって」


 そう言うと、風花は真っ赤になった顔を両手で隠した。そんな風花の頭を霧嶋先生が微笑みながら撫でていた。


「これで今年の水泳の授業は大丈夫そうだね、由弦君」

「はい。何とかなりそうです」

「良かった。……あと、全部25m泳げたご褒美だよ」


 そう言うと、美優先輩は俺にキスしてきた。学校の教室でみんなに見られている状況なので凄くドキッとして。あと、水泳のことで褒められると、美優先輩と一緒に水泳の授業を受けたかったと思う。

 美優先輩の方から唇を離すと、そこにはほんのりと赤くなった顔に笑みを浮かべる先輩が。


「素敵なご褒美でした。ありがとうございます」

「いえいえ。由弦君、本当によく頑張ったね。凄く感動したよ。……そういえば、動画に集中しちゃって、お弁当を全然食べてなかったよ。いただきます」


 美優先輩はお弁当を食べ始める。先輩に続いて風花、花柳先輩、橋本さんも。

 あまり泳げなかったから、今までは夏になると不安な気持ちになったり、憂鬱になったりすることもあった。でも、今年からは大丈夫だろう。もし、また泳げなくなっても、美優先輩や風花など、支えてくれる人が側にたくさんいるから。

 今年の夏は、今までで一番楽しめて、素敵な夏になりそうだ。お弁当を美味しそうに食べる美優先輩の横顔を見ながらそう思うのであった。




特別編4 おわり

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