第18話『さあ、練習の成果を見せましょう。』
男女ともに準備運動が終わったので、俺は加藤と一緒に風花と橋本さんのところに向かって歩き始める。すると、同じことを考えているのか、彼女達もこちらに向かって歩いてきた。
「潤、桐生君。男子も自由時間なの?」
「ああ、そうだ。先生から女子も自由時間だって聞いたし、せっかくだから奏と姫宮と一緒に遊びたいと思ってさ」
「いいね! じゃあ、4人で遊ぼうか! きっと、来週からは男女別々で授業するだろうからね」
「そうだね! でも、由弦が今、どれだけ泳げるかどうか確認したいなぁ」
ニヤリと笑みを浮かべ、俺を見てくる風花。俺がまた泳げなくなっていると思っているのかな。
「ゴールデンウィークの旅行中に、姫宮が桐生に教えたんだよな。桐生曰く、クロールはもちろんのこと、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライも25m泳げるようになったそうだけど」
「うん。ただ、あれから1ヶ月以上経っているし、もし泳げなくなっていたら、また教えたいと思って」
「助かるよ、風花」
自由時間だから遊んでもいいのに、泳ぐのが苦手な俺のことを気に掛けてくれるなんて。涙出そう。
「ねえ、風花ちゃん。桐生君がどれだけ泳げているのかスマホで撮影しない? 先輩達は授業に動画撮っていたし」
「それいいね! 見せたら、きっと先輩方も喜ぶと思う! 由弦、撮ってもいい?」
「ああ、いいよ。男女ともに自由時間だし、先生に許可をもらえたら撮影するか。今、俺がどれだけ泳げているのか先輩方にも見せたいし。特に美優先輩は喜びそうだ」
「分かった! じゃあ、先生に許可を取ってくるね!」
風花は橋本さんと一緒に、女子の体育担当の教師のところへ向かう。果たして、動画撮影の許可が下りるのか。撮りたい内容が男子の俺が泳いでいる様子だから、許可してくれそうな気がするけど。
そんなことを考えていると、風花は右手でサムズアップ、橋本さんは両手で『○』の形を作る。どうやら、撮影許可が下りたようだ。2人はプールサイドを後にする。
「撮影できるみたいだな。でも、緊張しないか?」
「泳ぎ始めたら関係ないと思う。それに、今もちゃんと泳げるかどうかが気になって、スマホのレンズなんて気にならないよ」
「なるほどな。姫宮のおかげで泳げるようになったそうだけど、無理はするなよ」
加藤に背中をポンと叩かれる。そのことで、泳げるかどうかが不安な気持ちがちょっと紛れた。あと、何人かの女子達がチラチラとこちらを見ながら楽しげに喋っているな。まったく、何が楽しくて俺達のことを見ているのだろうか。
プールを見ると、半分のエリアだけ横方向にコースロープが張られている。自由時間だからかな。あと、旅行のときに、学校のプール縦50m、横25mだから授業では横方向にプールを使うと風花が言っていた気がする。
コースロープの張られていないエリアで遊んでいる生徒が多く、ロープで貼られているエリアで泳いでいる生徒は少ない。これなら、泳いでいる俺の撮影もできるだろう。
3分ほどして、風花と橋本さんが戻ってきた。橋本さんの手にはスマートフォンが。
「お待たせ。潤、桐生君」
「お待たせ! 撮影は奏がするね。あたしは由弦に何かあったとき、すぐにプールに入るから」
「分かった」
「桐生。端のコースが空いているから、そこで泳ごうぜ。あそこなら奏も撮影しやすいだろう?」
「そうだね、潤」
「じゃあ、端のコースで泳ごう」
俺は端のコースからプールに入り、側壁の側に立つ。泳ぐ前に少しでも水に慣れるために一度、プールに潜った。……温くもなく、冷たくもなくちょうどいい温度だ。
プールから顔を出すと、風花、加藤、橋本さんが俺のことを見下ろしていた。橋本さんはスマホを俺の方に向けている。
「桐生君、泳ぐ前に一言ちょうだい」
「そうだな……ゴールデンウィークに風花に泳ぎ方のコツを教わったので、これから泳いでみたいと思います。風花、プールの横方向の長さは25mなんだよね?」
「そうだよ。だから、練習したホテルのプールの長さと同じだね。だから、目標はどんなに遅くてもいいから、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライそれぞれ25m泳ぐことにしようか。少なくともクロールは25m泳ごう! 由弦なら、練習通りにやれば泳げると思うよ!」
「先生とかコーチみたいだな、姫宮。さすがは水泳部」
「えへへっ……」
加藤に褒められて照れている様子……ちゃんと橋本さんに撮られているよ、風花。それに気付いた風花が更に照れた様子になるのが可愛らしい。あと、先生やコーチみたいという加藤の言葉には納得だ。
泳ぎやすいように、俺は水中メガネを装着する。
「まずはクロール25mいきます!」
「頑張れ、桐生!」
「桐生君、頑張って!」
「じゃあ、あたしがスタートって言ったら泳ぎ始めてね! よーい、スタート!」
風花による合図で、俺はクロールを泳ぎ始める。
蹴伸びをし、ある程度進んでから、クロールで泳いでいく。
息継ぎをする度に、風花達の「頑張れ!」という声が聞こえてくるな。あと風花は「その調子!」「手脚の動きいいよ!」とも言ってくれる。
ゴールデンウィークに風花から教えてもらったコツは、脚はお尻から、手は肩から動かすこと。それを体で覚えるため、旅行では風花と美優先輩がサポートしてくれたっけ。
手脚の動きは旅行に帰ってきてからも、定期的に家で確認してきた。たまに、美優先輩にクスクス笑われたけれど。
あと、スイスイと泳げるイメージトレーニングもした。風花と美優先輩のおかげで、旅行中はスイスイ泳げたのでイメージしやすかったな。
色々なことを思い出しながら泳いだからか、あっという間に25mを泳ぐことができた。
正面にある壁にタッチをして、水中メガネを外すと、そこには嬉しそうな様子で俺を見つめる風花に拍手をする加藤、右手でサムズアップをする橋本さんの姿があった。そんな彼らの姿を見て、25m泳げたことの達成感と喜びを抱くことができた。俺は3人と右手でハイタッチをする。
「由弦、やったじゃない! ゴールデンウィークに練習したこと、ちゃんと覚えていたね。手脚の動き、凄く良かったよ」
「風花の教え方が分かりやすかったからね。あとは、前にも話したかもしれないけど、旅行から帰ってきてからも家でフォームの確認をしたり、イメージトレーニングをしたりしたし」
「そんなトレーニングもあってか、スムーズに泳いでいたぞ、桐生。フォームも綺麗だったし。今まであんまり泳げなかったのが嘘みたいだ」
「潤の言う通りね。かっこよかったよ、桐生君」
「ありがとう、橋本さん」
「あと、さすがは水泳部だね、風花ちゃん。教え方が……って、風花ちゃん?」
橋本さんがそう言うので風花の方を見ると、風花は涙ぐんでいた。両眼に浮かんだ涙を右手で拭うと、風花はいつもの明るい笑顔を浮かべる。
「いやぁ……旅行では、あまり泳げない姿を見ていたからさ。何だか感動しちゃって。好きな人の悩みが、これで少しは晴れたのかなって思うと嬉しくてね」
「それは風花のおかげだよ。本当にありがとう」
「……いえいえ」
風花がそう返事をすると、橋本さんは右手で風花の頭を優しく撫でる。
風花の涙を見せられ、想いを言葉にしてくれると俺まで感動的な気分になってくる。クロールをちゃんと泳げるようになって良かった。
「あと、美優先輩のサポートのおかげでもあるな」
「じゃあ、こっちに向かって美優先輩に感謝の気持ちを伝えようよ、桐生君。撮影中だし、昼休みに見せるつもりだから」
「そっか。……美優先輩、サポートしてくれてありがとうございます。まず、クロールは25mをちゃんと泳ぐことができました」
「うん! きっと、美優先輩も喜ぶと思うよ」
橋本さんに撮ってもらったけれど、風花へのように美優先輩にもちゃんとお礼を直接言おう。
その後、中学時代はクルクルその場を回るだけだった背泳ぎ、どんなに頑張っても10mしか泳げなかったバタフライも25mをちゃんと泳ぐことができた。
あと、橋本さんが撮影しているからか、泳いでいく度にギャラリーが増え、俺達のクラスの体育を担当する2人の先生までも見守ってくれることに。
最後に、平泳ぎも何とか25mを泳ぐことができた。他の3つの泳ぎ方に比べるとかなり遅くなってしまったけど。泳ぎ終わると、周りから拍手と「頑張った」「よく泳ぎ切ったな」などという声が聞こえた。あと、他の泳ぎと比べて、泳いでいる間はたくさん「頑張れ」と言われたな。
「風花、加藤、橋本さん、平泳ぎも25m泳げたよ。かなり時間がかかったけれど」
水中メガネを外して3人のことを見ると、3人とも笑顔は見せてくれるけれど、それまでと比べて硬いように見えた。時間がかかっちゃったからかな。
「一度も脚をつかずに、25mを泳げていたな、桐生君」
「かなーりゆっくりだったけど、平泳ぎで25m泳げていたね。風花ちゃんはどう思った?」
「フォームの綺麗な平泳ぎだったよ。手脚の動きもちゃんとしてた。ただ、泳いだのがゴールデンウィーク以来だったからか、かなりゆっくりだったね。それなのに、よく一度も脚をつかずに泳げたなって思う。しかも、クロールと背泳ぎ、バタフライを泳いだ後だったのに。奇跡って言ってもいいくらいだよ」
奇跡って。とても遅かったから、途中で脚がついちゃうと思ったのかな。去年まで平泳ぎは10mがせいぜいだったので、25m泳げたのは確かに奇跡か。
「背泳ぎやバタフライは普通の速さだったし、きっと、これからの授業で泳いでいけば、平泳ぎも速く泳げるようになるんじゃないかな」
「そうだといいな。ただ、手脚の動きがいいって言ってくれて良かったよ。安心した」
25m泳ぐまでかなり時間がかかったから、手脚の動きが間違っていたのかと思っていたけど。1ヶ月以上泳いでいなかったのが影響したんだろうな。
「……桐生」
「何ですか? 先生」
俺が返事をすると、男子の体育を担当する先生が俺の右肩に手を置き、
「これは競技じゃなくて授業だ。どんなにゆっくり泳いでも、泳げた距離を先生はちゃんと評価するからな。もし、今日より遅くなっても気落ちする必要はない。今の平泳ぎはみんなに勇気を与えられる泳ぎだ。桐生が泳いでいるときに加藤達から聞いたが、中学まではあまり泳げなかったそうじゃないか。その意欲については、ちゃんと成績に考慮するからな」
「あ、ありがとうございます」
俺がそう言うと、体育の先生は真剣な様子で俺を見つめ、頷いてくれる。
先生は今の俺の泳ぎを見て褒めてくれたんだろうけど……なぜだろう。そこまで褒められた感じがしない。気のせいかな? きっと気のせいだろう。そう思っておいた方が幸せになれる気がする。
「これで撮影は終わりだね」
「ありがとう、奏。そして、お疲れ様、由弦」
「お疲れさん、桐生」
「平泳ぎはゆっくりだったけど、どの泳ぎ方でも25m泳げたね」
「ああ。学校のプールでこんなにたくさん泳げたのは初めてだよ。何度も言っているけれど、風花の指導と美優先輩のサポートのおかげだ。あとは加藤や橋本さんとか、みんなが俺のことを応援してくれたおかげだよ。ありがとう」
俺がそう言うと、風花、加藤、橋本さんなど多くのクラスメイトと先生方が俺に拍手を送ってくれた。こんなに多くの人から拍手される展開になるとは思わなかったな。
今回、どの泳ぎ方でも25m泳げたことに慢心せず、これからの水泳の授業を通して泳ぐ練習をちゃんとしていこう。
まだ時間があるので、ビート板などを使って風花達と一緒にプールで遊ぶのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます