第4話『霧嶋姉妹』

「まったく、お姉ちゃんはもう……」

「……反省してます。少しずつになってしまうかもしれないけど、改善していきます……」


 15分ほど妹の二葉さんに叱られ続けたことが堪えたのか、霧嶋先生は弱々しい声で言う。

 今の霧嶋先生には、学校でのクールでしっかりとした面影が全く感じられない。加藤とか橋本さんとか、学校での先生しか知らない生徒が今の先生を見たら、きっと驚いてしまうだろう。


「えっと……二葉さん。これでも、ゴミについては少しずつ改善されているんです」

「そうなのですか? あなたは確か……白鳥美優さんですね。あけぼの荘というアパートの管理人をされていると姉から聞きました」

「そうです。陽出学院高校2年の白鳥美優といいます。初めまして。実は2ヶ月近く前に初めてここに来たんです。そのときも……部屋が汚れておりまして。先生は掃除や片付けが苦手だと聞きましたので、定期的にここに来てお部屋のチェックをしているんです。今日は土曜日で、ゴールデンウィークを最後に行けてなかったので、久しぶりにここに来たんです」

「そんないきさつだったのですね。姉のためにありがとうございます」


 二葉さんは美優先輩にはもちろんのこと、俺達に対しても深く頭を下げてくれた。


「最初はゴミが凄かったんです。でも、分別をしたり、定期的にゴミ出しをしたりするようになったんですよ。ゴミ出しはたまに忘れるそうですが。今日も二葉さんが来るからと、部屋にあるゴミはちゃんと拾い集めたんです。私達が来たときには、ゴミがほとんどなくなっていました。これは確かな成長だと思います。そうだよね、由弦君、風花ちゃん」

「そうですね。美優先輩の言う通り、ゴミについては改善されてきているかと」

「あたしも同意見です」

「なので、そこは覚えておいてもらえると嬉しいです」

「あなた達……」


 霧嶋先生……潤ませた目で俺達のことを見ている。妹に説教されたことについて、教え子達にフォローされる展開になるとは。しかも、その内容は日々の生活習慣。教師として、一人の大人としてダメだな。


「……そうでしたか。白鳥さん達の話も聞いてから叱るべきことを叱るべきでした。キツく叱ってしまってごめんなさい、お姉ちゃん」

「……ううん、気にしないで。悪いのは掃除や片付けなどを怠った私なんだし。でも、二葉からこんなにもキツく叱られるの、初めてだった。……二葉、お姉ちゃんのこと嫌いになっちゃった?」


 お酒で酔ったとき以上の可愛い声で霧嶋先生はそう言う。二葉さんを見つめる目からは涙がこぼれ落ちる。

 はああっ……と二葉さんは一度、長く息を吐く。


「嫌いになるわけがないでしょう。むしろ、お姉ちゃんが大好きだからこそ叱るんです。さっき、お姉ちゃんが言ったように、少しずつでいいので改善していってくださいね。あたしも、定期的にここに来ますから」

「……うんっ!」


 霧嶋先生は嬉しそうな様子で二葉さんを抱きしめた。二葉さんを自慢の妹だと言ったくらいだ。そんな二葉さんから大好きだと言われて、とても嬉しいのだろう。


「まったく、お姉ちゃんったら」


 抱きしめられたことで怒りが収まったのか、二葉さんは優しげな笑顔を浮かべて霧嶋先生の頭を撫でる。まったく、どっちが本当の姉なんだか。あと、優しい表情になると、美優先輩と似た雰囲気になるな。


「こんな姉ですが、これからもよろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ。私達も定期的にここに来ますね。ここが好きですし」

「ありがとうございます。……ほら、お姉ちゃんもみなさんにお礼を言いましょうね」


 二葉さんがそう言うと、霧嶋先生は彼女への抱擁を解き、涙を拭いながら俺達の方を見る。


「……ありがとう、みんな」


 依然として可愛らしい声で言ってくるので、まるで子供からお礼を言われたような感覚になるな。今の霧嶋先生、凄く可愛い。俺と同じようなことを思ったのか、3人とも優しい笑顔を浮かべている。

 よく言えました、と二葉さんは霧嶋先生の頭をポンポンと叩く。二葉さんが自分よりも大きな体の娘を持つ母親に見えてきた。


「ごめんなさい、挨拶と自己紹介が遅れてしまいましたね。初めまして、霧嶋一佳の妹の霧嶋二葉といいます。二橋ふたつばし大学法学部法律学科の2年です」

「初めまして、桐生由弦といいます。陽出学院高校の1年で、霧嶋先生が担当するクラスにいます。彼女……姫宮風花とクラスメイトです。霧嶋先生から聞いているかもしれませんが、こちらの美優先輩と付き合っていて、一緒に住んでいます」

「同棲しているのはお姉ちゃんから聞きました。とても仲が良くて、旅行中も仲睦まじかったと聞いてキュンキュンしました!」


 今言った言葉が本当であると証明するかのように、二葉さんは頬を赤くしている。あと、年下の俺にも敬語で話すのか。誰に対しても敬語で話すのかな。

 あと、キュンキュンしたと言われたからか、美優先輩は照れくさそうにしている。


「初めまして、姫宮風花です! 由弦のクラスメイトで、水泳部に入っています! 由弦と美優先輩の隣の部屋に住んでいます。宜しくお願いします」

「こちらこそ。クラスメイトや先輩が隣に住んでいるといいですよね。旅行でも屋内プールを一番楽しんでいたと言っていました」

「泳ぐのは大好きなので!」

「ふふっ。そちらのツーサイドアップの子は花柳瑠衣さんでしたっけ」

「はい。花柳瑠衣です、初めまして。美優と同じ高校2年生で、彼女とは2年間同じクラスです。あと、美優と桐生君とは料理部で一緒に活動しています。霧嶋先生とは去年、現代文の授業でお世話になりました」

「そうですか。花柳さんのことは……たまに自分をからかうけれど、根はいい子だと言っていましたね」

「まあ……当たっているんじゃないでしょうか」


 思い返してみれば、花柳先輩は霧嶋先生のことをからかうことは多いかな。ただ、ゴールデンウィークの旅行を通じて仲良くなった印象はある。ホテルの屋内プールに設置されたウォータースライダーを何度も一緒に滑っていたし。


「二葉さんの通っている二橋大学って、学部は文系だけですけど、関東有数の国立大学じゃないですか。しかも、法学部は看板の学部ですし。凄いですよ」

「でしょう? 二葉は大学生になっても成績がいいし、本当に自慢の妹なの」


 花柳先輩に自慢の妹が褒められたからか、いつもの霧嶋先生に戻ったな。両手を腰に当ててドヤ顔になっているのが可愛らしい。


「確か、二橋大学って伯分寺からだと結構近いですよね?」

「ええ。夕立駅が最寄り駅ですね。伯分寺駅からだと、八神方面に2つ隣にあるところです」


 夕立駅が最寄り駅ってことは、大宮先生が住んでいるマンションの近所に二橋大学があるのか。

 さすがは地元の人だけあって、花柳先輩は東京にある大学についてよく知っているんだな。俺なんて二橋大学って聞いても、国公立大学であることと、そこの大学出身の芸能人がいたな……くらいしか思い浮かばない。


「埼玉の実家から通っています。武蔵原線という路線で、隣の西伯分寺駅まで行って、そこから東京中央線に乗り換えて一つ隣にある夕立駅に行くんです。なので、大学に入学してから、たまにお姉ちゃんの家に行くようになりました。2年生になってからは、サークルなどもあって、今回が初めてですけど」

「そうね。最後に来たのは3月下旬だったかしら」

「そうでしたね。ですから、ゴールデンウィーク明けに、お土産を持って帰ってきてくれたのは嬉しかったですよ。特に温泉饅頭はお父さんもお母さんも喜んでいました」

「……それを知って私も嬉しいわ。あと、今日は来てくれてありがとう。これからもお姉ちゃんの家に遊びに来なさいね」

「うん!」


 嬉しそうに返事をする二葉さんに、霧嶋先生は優しく微笑みながら頭を撫でる。その光景からして、きっと2人は小さい頃から仲が良くて、お互いのことが好きなのだろうと分かった。


「まずは片付けと掃除ですね。お姉ちゃん、私は何を手伝えばいいでしょう?」

「そうね……部屋の片付けと掃除は姫宮さんと花柳さんと私でやっているし、洗濯は白鳥さんがやってくれているから、キッチンの掃除がいいと思うのだけれど。それも掃除が得意な桐生君がしてくれているけれど。白鳥さん、どうかしら?」

「それがいいですね。2人くらいならキッチンで一緒に立っても大丈夫ですし。私もあとは干すだけです。手伝ってほしいときには、部屋担当の3人の誰かに頼みます。ですから、二葉さんは由弦君と一緒にキッチンをお願いできますか?」

「分かりました。よろしくお願いします、由弦さん」


 そう言う二葉さんの笑顔は可愛らしくて。それに、少し年上の女性から「由弦さん」と呼ばれることは全然ないので、ちょっとドキッとしてしまう。


「よろしくお願いします、二葉さん。では、掃除と片付けを再開しましょうか」

『はーい!』


 みんな元気に返事して、それぞれの担当場所に散らばっていく。俺は二葉さんと一緒にキッチン掃除を始めるのであった。

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