第5話『肩揉みジェラシー』

 調理器具は既に洗い終わっていたので、食器洗いを二葉さんにお願いし、俺はコンロや換気扇の掃除をすることにした。二葉さんと隣同士に立っているので、二葉さんと話しながら楽しく掃除できている。


「二葉さんは大学ではスイーツサークルに入っているんですね」

「はい。あたしと同じ法学部の子もいれば、文学部や経済学部の子もいまして。学年や学部の垣根を越えた交流ができて楽しいです。女子の学生がたくさんいますし」

「そうですか。俺は高校生になって初めて部活に入りましたけど、縦の繋がりができるのはいいなって思います。料理部ですから、こっちも女子ばかりですが。男子部員は俺しかいなくて」

「そうなのですか。寂しくはありませんか?」

「最初は1人か2人くらいは男子がいた方がいいと思っていました。ただ、美優先輩や花柳先輩もいますし、仕事が早く終われば霧嶋先生も来てくれますから。楽しく活動できています」

「それなら良かったです」


 ふふっ、と穏やかに笑いながら食器を洗う二葉さん。

 こうして、二葉さんを近くで見てみると、背が高いことや整った顔立ちとかがお姉さんの霧嶋先生に似ている。さすがは姉妹。ただ、先生よりも柔らかな雰囲気が感じられる。なので、美優先輩がおさげの髪型にしたら、二葉さんに似ているのかなと思った。


「学校での姉はどうですか? 今まで、陽出学院の生徒さんや職員の方とこうして直接お話ししたことがなくて。陽出学院に通う妹さんのいる友人から、教え方が上手で、クールでかっこいい先生だと聞いたことはあるんですけど。本人も、授業も文芸部の顧問も頑張っていると言っていますが」

「俺はいい先生だと思っていますよ。現代文と古典を教えてもらっていますが、分かりやすいですし、質問すると丁寧に教えてくれます。文芸部の方は見学だけ行きましたけど、部員から慕われているようでしたし。俺の知る限りでは、学校関連のことはちゃんとやっていると思います」

「そうですか。教え子の方からそう言ってもらえて、安心しました」


 二葉さんはほっと胸を撫で下ろす。


「昔から、お姉ちゃんは勉強がよくできて、あたしの分からないところも分かりやすく教えてくれて。ただ、不器用な部分もあるので、学校で迷惑を掛けていないかと思いまして」

「そういうことでしたか。……最初はクールで、真面目で、授業もしっかり教える完璧な人だと思っていました。ただ、猫を触るのに緊張したり、料理部に来て調理をしたら上手くできなかったり、掃除や後片付けが苦手だったり。先生にもできないことや苦手なことがあるんだと分かって、可愛い人だと思えるようになりました。もちろん、片付けなど改善した方がいい部分はありますが。高校に入学して、担任が霧嶋先生で良かったと思います」

「あたしも一佳先生が担任で良かったですよ!」


 キッチンの近くにいた風花が、明るい笑顔でそう答えた。俺達の会話が聞こえていたのか、美優先輩と花柳先輩は穏やかな笑みを浮かべながら自分の担当する作業をしている。これがみんなの霧嶋先生に対する評価なのだろう。

 そして、当の本人である霧嶋先生は……本棚の近くで黙々と本の整理をしている。ただ、そんな先生の耳は真っ赤になっていた。……あっ、持っている本が床に落ちた。本人の聞こえるところで色々と話し過ぎちゃったかな。


「……よし、これで換気扇も綺麗になりましたね」

「お疲れ様です。そういった高い場所まで掃除をするところを見ると、かっこいいと思いますね。お家でもやるんですか?」

「はい。背も高いので、台所を含めて高いところは俺担当です。実家にいた頃から、父とよく高いところを掃除してました。料理やスイーツ作りが好きなので、キッチンの掃除は母とよくやっていましたね」


 雫姉さんと心愛は、作るのに疲れたからと後片付けや掃除をしないときがあったな。


「偉いですね。お姉ちゃんも由弦さんを素敵な人だと言っていましたし、あなたと付き合っている美優さんが羨ましいです。お姉ちゃんが見せてくれた旅行の写真に、2人が仲良く写っていましたから。写真の美優さんの顔、とても素敵で。あたしも誰かと交際したらそんな笑顔になれるのかなって。実は、交際経験が全くないんです」

「そうなんですか? 意外ですね。優しくて、柔らかい雰囲気を持っていて、声も可愛らしくて。叱るときはちゃんと叱ることができて。素敵な方だなって思います」

「……そ、そうですか? て、照れてしまいますね」


 頬を赤くし「ふふっ」と声に出して笑う二葉さん。洗った食器をふきんでテキパキと拭いている。神業じゃないかと思えるほどの速さだ。凄く速いのに、ちゃんと水を拭き取ることができているな。


「はい! これで終わりですね!」

「お疲れ様でした。素晴らしい手つきでした」

「ありがとう。……全力で拭いたからか、肩凝ってきちゃいました。あたし、小学校の高学年くらいから肩凝りが悩みで。年々酷くなって。お姉ちゃんが実家にいた頃は、お姉ちゃんによく揉んでもらっていました」

「そうだったんですね」


 小学校の高学年くらいから肩凝りに悩まされているのか。おそらく、肩凝りの理由は胸だろうな。

 いたたっ、と二葉さんは苦笑いをしながら自分の肩を揉んでいる。その姿は美優先輩と重なっていた。


「……俺で良ければ、肩を揉みましょうか?」

「い、いいんですか?」

「ええ。実は美優先輩も肩凝りが悩みで、定期的に揉んでいるんです。あと……俺には二葉さんと同い年の姉がいまして。姉も肩が凝るのが悩みなので、俺がよく揉んでいたんです」

「そうなんですね。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね。……あっ、でも、晴れている中、駅からここまで歩いてきましたし、食器も全力で拭いたので……に、匂いが……」


 頬を赤くしながら俺をチラチラと見てくる二葉さん。その姿も美優先輩と似ていて。昨日、学校から帰ってきて、冬服納めをしたときのことを思い出す。


「……ついさっきまで食器を洗っていたので、洗剤のマスカットの香りを今もはっきりと感じます。なので、大丈夫ですよ」

「……そうですか。じゃあ、お願いしますね」

「ええ」


 洗剤のマスカットの甘い香りがするのも事実。ただ、本当はその香りの中に、俺の知らない甘い匂いが混ざっていて。二葉さんの背後に立つと、その甘い匂いを強く感じるようになった。


「ゆ、由弦さんなら大丈夫だと思いますが……胸とかお尻などを触るのはダメですよ! 触り方が酷かったり、嫌だと言っても止めなかったりしたら通報します。そうしたら、現行犯逮捕ですね。強制わいせつ罪などで起訴されるかもしれません」

「……二葉さんが嫌がることをしないよう気を付けます」


 さすがは法学部の学生さん。通報、逮捕、起訴という言葉をさらりと言ってくる。肩揉みするのが怖くなってきたぞ。

 緊張する中、二葉さんの両肩に手を乗せると、彼女は体をビクッと震わせた。姉の教え子とはいえ、今日出会った男性に肩を触れられたんだ。きっと、二葉さんも緊張しているんだろう。

 とりあえず、普段、美優先輩にしているような感じで肩を揉み始める。


「あっ……」

「痛かったですか?」


 俺がそう言うと、二葉さんはすぐに首を横に振った。ゆっくりと俺の方に振り返り、


「いいえ、とても気持ち良くてつい声が漏れちゃいました。ちょっと恥ずかしいですね」


 と、はにかみながら言った。


「じゃあ、この調子で揉んでいきますね」

「分かりました」


 それからも二葉さんの肩を揉んでいく。肩凝りが悩みで、さっきまで高速で食器を拭いていたからか、結構凝っているな。


「本当に気持ちいいですね。お姉ちゃんも上手ですけど、由弦さんはそれ以上かも」

「嬉しいお言葉です」

「……でも、恋人のいる方に肩を揉んでもらうと、何だか悪い気がしてきますね。しかも、すぐ近くで頬を膨らませながら、こっちを見ていますし」

「えっ」


 正面を向くと、ダイニングキッチンのすぐ目の前で、美優先輩が俺達のことを見ていた。そんな先輩の姿を見て、二葉さんの肩揉みを止める。

 二葉さんの言う通り、美優先輩は頬を膨らませており不機嫌そうな様子だ。美優先輩がここまで不快感を露わにするのは珍しい。だからか、風花も花柳先輩も霧嶋先生も、戸惑った様子で先輩をチラチラと見ている。

 きっと、二葉さんの肩を揉んだことに嫉妬しているんだろうな。もしかしたら、キッチンで掃除をしながら楽しく話していることにも。


「……肩が凝ったと二葉さんが言ったので、彼女の肩を揉んでいました」

「由弦さんの言う通りです。あたし、肩が凝りやすいのが悩みで。その……ごめんなさい」


 二葉さんは美優先輩に深く頭を下げる。その後すぐに俺も先輩に「ごめんなさい」と言って頭を下げた。


「特に謝ることではありません。その……二葉さんが由弦君と楽しそうに話していて、肩を揉んでもらっていたので……し、嫉妬してしまって」


 やっぱりそうだったか。気持ちを吐露したからか、美優先輩が再び頬を膨らますことはしない。

 俺は二葉さんの肩から手を離した。


「由弦君が話していましたけど、私も同じ悩みを持っていますから。由弦君の肩揉みは凄く気持ちいいですよね。……由弦君」

「は、はい!」


 今の美優先輩に名前を呼ばれると、背筋がピンと伸びる。


「……二葉さんの後に私の肩も揉んでね。一佳先生の洗濯物を全部干したから、私も肩が凝っちゃって。いつもよりたくさん揉んでくれると嬉しいな」

「分かりました。あと、洗濯お疲れ様でした」


 俺がそう言うと、美優先輩はようやく微笑み、俺に対して一度頷いてくれる。


「うん。……あと、揉み始めたんだから、責任を持って二葉さんがスッキリするまで肩を揉みなさい。由弦君の肩揉みの技術は確かなんだから」

「分かりました」


 何だか美優先輩らしい言葉だなと思う。

 美優先輩は再び頷くと、テーブルの近くに置いてあった空の洗濯カゴを持って、洗面所の方へと歩いて行った。そんな美優先輩を見て、風花達はほっとした様子に。


「ごめんなさい。肩が凝ったってあたしが言ってしまいましたから。こういうとき、あたしは何の罪に問われるのでしょうかね」

「二葉さんは何の罪にも問われませんよ。肩を揉むことになったのは、俺が肩揉みするかと言ったことが始まりですから。ただ、俺の肩揉みを気持ちいいと笑顔で言ってくれたのは嬉しかったです。美優先輩も言っていましたが、二葉さんの肩がスッキリするまで揉ませてください。肩がスッキリすれば、気分もスッキリすると思いますから」


 それに、一度始めたことだ。ちゃんと最後までやり遂げたい気持ちもある。

 二葉さんは優しい笑顔を浮かべて、俺に頷き、


「お願いします、由弦さん」


 と言って部屋の方を向いた。

 俺は再び二葉さんの肩を揉み始める。


「本当に気持ちいいです。美優さんは定期的にこうしてもらっているんですよね。本当に美優さんが羨ましい……」


 二葉さんがそう言ってくれることが、とても嬉しくて誇らしく思えた。

 あと、二葉さんの両耳が赤くなっているので、姉妹だなぁと思うのであった。

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