第3話『妹がくる』

 あけぼの荘の入口で風花と花柳先輩と待ち合わせし、俺達は4人で霧嶋先生の自宅のあるマンションに向かって歩き始める。あけぼの荘からは歩いて20分くらいのところにある。


「今日から夏になっただけあって、なかなか暑いわね……」

「プール日和ですよね! 高校のプールは屋内ですから一年中入れますけど、夏が一番気持ちいいですし。なので、夏が一番好きな季節ですっ!」


 暑いからげんなりとしている花柳先輩とは対照的に、風花はとても元気だ。

 水泳少女の風花は夏が一番好きなのか。夏休みに実家の近くにある海に入ると気持ち良かったから、風花の言うことが分かるな。風花はノースリーブの襟付きブラウス、花柳先輩は肩開きの半袖のTシャツを着ていて夏らしい装いだ。

 今はよく晴れており、花柳先輩の言うように陽差しも強い。ただ、幸いにも空気はあまり蒸しておらず、たまに吹く穏やかな風が気持ち良く感じられる。夏本番の時期になっても、このくらいの気候であってほしいな。


「あたし、一佳先生の家に行くのは初めてだけど、どんな感じの部屋なの?」

「瑠衣先輩は初めてですか。そうですね……掃除をすれば広い部屋です」

「ははっ」


 風花の言ったことに、思わず声に出して笑ってしまった。

 これまで2回、霧嶋先生の家に行ったけど、掃除をする前は衣服や物が床に落ちていて、足の踏み場があまりなかったな。だから、広い部屋だとは思えなくて。ただ、片付けと掃除をしたら、一人暮らしするには広い部屋になった。


「風花ちゃんの言う通りかも。掃除すると、部屋の中がゆったりとするからね」

「そうなの。……一佳先生の家に行くの、ちょっと怖くなってきたわ」

「驚くかもしれないけど、怖がる心配は無いよ。それに、妹の二葉さんが遊びに来るから、先生なりに掃除や片付けをしているそうだし」

「そっか。まあ、実際に行ってみないと分からないよね。それに美優達も一緒だし。久しぶりに美優のポニーテール姿を見て元気をもらったから、何とかなると思う」

「ポニーテール姿の美優先輩、本当に可愛いですよね!」


 花柳先輩と風花は盛り上がる。

 風花はポニーテール姿の美優先輩を見るのが初めてだからか、花柳先輩が来るまでの間にスマホで何枚も写真を撮影していたな。

 そんなことを思い返していると、風花は美優先輩のポニーテール部分を触る。


「きゃっ、誰か髪触ってる?」

「あたしです。揺れてるポニーテールを見たら触りたくなっちゃって。驚かせてしまってごめんなさい」

「ううん、いいんだよ。そういえば、去年、初めてポニーテールにしたときは瑠衣ちゃんに何度も触られたっけ。そのときは顔を左右に振って、揺れたポニーテールで顔を叩いてほしいって言われて」

「だって、美優の髪、柔らかくていい匂いがするんだもん」


 楽しげに話す花柳先輩。

 ポニーテール部分を触っただけじゃなく、顔を叩いてもらっただと? ポニーテール姿の美優先輩に見惚れて、そんなことは全然思いつかなかった。さすがは花柳先輩だ。


「美優先輩! あたしの顔もポニーテールで叩いてください!」

「あたしにもやって~」

「はいはい」


 美優先輩は首を左右に振って、後ろにいる風花と花柳先輩の顔をポニーテールで叩く。そのことで2人はとても幸せそうだ。……家に帰って、2人きりになったら俺もやってもらおうかな。

 3人と一緒だったから、気付けば霧嶋先生の住んでいるマンションが見えていた。ここに来るのは3度目だけど、このマンションの高さには圧倒されるな。


「高層マンションかぁ。一佳先生の部屋って何階にあるの?」

「11階だよ。1111号室」

「一佳先生らしい部屋番号だね。そっか、一佳先生の部屋番号、1しかないのか……」

「あははっ!」


 風花、ツボにハマったのか、大きな声を出して笑っている。笑わせるつもりはなかったのか、そんな風花に花柳先輩は驚いていた。

 エントランスに到着し、美優先輩がインターホンを操作して1111号室に呼び出す。


『あら、白鳥さん。来てくれたのね。今日は普段と違う髪型なのね』

「今日は晴れて暑くなるみたいですから。気分転換も兼ねて」

『そうなの。去年の夏休み前もそんな髪型をしていたかも。桐生君が一緒だとは思ったけど、姫宮さんや花柳さんまで一緒だなんて』

「人が多い方が片付けや掃除が早く終わると思いまして。あと、2人とも二葉さんに会ってみたいそうです」

『なるほど。来てくれてありがとう。部屋で待っているわ』


 霧嶋先生がそう言った直後、マンションの入口が開いた。

 俺達はマンションの中に入り、霧嶋先生の部屋である1111号室に向かう。その間、キョロキョロと周りを見る花柳先輩が可愛らしかった。

 1111号室の前に到着し、美優先輩がインターホンを鳴らす。

 すぐに玄関の扉が開き、中からは赤いジャージ姿の霧嶋先生が。先生も髪型が普段のポニーテールと違って、ストレートになっている。あと、冷房をかけているのか、中から涼しい空気が。


「みんな、いらっしゃい」

「おはようございます、一佳先生」

「今日は風花と花柳先輩も連れてきました」

「二葉さんと会えるのが楽しみです!」

「あたしはここに来るのは初めてです。素敵なマンションに暮らしているんですね。あと……休日はいつも、そのような格好をしているんですか?」

「何も予定がない日や、近所にあるスーパーに行くくらいしか用事がない日はジャージが多いわね。髪も下ろしてるの」

「そうなんですか。学校ではスーツを着ていますし、ゴールデンウィークに美優の家で会ったり、旅行に行ったりしたときはオシャレな服を着ていたので意外です」

「さすがに出かけるときは服を考えるけど、家にいるときはジャージね。楽だから」

「なるほど」


 花柳先輩は納得した様子で頷いている。学校だけじゃなくて、プライベートでの霧嶋先生を見ているから、今みたいな反応になったのかも。

 俺達は霧嶋先生の家にお邪魔する。

 すると、玄関の近くに、膨らんだゴミ袋が2つある。ゴミ捨てをサボったからなのか。それとも、二葉さんが来るから頑張ってゴミを集めたからなのか。……後者だと思っておこう。

 部屋に入ると、テーブルやデスクの上には書籍が積まれており、床には衣服などが散らかっていた。ただ、ゴミはあまりない。

 あと、キッチンの方を見ると……あぁ、シンクに汚れた食器や調理器具がたくさん置かれているな。水につけているだけいいけれど。


「風花ちゃんの言うとおりね。ぱっと見、広そうな部屋ですけど、物が散らかっているのですぐにその印象は消えるわ」

「でしょう?」

「姫宮さん、そんなことを言ってたの? まあ、連休が明けて、掃除や片付けを怠ったのは私だから、文句は言えないけど」

「お仕事が始まると疲れますもんね。……見たところ、ゴミはほとんどありませんね。分別したり、定期的にゴミ出ししたりしているんですか?」

「ええ。プラスチックと一般ゴミで分けて。あとは資源ゴミ。でも、たまにゴミ出しを忘れてしまって。今日になって、テーブルや床にあるゴミを集めたら、2つのゴミ袋がいっぱいになってしまったの」

「そうだったんですか。ゴミについては、最初に来た頃に比べると、いくらか改善できていますね。この調子で洗濯や物の整理なども頑張りましょうね」


 微笑みながら、穏やかな口調でそう言う美優先輩。

 以前から思っていたけれど、ここに来ると、美優先輩と霧嶋先生の立場が逆転したように見えるな。髪型が入れ替わっているからか、今日は特にそれを強く感じる。


「じゃあ、この前と同じように、由弦君はキッチン掃除で私は洗濯、3人は部屋の整理と掃除という割り振りにしましょうか。洗濯物を集めるために、最初は私も手伝います」

「……みんな、よろしくお願いします」


 そう言って、霧嶋先生は深く頭を下げた。

 こうして5人で霧嶋先生の家の掃除と片付けが始まった。

 美優先輩の指示通り、俺は1人でキッチンに行き、まずは食器や調理器具を洗っていく。そういえば、俺って霧嶋先生の家に行くと、毎回キッチンの掃除をしているな。いつか、ここでのんびりするだけの時間を過ごす日が来るのだろうか。


「まあ、掃除をするのは好きだからいいけどさ」


 食器と調理器具を水につけてくれていたから、汚れも落としやすいし。ただ放置していただけだったら、さすがに一喝したと思う。


「風花ちゃん。赤いレースの下着があったわ」

「大人っぽい感じがしますね! おっきいなぁ。Eカップかぁ。あたし、こういう大人な下着は持っていないですね。美優先輩なら持っていそうです! どうなんですか?」

「ここまで大人な雰囲気のものは持っていないね。いつかはそういうのを買いたいな。由弦君好きかな……」

「ひ、人の下着を持ちながら色々話さないでくれるかしら? 桐生君! こっちを向いたら、現代文と古典の中間試験の点数を赤点にするから!」

「見ないので安心してください」


 その下着が美優先輩のものだったら、洗っている振りをしてこっそりと見たけど。あと、美優先輩が身につけるなら、赤い下着も好きになると思いますよ。むしろ、見させてください。

 ――ピンポーン!

 おっ、インターホンが鳴ったな。もしかして、妹の二葉さんが来たのだろうか。

 霧嶋先生は部屋の入口近くにあるモニターに向かう。


「はい。……あっ、二葉」

『お姉ちゃん、来ましたよ』


 やっぱり、二葉さんが到着したんだ。あと、二葉さんの声、とても可愛らしいな。二葉さんについて何も知らなかったら、俺と同い年か年下のように思えるほど。


「じゃあ、待っているわ。……みんな、二葉がエントランスまで来たから、もうすぐ会えるわよ」

「楽しみです!」

「写真で顔は分かっているけど、会うのは初めてだからドキドキするわね。美優はどう?」

「私もちょっとドキドキしてる。あと、声が凄く可愛かったよね」


 女子高生3人は、間もなく二葉さんと会えることにワクワクしている様子。それが嬉しいのか、霧嶋先生も学校にいるときと比べると表情が柔らかい。

 俺も先輩方と一緒に写真を見たので、二葉さんの顔は知っている。ただ、モニター越しに声を聞き、もうすぐ会えると思うとドキドキしてくるな。

 ――ピンポーン。

 おっ、さっきとは違うインターホンの音が。二葉さんが玄関の前に来たのかな。

 霧嶋先生は玄関の方へ向かっていく。それから程なくして「はーい」という先生の声と、玄関が開く音が聞こえた。


「いらっしゃい。よく来たわね。電車は混んでなかった? 痴漢はされなかった?」

「土曜日ですから、平日の朝よりも空いていました。好きな音楽を聴きながら快適な時間を過ごしましたよ、お姉ちゃん。それに、万が一、痴漢をされたら、犯人の身柄をその場で拘束して駅員室までお届けし、そのまま現行犯逮捕です。あたしや目撃者の証言、証拠を揃えて必ず有罪にしてみせますよ」


 ふふっ、と可愛い笑い声が聞こえる。二葉さん、可愛らしい声で凄いことを言っているな。さすがは大学で法律を学んでいるだけのことはある。


「お邪魔します。……あれ、たくさん靴がありますね」

「陽出学院の教え子が来ているの。以前、ゴールデンウィークに一緒に旅行に行った子達よ」

「そうなのですか! お土産を持ってきてくれたときに、お姉ちゃんが見せてくれた写真に写っている子達が来ているのですね!」


 その声色からして、二葉さんは俺達にいつか会ってみたいと思っていたのか。


「二葉が来たから、成実さんも呼ぼうかしら。今は教え子達と一緒に部屋の掃除と片付けをしているの」

「……えっ?」


 さっきよりも低い声が聞こえた次の瞬間、ロングスカートに半袖のブラウス姿の女性が部屋の中に入ってきた。おさげにした黒髪と、美優先輩に匹敵する大きな胸が特徴的だ。小さな茶色いショルダーバッグをたすき掛けしている。以前、写真を見てもらったので、この方が二葉さんだとすぐに分かった。

 二葉さんは真剣な様子で部屋やキッチンにいる俺達のことを見てくる。その姿は姉の霧嶋先生と似ているな。美優先輩が「こんにちは」と言ったので、俺、風花、花柳先輩もそれに続いた。そんな俺達に二葉さんは軽く頭を下げる。


「こんにちは。……お姉ちゃん」

「何かしら? 二葉」


 すると、二葉さんは霧嶋先生の肩を掴み、


「いくら仲のいい教え子さんだからとはいえ、自分の部屋を掃除してもらうとは何事ですか! しかも、部屋の中をまたこんなに散らかして! 一佳お姉ちゃん! ベッドの上でいいですから正座しなさい! お説教します!」


 眉間に皺を寄せ、強い口調で霧嶋先生に対してそう言った。

 妹に怒られたのがショックだったのか、霧嶋先生はしょんぼりとした様子。二葉さんの指示通り、ベッドの上で正座をする。

 二葉さんは霧嶋先生に部屋を汚したことと、教え子に掃除や片付けを手伝ってもらっていることについて叱っていく。その間、俺達は掃除や片付けの手を止め、霧嶋姉妹のことを黙って見続けるのであった。

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