第12話『プリン』
サブロウがいなくなってからは、芽衣ちゃんの持ってきた絵本を霧嶋先生が読んでくれることに。
さすがは国語の先生で文芸部の顧問。とても聞きやすく、台詞を読むときの感情の込め方が凄かった。
――ピンポーン。
インターホンが鳴る。今はまだ午後3時半くらいだけど、理恵さんが仕事から戻ってきたのかな。
美優先輩は扉の近くにあるモニターまで向かう。
「はい。……あっ、理恵ちゃん」
『ただいま。思ったよりも早く仕事が終わったよ』
「お疲れ様です。すぐに行きますね。……芽衣ちゃん、お母さんが帰ってきたよ」
「そうなんだ! わたしもいっしょにいく!」
「うんっ、一緒に行こうか!」
美優先輩は芽衣ちゃんと一緒にリビングを出て行く。夕方までかかると言っていたけど、仕事が早く終わったんだな。
それからすぐに、玄関から賑やかな声が聞こえてくる。朝以来の再会を喜んでいるのだろう。
あと、「いい子にしてた?」という理恵さんの声も聞こえる。高校生になったから、最近はああいった言葉を聞かなくなったな。懐かしい。そして、ちょっとだけ実家や故郷が恋しくなった。
「ただいま~。みんな、芽衣の面倒を見てくれてありがとう」
理恵さんはリビングに入ってくるや否や、俺達にそう言ってくれた。芽衣ちゃんに会えた嬉しさなのか。それとも、俺達に対する感謝の意なのか。はたまた、仕事が終わった解放感からなのか。朝よりも素敵な笑みを浮かべていた。
理恵さんはバッグと白い紙の手提げを食卓に置くと、花柳先輩のところへ行く。
「あなたが花柳瑠衣ちゃんね。昼間に美優ちゃんが送ってくれた写真には、おしゃぶりを咥えて喜んだ様子が写っていたけど」
「おままごとで赤ちゃん役をやりまして。芽衣ちゃんの持ってきてくれたおしゃぶりやほ乳瓶のおかげで、赤ちゃん気分を味わえました。……挨拶がまだでしたね。初めまして、美優の親友でクラスメイトの花柳瑠衣と申します」
「初めまして、芽衣の母で美優ちゃんの叔母の蒼山理恵です。よろしくね」
理恵さんは花柳先輩と笑顔で握手を交わしている。
改めて見てみると、理恵さんは綺麗な中に可愛らしさもある。さすがは芽衣ちゃんの母親で、美優先輩の叔母さんだなって思う。
「あら、そちらのポニーテールの女性は……」
「私達の通う陽出学院高校で教師をしている霧嶋一佳先生です。由弦君と風花ちゃんのクラス担任でもあるんです」
「そうなの。初めまして、蒼山理恵と申します。姪の美優がお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそお世話になっております。美優さんは成績も優秀で、あけぼの荘の管理人や料理部の副部長としても頑張っています。自己紹介が遅れましたね。霧嶋一佳と申します。陽出学院高校で現代文と古典を教えております。宜しくお願いします」
理恵さんは霧嶋先生とも握手をする。2人とも黒髪で美人だからか、本当は親戚なんじゃないかと思ってしまう。
「いやぁ、高校時代は理系クラスでしたけど、現代文や古典の先生が霧嶋さんのように可愛らしかったら、好きになって文系クラスに行っていたかもしれませんね」
「ふふっ、そうですか」
理恵さんの言うことが分かるな。教える先生によって、その科目を勉強するモチベーションが変わる。もちろん、霧嶋先生は教え方が上手だし、人としても魅力的なので、現代文や古典は結構好きだ。
「あああっ!」
突然、理恵さんは驚いた様子で大きな声を上げた。
「どうしたの、ママ!」
「……仕事も早く終わったし、美優ちゃん達へのお礼も兼ねて、みんなの分のプリンを買ってきたの。仕事をしたご褒美で自分の分も買ったんだけど」
「プリン! やったー!」
芽衣ちゃんが喜ぶと、それが広がって風花に花柳先輩、美優先輩も嬉しそうな様子に。
「みんなで食べようね。ただ、お昼に美優ちゃんが送ってくれた写真おかげで、瑠衣ちゃんが来ているのは知っていたんですけど、霧嶋さんまで来ているのは知らなくて。ですから、自分の分を含めて6つしか買って来なかったんです。霧嶋さん、私の分のプリンを食べてください! 娘の面倒を見てくれましたし」
「いえいえ、私は結構ですよ。私がここに来たのはお昼過ぎですし。私も学校で仕事がありましたけど、可愛らしい芽衣ちゃんのおかげで疲れが取れましたから。美優さんが淹れてくれたアイスコーヒーで、ゆっくりとした時間も過ごせましたし」
「……そうですか、分かりました。じゃあ、さっそくみんな食べようか」
お昼ご飯のときにも使ったテーブルでプリンをいただくことに。家にある分ではクッションが足りないので、その分は風花の家から持ってきてもらった。
ちなみに、俺から時計回りに風花、花柳先輩、霧嶋先生、芽衣ちゃん、理恵さん、美優先輩という座り順だ。
「たべるまえにごあいさつ。いただきます!」
『いただきまーす!』
芽衣ちゃんの教えに従い、みんなで挨拶した後、霧嶋先生以外の6人はプリンを食べ始める。霧嶋先生はプリンの代わりに、俺が作った砂糖入りのアイスコーヒーを飲む。
「プリンあまくておいしい! ママ、かってきてくれてありがとう!」
「良かった。ママも美味しいプリンを食べられて嬉しいわ」
蒼山親子の言う通り、このプリンはとても美味しいな。冷たいから、これからの季節にはもってこいじゃないだろうか。そんな親子の隣で、微笑みながらアイスコーヒーを飲む霧嶋先生が印象的だ。
「メイメイと遊んだり寝たりして、美優先輩と由弦が作ったお昼ご飯をいただいた上に、プリンまで食べられるなんて。本当に幸せな一日だよ! 昨日で中間試験も終わったし」
「大げさだね、風花ちゃんは。まあ、気持ちは分かるけど。あたしも試験が終わって解放的な気分になったし。美優からの頼みで、おままごとに飛び入り参加して、お昼ご飯とプリンをいただけて満足よ。芽衣ちゃんも可愛いし」
「瑠衣ちゃん、名演技だったよ。赤ちゃんになりきっていたし。うん、プリン美味しい。これから暑い季節になるし、家や部活で作ってみたいね、由弦君」
「そうですね。味が濃厚でトロッとしたプリンもありますけど、このプリンみたいにツルッと食べられるプリンもいいですね」
そういえば、実家にいるとき、夏になるとプリンやゼリーを作ったな。小さい頃は母親と雫姉さん、心愛と一緒に。実家で作ったものはこのプリンのように、ツルッとしたプリンだったな。
「はい、ちーちゃん!」
芽衣ちゃんはスプーンでプリンを掬い、霧嶋先生の口に近づける。
「私にくれるの?」
「うん! サブロウくんのさわりかたをおしえてくれたし、えほんもよんでくれたから! そのおれいだよ。それに、ちーちゃんだけたべられないのは、なんだかかなしい」
芽衣ちゃんがそう言うと、霧嶋先生は優しげな笑みを浮かべて「ふふっ」と声をこぼした。
「悲しいって言ってくれることに、芽衣ちゃんの優しさを感じるわ。では、お言葉に甘えていただくわね」
「うん! はい、あ~ん」
「あ、あ~ん」
芽衣ちゃんにプリンを食べさせてもらうと、それまでの霧嶋先生の顔に浮かんでいた微笑みが満面の笑みへと変わる。その瞬間に素早く花柳先輩がスマホを向け、「カシャ」という撮影音が聞こえた。
「とっても美味しいわ。ありがとう、芽衣ちゃん」
「どういたしまして」
霧嶋先生に頭を撫でられ、とても嬉しそうな様子になる芽衣ちゃん。もしかしたら、今日出会った人の中で、一番仲良くなったのは霧嶋先生かもしれないな。
霧嶋先生は少し目を細め、花柳先輩の方を見る。
「花柳さん。今の写真をばらまいたり、不用意に見せたりするのは止めなさいね。恥ずかしくて、最悪、学校を辞めるかもしれないから」
「分かりましたよ。芽衣ちゃんに食べさせてもらったときの一佳先生が可愛かったし、あたしも一口あげようかな」
「いいですね、瑠衣先輩! 一佳先生、あたしのプリンも一口どうぞ!」
「私のプリンも!」
「みんなからもらえば、霧嶋さんもプリンを堪能できるわね。霧嶋さん、私のプリンも一口どうぞ」
「……では、お言葉に甘えて」
霧嶋先生は花柳先輩、風花、美優先輩、理恵さんの順番にプリンを食べさせてもらう。
プリンが好きなのか、理恵さんにプリンを食べさせてもらったときには、とても満足そうな表情になっていた。食べさせてもらうという行為もあってか、普段よりも子供っぽくて可愛らしい。
「美味しいわ。みんなありがとう」
「よかったね。ねえねえ、ちーちゃん。ゆづくんからはたべさせてもらわないの?」
芽衣ちゃんの素朴な疑問に、リビングの空気が一瞬固まった気がする。
さすがに、男の俺が霧嶋先生にプリンを食べさせることはできない。
しかし、俺だけからは食べさせてもらってないので、芽衣ちゃんは先生に今の質問をしたのだろう。美優先輩達はさすがに苦笑い。
質問された霧嶋先生は目を鋭くさせ、頬を赤くして、
「そ、そんなことしてもらわないわよ!」
強めな口調でそう言う。そのせいで、芽衣ちゃんは両眼に涙を浮かべ、悲しげな表情を浮かべる。
芽衣ちゃんの反応に、霧嶋先生の目つきの鋭さが一瞬にして消え、申し訳なさそうな表情になる。
「ご、ごめんなさい、芽衣ちゃん。あなたの質問にあまりにもビックリしてしまったので、ついつい強い口調で言ってしまったわ」
「……ううん、いいよ。ただ、いまのちーちゃんはこわかったな。ちーちゃんはゆづくんのこと、きらい?」
「えっと、その……」
さっきは頬だけが赤くなっていたけど、今度は霧嶋先生の顔全体に赤みが広がる。俺をチラチラ見てくるところがとても可愛らしい。俺もドキドキしてきたな。
「だ、大好きよ! 桐生君のこと! 受け持っているクラスの生徒だから。もちろん、姫宮さんも。別の学年だけど、白鳥さんも花柳さんも好きよ。それを覚えておいてくれると嬉しいわ、芽衣ちゃん」
「うん、わかった! ちーちゃん、ゆづくんのことがすきだってさ! よかったね!」
「……そうだね。嬉しいよ」
大好きだって言われたとき、正直かなりキュンときてしまったよ。
「ただ……好きだと言ったのに、桐生君だけに食べさせてもらわないのも気持ちが悪いわね。桐生君、あなたさえ良ければ一口食べさせてくれるかしら?」
「たべさせてあげて、ゆづくん!」
「ど、どうしようかな……」
俺には美優先輩っていう恋人がいるし。それに、プリンを食べさせたら先生と間接キスしてしまう。
美優先輩の方をチラッと見ると、先輩は優しげな笑みを浮かべて一度頷いた。きっと、食べさせてあげてほしい芽衣ちゃんが言ったからだろう。
「分かりました。では、霧嶋先生、あーん」
「あ、あ~ん」
目を瞑って、少し大きめに口を開ける霧嶋先生。普段よりもカジュアルな服装だから、とても可愛く思える。
スプーンでプリンを一口分掬い、霧嶋先生に食べさせる。
「……美味しいわ。とても甘くて」
「良かったです」
「よかったね! ちーちゃん!」
「ええ。プリン……堪能できて良かったわ」
その言葉が本当であると示すためか、霧嶋先生は芽衣ちゃんにとても柔らかい笑顔を見せる。時折、俺をチラッと見てくるけど。
その後、プリンを食べると、それまでと比べてかなり甘く感じるのであった。
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